マガジンのカバー画像

君はいつごろミュージックシーンに登場したか

24
人生と音楽の関わり合いについて書いています。
運営しているクリエイター

記事一覧

固定された記事

僕がミュージックシーンに登場したころの話

以下は私が自分のホームページで、2001年8月に『キーを叩く』というタイトルで連作音楽エッセイを開始したときに巻頭に置いた文章です。 ホームページのほうは閉じてしまいましたが、この note にも音楽関係のジャンル(マガジン)を建てることにしたので、今回ここに少し加筆修正して再掲したいと思います。 君はいつごろミュージック・シーンに登場したか?僕の友人の黒谷君によるとても良い表現があります: 「君はいつごろミュージック・シーンに登場したか?」 この言葉の意味するところ

日本語空耳アワー ~歌詞とメロディのイントネーション

もう番組自体が終わっちゃいましたけど、『タモリ倶楽部』の「空耳アワー」、面白かったですよね。大好きなコーナーでした。 で、あれは外国語が全く違う日本語に聞こえてしまうという例でしたが、いやいや、日本語の歌でも全く違う日本語に聞こえてしまって大笑いってこと、ありますよね? 僕は年寄りなので古い歌ばかりで申し訳ないですが、例えば太田裕美の『木綿のハンカチーフ』(作詞:松本隆、作曲:筒美京平、1975年)では、「都会で流行りの 指輪を送るよ」と言われて、「いいえ 星のダイヤも

関白とスニーカーの頃

先日、カラオケに行った時に友人が『関白宣言』を歌ったのですが、それを聞いていた別の友人が、「こんなの、いまだったら完全に差別で歌えないわよねえ」と言いました。 確かにそうでなんですよね。ただ、さだまさしの巧妙なところ(と言うか、僕としては「悪質なところ」と言いたいのですが)は、歌詞の中でこれから妻になる女性にまさに関白的、男尊女卑の権化のような要求を山ほど積み重ねておいて、最後に「できる範囲で構わないから」と添えて締めているところです。 末尾に付け加えたこの一行にうっとり

下手になったベテラン歌手のように

若かった頃に大好きだった歌手っていますよね? 自分にとって憧れの的だったそんな歌手がテレビの懐メロ番組に出ているのを観るのはなんかうら寂しい気持ちになったりするもんですが、それだけではなくて、その歌手が年老いて歌がとても下手になっていたらどうでしょう? そういうことってありますよね? 悲しいですよね? 淋しいですよね? ここで具体名を何人か挙げたら、きっと皆さん「そうそう!」と頷いてくれると思うのですが、なんか一段と淋しさが増しそうなのでやっぱりやめておきます。 もちろ

こだわりと気づき ── GS から転じた名優たちに

グループサウンズからの「転向」随分と古い話ですが、1967年から 1968年ごろをピークに、海外でビートルズらのバンドがヒットを飛ばし始めたことに影響を受けて、日本でもグループサウンズ(GS)という名のバンドブームが隆盛を極めました。たくさんのバンドが出て、たくさんの歌手やプレイヤが注目されました。 僕も小学生ながら結構熱中していました。カッコいいと思いました。 しかし、ブームというものはいずれ終わるものであり、あれほどファンを熱狂させた GSブームもほんの 2~3年の短

僕が死んだらこれらの CD は…

当たり前ですが、僕も若い頃は自分の死なんてまるで考えたこともありませんでした。それがこの年になって、高橋幸宏が、岡田徹が、そして坂本龍一が亡くなったと聞くと、自分は彼らよりは少し年下だけれど一体いつ死ぬのかな、などと考えてしまいます。 人は死ぬものだから、いつの日か自分が死ぬのは(怖いか怖くないかはともかくとして)仕方のないことだと思っています。ただ、自分が死んだら自分が残したものはどうなるのかなと考えると心残りはやっぱりあるんですよね。 たとえば僕が自分のホームページや

