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【hint.313】自分は今、どちらを大切にしたいのか?

 相良は手で指しながら、
「この部屋をよく見て。」と言った。
 久美は、促されるままに部屋の全体に視線を巡らせた。
「目を瞑って。──何が見えた?」
「・・・・・・相良さんと、・・・・・・夜景が映ってる窓ガラスと、あと、テレビ?・・・・・・」
「壁紙のシミは?」
「・・・・・・気がつかなかった。」
「じゃあ、絨毯の梅の木の模様は?」
 久美は首を横に振ると、目を開けて、下を覗いた。
「この世界のすべてを見ることなんて、絶対に出来ない。そんなことしてたらおかしくなるよ。どんな時でも、どんな場所でも、何かを見る代わりに、別の何かは見てない。──人間だってそうだよ。人のすべてなんて、見えるはずがない。だったら、自分の一番良いところが見える様にすべきだよ。誰にだって光の当たっている部分と、そうじゃない部分がある。敢えて隠そうとしなくても、みんなはその光が当たっているところしか見ない。中には陰の部分ばかり見ようとする人もいるだろうけど、大事なのは、多くはないってことだよ。中村久美の一番素敵なところに、光が当たるようにしよう。陰の部分は、そっとしておけばいい。どうしても、その陰翳の中で何かを語りたくなったら、その時は、俺に話せばいいよ。こうして、いつでも側にいるから。・・・・・・」
(平野 啓一郎 著『かたちだけの愛』/中公文庫 より、傍点を太字化し引用)


 自分自身は、自分のこれまでのことをあまりにもよく知っている。

 そんなふうに感じることは誰にでもあると思う。


 もちろん、過去にうまくいっていたことや、いま現在、とてもいい感じで関われていることを、ふとした瞬間に思い浮かべることで、ホクホクとすることもあるだろう。

 その、うまくいった時のことをこそ、共通の足場としてコミュニケーションを重ねていける相手も、ありがたいことにいるはずだ。


 一方で、過去、そして現在に、人生における「何かしらの陰」だと多くの人が(少なくとも自分自身が)感じるようなことをしてしまった自分のこともよく知っている。

 そして、その時のことをいつまでも共通の足場にして、ネチネチとしたコミュニケーションに引きずり込んでくる相手も、同時に存在している。


 何を共通の足場にして、目の前の相手と、今この瞬間からコミュニケーションを重ねて行くのか?

 過去、ある時に一緒に経験したものを足場にすることは、比較的簡単だし、それが自分と相手、双方にとって「いい気分のする足場」であれば、今この瞬間からも、そのまま重ねていけばいいんだと思う。

 でももし、自分と相手、どちらか一方にでも、「いい気分のしない足場」しか過去にないのであれば、今この瞬間からのその相手とのコミュニケーションにおいては、なにか足場となる「双方にとっていい気分のする新しい未来」を、共有することが必要不可欠になるんだろうな。


双方にとっていい気分のする新しい未来」と「いい気分のしない過去」。

 自分は今、どちらを大切にしたいのか?

「いい気分のしない過去」に向き合うことが必要ない時も、きっとたくさんあるんだと思う。


「いい気分のしない過去」に引きずられて、「いい気分のしない現在」そして「未来」だけ、にはしないようにしたい。

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