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CDラックは語る

前に本棚について書き、その中でついでに CD ラックについても触れた。

今回はその続きで、僕の CDラックの変遷について書く。

僕は上記の記事で「本は本棚一杯分しか所有しない」と書いた。それは音楽CD でも同じで、CD は CDラック一杯分しか所有しないことにしている。

しかし、今では本は専ら Kindle で読むようになったのに対して、同じように音楽は基本的にデータで所有するようになったかと言うとそうではない。やっぱり CD で持ちたいアルバムがあり、棄てられないシングルCD があるのである。

それは何故かと考えると、本とは違って音楽の場合はすでにひとつ山を越えてきた歴史があり、そこで息切れしてしまったからではないかと思える。

どういうことかと言うと、紙の本は電子書籍になった──ただそれだけである。しかし、音楽のほうは、アナログのレコードがデジタルの CD になり、CD が .mp3 などのダウンロードやストリーミング配信に変わったという2段階がある。

若い人には分からないだろうが、僕らの世代は初めて CD を聴いたときに飛び上がるほど驚いたのだ。なにしろスイッチを入れたらいきなり曲が始まるのだから。レコード盤に針を落としたときのようなシャリショリした雑音がなくいきなり始まり、聴いている途中にも一切雑音がない。

それで、これからは CD の時代なのだと電撃的な啓示を受け、僕は持っていた LPレコードを全部 CDアルバムに買い替えて行った。

もちろん CD化されなかった商品や、すでに(一旦は CD化されたものの)廃盤になっていたものもあった。でも、廃盤になった CD もたまに復刻盤が出ることがあって、常にアンテナを張り巡らしているとそんなニュースが入ってきたりする。いずれすぐにまた廃盤になるのだが、僕はそのタイミングを逃さずに買った。そして、あとは中古CD店での調達である。

無事に CD に買い替えられたら、僕は中古レコード店にそのレコードを売りに行った。そして、それがまた別の CD への買い替え資金の足しになった。

どうしても CD化の見通しのない LP は実家のレコードラックに大切にしまってあったのだが、実家は父の仕事のためずっと抵当に入っており、ついにある日借金のカタに取られてしまい、そのまま競売にかかって見知らぬ人の住むところとなった。

あっという間の出来事で、僕はレコードを取りに行く暇もなかった。新しい住人は、多分何の値打ちも感じずにそれらのレコードを棄ててしまったのだろうなと思う。

そんな歴史があり、そこを乗り越えてきたのだ。そうやってかき集めた CD をもう一度データに変えろと言われても、もう勘弁してほしい。もう乗り越えられないのである。

そういうわけで、紙の本と違って CD はほとんど棄てられずに僕の CDラックに収まっている。CDラック一杯分しか所有しないと決めているので、あと買い足せるのも残り僅かである。

もちろんリッピングしてデータで所有して聴いている曲も多数ある。でも、その場合でも CD は棄てられない。若い人は CDからデータに落としたらジャケットと盤を棄ててしまったりもすると聞くが、そんなことはありえない。だって、 LPレコードを“ジャケ買い”してきた世代だから。

そう、CD の値打ちはジャケットにもある。それは LPジャケットほど大きくないのでそこまでの値打ちはないが、しかし、本の表紙に対するよりは遥かに大きな愛着がある。

歌詞カードにも愛着がある。レコードを聴きながら、歌詞カードを見ながら、大声で一緒に歌った世代だから。

そういうわけで、僕の CDラックには棄てられなかった CD がぎっしりと並んでいる。それは本棚と違って僕の総体的な人となりをかなりしっかりと物語っている。結婚したときに妻が持ってきたものもあるが、何度か一緒に聴いているうちに、すでに僕の骨肉の一部になっている気もする。

もちろん CD を買わずに、初めからデータだけを購入した曲もある。しかし、それまでに結構大量の CD を買い溜めていたおかげで、それらはいまだに少数派である。

だから、本棚と違って、CDラックはかなり雄弁に僕を語っている。だから、本棚と違って、今それを他人に見せるのは素直に少し気恥ずかしい思いがある(笑)

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前にも似たような記事を書いていました(笑)

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