私が選んだ日本歌謡史転調名作選

私は転調が大好きです。 私はかつて自分のブログに書いた記事に少し筆を入れた上で、ここ note にも上げていたりして、例えば『私が選んだ邦楽カバーアルバムの傑作』や『魅惑のペンタトニック・スケール』といった記事がそうなんですが、かつて書いた転調についての記事はここにアップしていません。 それは、その記事を書いたのが 2002年と非常に古く、いくらなんでも今これを上げるのはちょっと時代遅れかな、という気がするからです。 でも、だからと言ってその記事を丸々眠らせておくのも、

Her Majesty(ビートルズ)

エリザベス女王が亡くなって不意に記憶に甦ってきたのはビートルズの Her Majesty でした。 1969年発売のアルバム『アビイ・ロード』の最後の曲で、B面10曲目の The End が終わった後しばらく無音が続くので、この曲で終わりかな?と思って、(あの頃だったら)ステレオの針を上げにちょうど立ち上がりかけた頃にこの歌が始まります。 当時は曲名が表記されていなかったので、世界初の「隠しトラック」という指摘を受けました。 ポール・マッカートニーがギター1本で歌ってい

ah- 面白かった

吉田拓郎というのは僕にとってとても大きな人で、中学以来、彼の音楽に励まされ、刺激を受け、助けられて生きてきた。 細かいことは書かなないけれど、彼の歌があったからこそ僕は自殺もせずに生き延びてこられたのだと思っている。何度も何度も「越えて行け そこを 越えて行け それを」(『人生を語らず』、詞・曲・歌:吉田拓郎)と唱えながら、苦しい時代を乗り越えてきたという思いがある。 そんな“大いなる人”であり、かつ、中学時代からもう何十年も聴いてきた人だがから、僕はなんとなく吉田拓郎が

僕がサラリーマン最後の日に語ったこと

2022年6月30日を以て株式会社毎日放送(MBS)を雇い止めになりました。 たまたまその日が定例の会議の日で、その席で挨拶めいたものを求められ、少し喋りました。以下はその時の内容を思い出しながら、少し添削、加筆修正したものです。 When I'm sixty-four最近頭の中でずっと鳴っている音楽があります(こういうのを英語では earworm = 耳の中に虫がいる、と言ったりするようです)。 それは The Beatles の When I'm Sixty-fou

『おどるポンポコリン』と『恋するフォーチュンクッキー』を追記しました。

『魅惑のペンタトニック・スケール』という記事を書いてアップしてしまってから、『おどるポンポコリン』と『恋するフォーチュンクッキー』が抜けているのに気がつきました。 どちらも全編ペンタトニック・スケールだけで作られた曲ではありませんが、ペンタトニック・スケールを非常に巧く使った曲です。 追記しました。

魅惑のペンタトニック・スケール

日本のポップス史に残るペンタトニック・スケール名曲選を編んでみたいと思います。 ペンタトニック・スケールって何?という方のために書くと、ペンタ=5、スケール=音階ですから(トニックとは何かということはとりあえず措いといて)5音で構成された音階です。 誰もが知ってる普通の音階(これをイオニアン・スケールと言います)はドレミファソラシの7音からできていて、そこからファとシを除いた5音からできているのが、ペンタトニックスケールです。 ファが第4音、シが第7音であることから「ヨ

CDラックは語る

前に本棚について書き、その中でついでに CD ラックについても触れた。 今回はその続きで、僕の CDラックの変遷について書く。 僕は上記の記事で「本は本棚一杯分しか所有しない」と書いた。それは音楽CD でも同じで、CD は CDラック一杯分しか所有しないことにしている。 しかし、今では本は専ら Kindle で読むようになったのに対して、同じように音楽は基本的にデータで所有するようになったかと言うとそうではない。やっぱり CD で持ちたいアルバムがあり、棄てられないシン

オミクロンとクレージーキャッツ

ハナ肇とクレージーキャッツの2枚目のシングルに『五万節』というのがあります。これも例によって青島幸男・萩原哲晶のコンビによる曲です。 この歌はよく言う「5万とある」という誇張表現を借りてきて、パチンコで獲ったピース(若い人は知らないでしょうが、煙草の銘柄です)が5万箱とか、野球で打ったホームランが5万本だなどと大ぼらを吹く歌です。 全国のコロナの新規陽性者数を見ていて、この歌を思い出しました。ついに『五万節』のレベルまで来たのか、と。 5万って、ホラや誇張の象徴じゃなか