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その日、:聖書をめぐる旅 4/22

4/22(金)
 終末に起こる2つのことが、イザヤ書で語られています。
その日、ブドウ畑のオーナーが帰ってこられます。その前に、人間は犯した罪の報いを受けることになります。(イザヤ書が難しくて、本日からリビングバイブルから引用しています)


イザヤ書24章

4-5国は民の罪のために苦しみ、地はやせ衰え、
作物はしおれ、空は雨を降らせません。
国は犯罪によって汚れました。
住民が神のおきてに背き、
神の永遠の命令を破ったからです。
6そのため神ののろいが下り、
人々は心がすさみ、日照りで死に絶えます。
生き残る者は数えるほどしかいません。
7人生の喜びは去り、
ぶどうは収穫期になっても実らず、
ぶどう酒は底をつきます。
陽気だった人も顔をくもらせ、
うなだれます。
21その日、主は天上の堕落した天使を罰し、
地上の国々の高慢な支配者に罰を加えます。
22彼らは囚人のように駆り集められ、
刑の執行の時まで地下牢に閉じ込められます。
23ついに天の軍勢の主はシオンの御座に上り、
イスラエルの長老たちの見ている前で、
エルサレムを中心に世を治めます。
その栄光は、太陽の輝きも月のうるわしさも、
色あせてしまうほどです。

 聖書が語る終末の2つのことがここでは、語られています。
一つは、大患難時代が起こることです。人間の罪が満ち、神様の裁きが地上にもたらされます。7年間といわれるこの時期の前に、人々が救われて、神様の民として天上に引き上げられることを心から望みます。
この7年間に地上では、おそろしい禍いが次から次へと起こります。
それは、イスラエルの民のエジプト脱出を拒んだファラオに起こった禍いを再現するようなものです。この時、すでに地上にはクリスチャンはいないことになります。
もう一つは、
最後に、エルサレムに主なる神様が再び来られ、地上を統治することが決まっています。
悪魔やサタン、人間を惑わしていた者どもは、最後の裁きまで地下牢に閉じ込められます。これは、ある意味人間による地上の統治が終わり、神様御自身による地上の統治です。オーナーが帰ってこられるのです。地上は、神の栄光に道、太陽も月も必要なくなるくらいになります。


イザヤ書25章

3どんなに強い国でも、
神の前に出たら、怖くてひざが震えます。
どんなに血も涙もない冷酷な国でも、
神に服従し、御名をあがめます。
4しかし主は、貧しい者にとっては、
嵐を避ける隠れ家、暑さをしのぐ木陰、
土塀をくずす激しい雨のように
非情な人間からかくまう避け所です。
9その日、人々は、
「このお方こそ、私たちが信頼し、
長い間待ち続けた神だ。
とうとう、おいでになったのだ」と大声で叫びます。
なんと喜びにあふれた日でしょう。
10主の恵みの御手はエルサレムにとどまり、
一方、モアブは御足の下でわらのように
踏みにじられ、腐ってしまうのです。

 神様にお会いした時、どんな強い国も
ひざがガクガクすると言います。
ヨブ記の最後に神様にヨブがお会いしたシーンを彷彿させます。
しかし、そんなに偉大な神様が心にとめているのは、貧しい者です。
神様は義なる方であり、同時に愛なる方であることがわかります。
教会では、何度もへりくだることが語られますが、
私たちクリスチャンは、自分を誇ることができません。
キリストの愛によって、キリストの身代わりによって、恵みの人生をいただいている身ですから。
こんな賛美が聞こえてきました。

シャウト 喜び シャウト 叫べ
勝利は既に主のもの
どんな敵も、どんな武器も役に立たなくなる
主は我らの救いの岩 子羊の血で打ち勝った

参考

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