【曲紹介】『やさしいせかい』

先日、「やさしくないデザイン この世界だれのために?」という文句から始まる曲を書いた。
書き始めた、と言った方が正しい。
作詞に難航している。
年々、作曲よりも作詞に費やす時間の方が長くなってきて困る。
言葉が活きる曲を書きたい!!!なんて信念を持っていた若き日。
きっとあの頃は迷いがなくて、ほんとう、魔法みたいに詞と曲が同時に生まれていた。
まるでもともと用意されていたかのように、空中に浮かんでいる言葉とメロディを掴み取り、合体させては、僕の奏でる音楽は部屋中に響き渡っていた。

年を重ねることは自由になっていくことだと思う。
自分で働いて家賃や光熱費を払い、食べたいものを食べたいタイミングで食べ、そして余力があれば友達と出掛ける。
そんな当たり前のことができるようになるまでだいぶ時間が掛かってしまった。
そして手に入れた自由と同じく大切なものは増えていく。
その大切なものはたまに、自由と相性が悪かったりする。
頼まれてもないのに誰かの役に立ちたいと意気込み空回りする。
自分勝手な発想で誰かに寄り添い、気づけば置いて行かれる。
それは決してムダなことではないけれど、かと言っていつでも正解を出せるとも限らない。

今日、紹介する『やさしいせかい』を書いたのは2020年の6月頃。
なんだか2020年に曲書きすぎでは?と思う。
まあ、いいや。そういう時期もある。
東京に住む弟(仮)から、「東京都がコロナ禍にリモートで作った作品にお金出してくれるぽい」なんて内容(うろ覚えなので間違ってたら申し訳ない)の連絡が来て、どうやら彼の考えとしては、
・ズームを使って男女の恋愛ドラマを作りたい
・つきましてはそのエンディング曲をサラッと書いて欲しい
的な依頼が来た。

仕事から帰ってきても別段することがなかったコロナ禍のはじめ。
友達とも自由に出歩けないし、二つ返事で引き受け、当時住んでいた実家で二曲作った。
あまり慣れていないDTM(パソコンを使って打ち込みやらを駆使して家でレコーディングすること)で、古い電子ピアノでオケを作って、安物のマイクを使って歌を録音した。
スタジオワークを覚える前の僕は、ほんと、そんな感じで充分だったんです。

実は時を同じくして、祖母がすい臓の手術を受けるために隣の県の大きな病院に入院していたのだった。
この曲をレコーディングする時、ちょうど手術が終わったばかりで、かと言って疫病のせいですぐに面会へ行くことも叶わず、なんとなく歌に想いを込めた。

大体僕は晴れの日にレコーディングすると気分が乗る。
歌は一発で録り終わった。



なんとなく、病院のまえで帰り道を探している女性をイメージした。
微笑んでいるのか、うつむいているのか分からないその女性は傘を差している。
雨が上がったことにも気付かずに、病院の前のロータリーをとぼとぼ歩いている。遠回りして。
そのとき、風が吹く。
強い風が吹き、女性の背中を押す。
彼女は歩き出し、予感する。
「きっとうまくいく」


歌を作った時のことや経緯については日記などに書いているため事実として把握しているが、ほとんどがフワフワした時間のなかを泳いでいるうちに勝手に出来上がっている。
なので、その瞬間のことは記憶しづらい。

しかし、歌を唄っている時に思い浮かんだ情景に関しては、いつまで経っても忘れない。
まるで別の世界に生きている人になったような。
乗り移るとか憑依とか、パラレルワールドとか、そういうのにはあまり興味ない。
ただ、浮かぶ風景がある。
そしてその景色や温度感は忘れない。
それだけのことだ。

あれから4年が経ち、祖母は翌年も手術を行ったが元気でいてくれてます。
からだは小さくなったけど、声や迫力はあまり変わりない。

帰る場所はこの先減っていくんだろうけど、だからこそ生きてるあいだに居場所を作るんだろうって最近つくづく思います。
居場所を求めて旅をしたり、挑戦したり。
「ここ!」って自分にフィットしたときに、ゆっくりと自分の居場所を整えていく。
フカフカな枕を用意したり、布団を干したり。
そんな感覚で、その場所にいる人を程よい距離感で愛してみたり、話したり、笑いあったり。

その連鎖がいつのまにか連れてってくれるところがきっと「やさしいせかい」なのだと思う。

つたない歌と演奏ですが、どうぞ大人の子守唄としてご活用くださいませ。
おやすみなさい。


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