見出し画像

ローリングストーンズを追う兄を追って

スピンドクターズが演奏するのを、私は一度だけ、兄と一緒に見たことがある。二人とも、結婚や子供などは、まだ気配どころか興味さえなかった頃だ。

大学を終えて就職した兄は、転勤も残業も多い会社に勤めていた。その兄が、2回だけ、3日以上連続の有給休暇をとったことがある。そのどちらもが、ストーンズの米国公演を見るためだった。

最初のは、私が米国に行った年だ。日本公演をしたことのない最後の大物バンド。まだ演奏している今から思うと、そこまで切羽詰まらなくてよかったのだが、兄は、メンバーが死んだりして欠けず、演奏しているのを見られる最後のチャンスだと思って、同僚と連れ立ってやってきた。4日いて、3つのコンサートを見た。兄は、私に会いにきたわけじゃない、と言ったが、うそぶいているわけでなく、本当にそうだった。

2回目に来た時は、その4年後のストーンズの全米ツアー。兄はこの時も、メンバー全員生きて見られる最後の公演かもと思って、無理をして休みをとった。その時は、1つしか見られなかった。

そのコンサートの前座が、スピンドクターズだった。

私には、メインのローリングストーンズより、スピンドクターズを見たことの方が印象深い。好きでよく聞いていたからだろう。Two Princes という、始まりのドラムが印象的な曲は、誰でも聞いたことのあるくらい流行ってもいた。ストーンズの曲も、知らない曲はほとんどないほどだったが、好んで聞く、というより、慣れで聞いているようなところがあった。世間で有名だから。兄が大ファンだから。


兄は、近くに住む従兄の影響で、小学校5年生くらいで、自分もギターを始め、コンサートにもついて行くようになった。兄が、中学くらいから一番いれこんだのが、ローリングストーンズだった。

従兄の影響もあり、兄は中学になると、その頃の、いわゆる洋楽を、どんどん家に持ちこんだ。兄は、家では一人で音楽を聞き、特に私に勧めてくれたわけではない。でも、部屋が隣の私は、押入れのある壁から伝え聞いた。音量を落としているとはいえ。どのバンドも、名前も曲名も、歌詞の英語も、なにも知らないまま。

そのうち、日本のロックも全国区で盛り上がり始めたが、私は、自分が好きだと思うバンドは、すべて、兄を通して知った。ARBも、ロッカーズも、ルースターズも、シーナ&ロケッツも。のちには、兄など及びもつかないほどファンになってしまった、モッズもRCサクセションも。

私に英語を教えてくれたのは、英語教員がすすめるビートルズやカーペンターズではないバンド。中でもブロンディーズ。兄がくれたレコードで知った。私は、ただ夢中になり、勉強のためというのではなく、授業中の落書きに、ブロンディーズの曲の歌詞を書きつづった。何度も何度も。私は、大阪万博をのぞくと、12才までに2回くらいしか、外国語を話す人を見たことがなかった。22才まで外国に行ったこともない。私の英語の基礎を作ってくれたのは、ブロンディーズ。次点、クラッシュとコステロ。そして、彼らと繋いでくれた兄だった。

兄は、音楽だけでなく、ほとんどのことの、私にとっての異文化の窓口だった。ロックだけでなく、兄はダリを持ち込んだ。ヘッセを。「タクシードライバー」を。ムソルグスキーを。私は交響曲「シェヘラザード」が好きだ。諸星大二郎のマンガが好きだ。メリル・ストリープが。宮城谷昌光の作品が。全部兄が好きだったものだ。兄は大学で地元を離れたが、就職して、ほとんどまったく会わなくなるまで、私は兄の影響を受けていた。

私は、ストーンズが好きだけど、大好きではなかった。エルビスコステロやブロンディーズやRC サクセションに感じたような、胸がつぶれるような気持ちになったことはない。歌は知っているし、レコードが当たる懸賞にも、応募した。でも、入り込んではいなかった。懸賞で実際に当たってしまったレコードは兄にあげた。


兄が2番目に来た時のストーンズのコンサートの様子はうろ覚えだ。でも、スピンドクターズは、見たときの興奮を思い出せる。Two Princes が始まったら、もう大人も大人だった兄が、この曲、こいつらのじゃったんか、と席の上ではねだした。

Two Princes は、当時、私が朝起きたら必ず聞く、一曲だった。リズムのいい始まりのドラムに、いっきに元気がでるから。ビートが好きだから。サビのところがキャッチーだから。かっこいいから。少なくとも、あの頃は。そして、彼らは、私が自分で見つけたバンドだったから。



私は、カウンターカルチャーを追いかける兄の背中で、カウンターカルチャーを知った。パンクも、なければやっていけなかったような気持ちの兄とは違って、私は兄が聞くから聞いた。兄が好きだから、私も好きだった。

いつも同級生の中で一番背が高く、運動神経抜群で、小さい子をいじめる中学生に向かっていくような正義感がある(自分がなぐられりするが)兄を、私は見上げていたのだろうと思う。飛び込んではいけない小学校のプールに、走り飛び込みをしているうちに、頭を打って縫う羽目になったり、中学生の時に、近所に住む先生が、担任でもないのに、うちの親に兄のことを相談にきていたり、父が険しい顔で、私の目の前で、部屋のドアを激しく閉め、母と兄と三人で、進路について長く話していたりしても。

兄だった。成績はいいが、それほど将来を期待されない私に、医者になればと言ってくれたのは。大学をやめると泣く私を、親に迷惑をかけるなと諭したのは。仕事をやめて、米国に行くと決めてしまった私に、理由も動機も問い詰めず、かけてくれた言葉が、行く前に富士山を見に来い、だけだった。

私はどのくらい、兄に助けられたのだろう。どのくらい、兄の後を追っていたのだろう。そんなに仲がいいつもりもなかったし、好きだとか言ったこともなかったのに。兄の方も、人の目をじっと見つめて話す私の、そういう父にそっくりなところを、きらっていたのに。


2回目のコンサートで米国を訪れてから、兄は海外にはどこにも行けていない。元々、まとまった休暇をなかなかとらせてくれない会社で、兄の立場も変わり、休みは、もっととりにくくなった。そして、兄は結婚し、父にもなった。

ローリングストーンズの、最後の日本公演で、知り合いが手配してくれて、思いがけなく、兄は関係者席で見たそうだ。ただ、ストーンズが特に好きなわけでもない人が大勢いて、だれでも口ずさむようなところの歌詞をわかっていないとか、ノラないとか、無駄話をするとか、色々うざったいこともあったと笑っていた。

でも、そのコンサートに行った後、あれだけストーンズを追いかけていたはずの兄に、心境の変化があったらしい。彼らへの熱意が消えた、と。それも、すっぱり。まったく聞く気がなくなったと。はじめっから、そう好きじゃなかったかもしれない、とまで言う。

いやいや、何を今さら。それに、はじめっからそんなに好きじゃなかったかも、って、それは私のせりふ。私の方から先に言えばよかった。ストーンズがなんで好きか、ずっとわからなかったって。やめて、それは困る。もう、兄の後を追いたくはない。

そして、ふと思う。兄の聞く音楽が違っていたなら。兄といっしょに育っていなかったら。そしたら、わたしもわたしじゃなかったんだろうな。よくも悪くも。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?