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20年前のワタシと20年後の君へ。


私は非常に困っていた。

読んでくださっている方も、いきなりこんな出だしで切り込まれても困るだろうが、敢えて言わせていただいた。

何がって。

↑コレ


この何の変哲もない手紙であるが、察しの良い方はお気付きだろう。

この手紙は20年前に書かれた手紙。もひとつ踏み込んで言うなれば、当時出産間近の私が書いた20年後に成人になるお腹の子に宛てた手紙である。
裏にはご丁寧に「20歳になったら開けて下さいね。」との注意書き。

現在、シャレにならない位忘れっぽくなっているワタシを見越してのことだろうか。実際この注意書きが無ければナンジャコレと、迷う事なく開封していただろう。
20年前のワタシは有能だったようだ。

そして無事産声をあげ、育ったその男の子はこの12月にめでたく20歳を迎える。

正直なところ手紙の事なぞすっかり忘れていた。

ごちゃついた戸棚の整理をしていた際に、文箱が出てきたので中を改めていたらば、古い手紙や年賀状、昔の漫画雑誌の付録の便箋の中に紛れていたのだ。

この時、遅い秋も深まろうかという頃。
このまま後2ヶ月、気付かず息子の誕生日をさらりと過ぎてから発見したならば、「タイミングを逃した。今更だよね。」なんて言いながらきっと息子には渡さなかったであろう。

当時29歳の私が何故こんな物を書こうと思ったのか、何を書いたかのか全く覚えていない。

何ならマタニティハイの延長だったのかもしれない。
もしそうならば、そんな妊婦ハイのホルモンに支配された脳みそから繰り出された文面なんて間違いなく目を覆いたくなるような代物である可能性が高い。

今、思い出せるのは寒い部屋でお茶を飲みながらコタツに入り筆を取ったこと。出産予定日がクリスマス近くだったから、それらしい封筒を選んだこと。
そのぐらい。

ワタシは普段あまり神様だのを信じるようなタイプではないが、奇跡的なタイミングに遭遇することが時々ある。

そんな時はさすがの私も「これは天からの啓示か…?」と思い、その意味を探らずにはいられない。

正に今回のヤツがソレ。

そんな記憶の奥底にも、戸棚の奥底にも眠っていたものが、今まさにこの渡すべき時期直前に姿を現したのだ。


神様が言っている。

「渡さなアカンで。」

しかし、あの頃の純粋で子供に対してプライドも何もないプレママの時代のワタシと比べると、今やもう20年親をやってきた分、導き、サポートする上で子供に対して見栄もハッタリも偉そうにかましてきた積み重ねがある。

もう考えも充分大人になった息子は、そんなかましてきたハッタリなんぞ虚構であると、マルっとお見通しだろう。親の皮をツルリと剥いた私なぞ人として大した事ないことも既に気付いていると思う。
でも、その必死に積み上げたものは大事な私の親としてのキャリアの一部でもあるのだ。

なので、まだ若さの残る私が書いた手紙の内容が、そのキャリアを脅かすような変なモノだったらちょっと困る。ちっぽけであれど、まだ親の威信を崩すことは出来れば避けたいし、何よりも恥ずかしい。

ねぇ。20年前のワタシ、何を書き綴ったの。

答えの出ない答えを求めて悶絶する。

渡すべきか。

渡さざるべきか。


そんな悶々とした気持ちを心の片隅に置きながら日々を過ごす事一ヶ月。11月ももう終わろうかという頃、私は最寄り駅近くで不定期開催されている古民家カフェにお邪魔していた。
今回、所属する図書ボランティアのリーダー沢井さんが参加しているとのことで立ち寄ってみたのだ。

ガチンと自転車のスタンドを立て、中を覗いた。
綺麗に改造したレンタル古民家の土間でケーキ屋さん、コーヒー店が入り、沢井さんはそこでお茶を飲みながら本が読めるようにと、読み聞かせ活動の一環として、厳選した自前の絵本を持って来ていたのだ。ざっと50冊くらいは並んでいただろうか。
奥の座敷には雑談する人もいれば、コーヒーを飲みながら絵本を読む人や絵本を読み聞かせている親子連れが何人かいる。
狭くて所謂「ウナギの寝所」といわれる古民家。ガラリと戸を開けると沢井さんが「テッちゃん、来てくれたんや〜。」と、歓迎してくれた。

軽く話をし、コーヒーが来る間、何かいい本がないかと本棚を見た。沢井さんは他のお客さんの対応に忙しそう。

絵本を見ると、18歳まで毎年クリスマスには本を息子に贈っていたことを思い出す。

今、大学生の息子は未だに絵本が好きなようだ。普段大人向けの書籍も読んでいるが、絵本は特別らしく、たまに一緒に本屋に行くと必ず絵本コーナーへ行き、小さい子に混じってぺらぺらと本をめくっている。

そんな中、ある絵本の表紙が目に入った。


何気に手に取った。この作家さんの本は書店で新作を見掛けたら、いつも手に取ってみるのだが、この「あんなに あんなに」は完全にノーマークだった。
いつの間に出てたんだろう。表紙をめくる。

