「世界は善に満ちているートマス・アクィナス哲学講義ー」を読んで 肯定することから始める
「世界は善に満ちている」山本芳久著を読み返していました。
トマス・アクィナスは13世紀の中世神学・哲学者です。主著は神学大全です。日本語に翻訳されていて全45巻という長大な書物です。他にも様々な書物を残しています。トマスを研究するということは中世哲学や、それに影響を与えたイスラム哲学も研究することになるので、すべてを研究することはなかなか難しいと思います。AIが力を発揮して少しでも研究が進むといいと思います。
一般的な語り方ならトマス・アクィナスは神学とアリストテレス哲学の統合ということになっています。アリストテレスとは哲学の代名詞であって、13世紀にあって哲学といえばアリストテレスのことだったのです。
この本では哲学者と学生が対話するという形式で書かれています。そしてトマス・アクィナスの感情論を語っていきます。トマス・アクィナスということで認識論、存在論を期待するひともいるかもしれません。しかしこの本で展開されているのは感情論という、私からすればマイナーな感じのする論を一冊まるまる書いています。
特に重要な愛という感情が語られます。愛とはこの本の中でも何回も言及されているのですが、大上段に構えた愛と言うよりも、日本語で言えば好きという感情です。なぜ重要なのかといえば愛がすべてのもとになるからです。こう書けばキリスト教だから愛から始まると考える人がいるかもしれません。しかしそうではないのです。
この本で語られる感情論はキリスト教の信仰とは関係なくとも成り立つ記述なのです。神を信じなければ喜びがないというわけではないのです。愛と喜びと善との関係はややこしいです。善というと道徳的善を想像しますが、善はそれだけではありません。道徳的善、喜びを与える善として「快楽的善」、役に立つものとしての「有用的善」があります。日本語での「よい」と意味的に重なります。
善とは決して稀にある人間の行為を指すのではありません。善がなしに生活することはできないでしょう。生活を快適にせずに暮らすのは、罰ゲームのような状況しか考えられません。はじめは肯定です。私自身は否定を運動の駆動力とするのは好きな方ではありません。世の中を良くするためには批判は必要と思います。ただ好きな方法ではありません。
良いということから始める思考と、否から始める思考があるのでしょう。私の好みは前者なのです。
この本では感情と言っても何もないのではなく、ある論理性を持っていること、決して感情とはないがしろにするものではなく、知らせてくれる徴とあることがわかります。そしてそれが肯定とつながっていることがわかってくると思います。
私の説明では伝わらないと思います。13世紀の西洋の人間が何を考えていたのか、私達に関係がないことはないのだと感じると思います。ぜひ読んでみることをおすすめします。
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