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2080文字、苦しさや国の盛衰や能力獲得をどう捉えるかに先立って押さえるべき論点について

2023-4-004

否定されてるものをそのまま否定するとか、強弱変えるとか、肯定に反転させるとか、
これら自体(否定肯定が逆でも話は同じ)は表層形の差異に過ぎず、内実の確からしい表層形を選ぶ立場からは受容拒絶の根拠になりません。

(内実の確からしさを根拠にしない傾向は、表層形のみでの断罪をもって自他や世界を位置付ける差別的帰属操作な生である以上、奪い合い世界の住人の証拠と言えますし、
局面と着目無視を一致させる事によって場に沿わない着目を捨象する態度が、帰属関係修正としての対差別なり、損得やできるできないといった表層形に対する過剰反応への対策なりに相当すると考えれば、

表層形のみが問題になる局面の話を全面的に展開する飛躍の許容という、限定通用物を普遍通用物扱いする通用領域広狭への鈍感さは、
割り振りについて場の疑似でない固有性に即してない点のみを、実力や理解の有り様について代替不可能な内外事情にしか応じない実存と整合してない点のみを、
修正対象とする世界の住人でない事が意味されるだけでなく、次元設定自在性という人間性に振り回され、自身の形式を持ち腐れさせてる生をも意味してると言えます。)


受容に値するしないを取り違えてると、受容に値する部分以外も込みで肯定(過剰肯定)したり、受容に値する部分も込みで否定(過剰否定)する結果の、
ご都合主義(例えば、自己と世界との間の単なる上下論)や特化の過不足(例えば、対教育などで代替不可能な内在事情外在事情に沿う形に脳へのインストール程度を調整する働きの不全)に陥り、

精度の低い具体化結果を抽象次元にフィードバックさせてしまった産物しか手に入らない為に、
質が上限化されてないものをされてるもの扱いする勘違いをもって、自他や世界を歪ませ続ける生の外に出られません。


そして、受容に値するしないを取り違えていないと言えるのは、有限(内外境界発生)の与件性、より確からしいものが取って代わる運動性、
これらのみの反映と言える現象(帰属に修正余地がないと言える現象)であるかどうかという観点が、
個別性を根拠にするしないという局面差異(文理差異)をこの観点の外在性質として、自身の立ち上がり方も自身に落とし込みつつ、立ち上がってる時であり、

文系者は個別性が根拠になる局面におけるその観点維持に責任を負っていて(つまり、文系者として存在するのとその観点維持とは引き換えの関係であって)、
同種の他との共通要素捨象を用いた抽象化具体化の不十分さの解消(帰属の修正余地潰し)として知性や倫理や美意識が働いてる時、その責任は果たされてる事になると考えます。


実際、そのような不十分さ解消が、あるいは、解消状態を紡いでく文系論理や文系歴史が、他に先立って志向されてる有り様と、
現象は内在性質外在性質の統合物であり、両性質が代替不可能的であるほど確からしいとの現象観
(有限性の代替不可能化のみが問題や解決であるとの世界観、あるいは、有限性の代替不可能化以外を受容してる問題や許容してる解決に対し疑似問題疑似解決扱いする哲学の働き)とは等しい上、

その志向が自身に向けられると、代替不可能な内外事情にしか応じない実存(確からしさを上限化させた割り引き)として、
割り引かれてない状態にあるもの(真善美や無限者等の理想状態)に対峙する事になるので、

防げる類の割り引きを負った産物を、自他や世界に負わせる事態は防がれてると見なせます。
(例えば、問題の大小やジャンルといった表層形への過剰反応は、有限性の代替不可能化が上の実存をもって具体化されたもの、という問題観や解決観で防げる為、
抽象化具体化が不十分な状態を修正する働きとして知性や倫理や美意識が機能してない現れと言えます。)



なので、余裕のない局面では成立自体を、余裕のある局面では成立の内実確からしさ(同種の他との共通要素捨象用いた抽象化具体化の不十分さの解消)を重視する量質推移構造の不在
(特に、内実の確からしさ求めない対損得が常態化してる生)や、

仮説への改善フィードバックの上限化に必要な具体化精度確保(高精度の検証実験に相当するもの)の不在
(特に、アンフェアによって通用してる事にしてしまう言わば改ざん研究者な生)が、

対象に関して持ってる抽象具体関係構造の像(現実の複雑さへの通用が問われるべき仮説)である理解や実力を、
あるいは、抽象化具体化の交互反復(5秒前と現在とが差異込みで同一と言える理由)である歴史やその先端である現有り様を、
受容に値する状態へと持ってく働き(抽象化具体化の不十分さ解消)に負の影響齎してるのは、

盛衰によらずどこも同じ(個別性が根拠になる局面に、同種の他との共通要素捨象に十分さらされているいないの観点を持ち込めてるとは見なせない以上、欧米文系にも当然言える)と見て、

帰属を修正する働き(帰属の修正余地のなさと上の解消状態は事実上同じ)が上限化されてる下での、
したがって、奪い合い世界に参加してないと言える類の経済活動、政治活動、社会活動等であるかどうかを論点としましょう。

ご支援の程よろしくお願い致します。