絵本といっても子供向けではなく、どちらかというと大人向けの絵本だった。
成長してゆく我が子とのかけがえのない日々、楽しさ、大変さ、有難さ、そして寂しさを面白可笑しく描写している。成人した子を持つ親なら誰が読んだって身に覚えのあるようなことばかり。
私はこういった育児の絵本は他にも幾つか読んだ事があるけれど、この絵本は一番等身大の親の気持ちが描かれているように思う。
読んでいる間、もう「そう。そうなの。そうなのよ。」しか言葉が出てこない。

読み終わった後、不覚にも泣いてしまった。
内容もさることながら、またもやこんな時にこんな本に出会うなんて、二度目の神からの啓示である。

神様、ズルい。

鼻をズルズルいわせながら、コーヒーをすする私の異変に沢井さんがすっ飛んできた。

「…テッちゃん、どうしたん?」
飴と鞭を使い分ける取調室の飴担当刑事の様に声をかけてくれる沢井さん。

私はチョロい犯罪者よろしく手紙の事をゲロした。

それを聞いて沢井さんは神様から言葉を託されたように

「テッちゃん、それは絶対渡すべき。」

と、言った。

もう、これでもかと言うくらいの啓示、いや、もはや通告である。
私はもう目の前にいるのが、沢井さんなのか神様なのか分からなくなってきていた。
ワタシは絞り出すような声で答えた。

「……ハイ。」

あまりの畳み掛けるような展開に、思わず続けて「ありがとう神様。」と、言いそうになったがすんでの所で、ここが古民家カフェで沢井さんが人であることを思い出し「ありがとう。」のところで言葉を止めた。

あっぶな。

それから12月の誕生日当日。
20年前、出産予定日より一週間早く産まれてきた息子。難産で最後は帝王切開で出てきた息子。
20年後の誕生日、今大学生の彼はサークルの仲間が忘年会と一緒に誕生日会をしてくれるそうで帰りは深夜になるらしい。

朝一番で慌ただしく出て行った息子。ほぼ顔を合わさず、記念すべき日は静かに過ぎることになった。
帰って来るまで待つ気もなければ、別に直接渡したい訳でも無いし、手紙を受け取った時の顔を拝みたい訳でもない。まして「有難う、お母さん。」と、言われたいわけでも無いからいいのだけれど。

そもそも49歳になるワタクシ。夜更かしはキツイ。なので私はとっとと明日の自分の体力の為に早寝をキメこむことにした。寝よ寝よ。
寧ろ、忘年会ついででも、お祝いをして騒いでもらえる様な仲間がいるのは親として有難い限りだ。

ブツは息子の学習机にでも置いておこう。

息子の部屋に向かう私の手には、沢井さんに神が乗り移った日の帰り道、本屋で買った「あんなに あんなに」の本。
夫がなけなしの小遣いから捻り出したお祝いの金子。
そして、例の手紙。

あと、メモ書きを。

息子へ祝いの言葉と感謝の言葉。この手紙こと。

こんな手紙を渡す事は少々押し付けがましく、君にとって鬱陶しく感じるかもしれない。内容はもうすっかり忘れているが、若い頃の私が大きくなった君を思い浮かべ書いたものだから、どうかその気持ちを受け取ってやって欲しいと綴り、あと、お父さんは高価なゲーミングモニターと多機能コントローラーを買いやがっ…ではなく買ったばかりでお金がないので、残念だが金額は期待してやるな。と、そんな旨を書いた。

そして最後に夫婦で署名をした。

疑問に思いながら、大人しく署名。


次の朝の9時、昼から講義の息子はのっそり起きてきたかと思うと、TVを観ながら洗濯物を畳む私の前に立ち、両手を合わせながら肘を90度にし深々と頭を下げ少林寺の僧侶がする様なポーズで「誕生日プレゼント有難う。」と言った。

きっと彼にとって最大限の感謝の意なのだろう。

少林寺の僧侶みたいやけど。(2回目)

ところで、昨日の夜、まだ帰らぬ息子を思いながら布団に入っていると、ひとつ。手紙の内容について、一つだけ思い出したことがある。

一枚の便箋にびっちり文章を書いた後、「あっ。20歳にもなってたらもう彼女くらい居るかもしれない。」と、駆け込みで"大事にしてくれるひとが居るなら大事にしろ。"的な一文を無理矢理入れた様な覚え。

マズイ。

何がマズイって。
息子は彼女がまだ居たことがない。女子と話そうとすると微妙に緊張するらしい。
何ならそんな自分を若干気にしているご様子。

迷った挙句、聞いてみた。

私「…手紙…変なこと書いてなかった?」

息子「いいや、全然。」

私「最後らへんにさ、」

息子「最後の一文は心をえぐられたけどな。」

やっぱり。


手紙の内容はそれ以上は聞かなかった。
だってあの頃の私から20歳の息子へだけに宛てた手紙だもんね。同じ私とはいえ、他人みたいなもんだ。考えに様によっては書いた文章を忘れていて丁度良かったのかも知れない。

「20歳になったら開けて下さいね。」

そう思うと20年後のこの日、20年前の私と約束を無事果たせて良かったよ。


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