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「毒親」って見かけるけど「毒子」って見かけないよね?

この記事は、ワタシのアンガーマネジメント(=怒りの感情の整理)です。つまりは、理屈で形を固めた愚痴です。

なので、敢えてTwitterでは宣伝しません。怒りの地獄流しとして、この場にてヒッソリと吐き出して、スッキリとした創作活動に思考を戻したいと思います。

話題は…ワタシが先日note記事やTwitterで言及している、疫病神の件です。

※当記事に関しまして、内容に不適切な箇所がございました。近日中に補足する記事を公開いたします。(2021年1月)

「毒子」っているよね?

今回、ワタシの家族をめぐる騒動において、ワタシは疫病神のことを親不孝者だと認識しました。

つまり、ワタシたちからすれば親不孝者は「毒子」や「毒弟」といった存在になります。

しかしながら、相手側の視点を考慮すると、疫病神からすればワタシたちは「毒親」であり「毒兄」でとして認識しているだろうことは容易に察することができます。

さて、インターネットで家族に関する悩みについて検索しますと、ワラワラと出てくるのが「毒親」やら「アダルトチルドレン」という言葉です。

つまり、自分の人生が狂ったのは親が悪い! という意見が圧倒的多数で占められているワケです。

一方、「毒子」という言葉で検索しても、子供を焦点に据えて批判する記事は片手で数えるほどしかヒットしません。それどころか、「毒親」や「アダルトチルドレン」という言葉で塗りつぶされてさえいます。

つまり、インターネット界隈では、「悪いのは親、子供は被害者」という絶対的な構図が出来上がっているようです。

しかし…本当に子どもって、被害者に徹しているものでしょうか?

例えば、こんな話があります。どこぞの貧乏な家庭に兄弟がおりました。兄は貧乏な環境を苦にしてグレてしまい、成人すると人の道を外れた職に就きました。一方で弟は、貧乏な環境に苦心しながらも努力し、立派な役職について社会に貢献しました。

この例において、グレてしまった兄には落ち度はないのでしょうか? 同じような環境で育った弟は立派な人物になっています。兄だって同じように立派な人物になれる可能性はあったのではないでしょうか。それを放棄したのは、兄自身ではないでしょうか?

この例ですと、「子供を十分養育できる経済状況を作れない親が悪い」と言われかねませんので、もう一つ例をあげましょう。

どこぞのお金に不自由しない裕福な家庭に姉妹がおりました。姉は家庭の恵まれた環境を存分に利用して高度な勉学を収め、立派な学者として社会に貢献しました。一方で妹は、家庭の裕福な経済状況にあぐらをかいてグータラ三昧をしてロクに勉強せず、実家の財産にかじりつくばかりの引きこもりニートになりました。

この例においては、ニートになってしまった妹は、姉と同じ環境で生育しているのですから、立派な人物になる可能性はあったと思います。しかし、その努力を放棄したのは妹であり、それは妹自身の落ち度ではないでしょうか?

それとも、この例においても毒親信奉者は「親の姉妹それぞれに対する愛情の注ぎ方に差があったのだ」等、あくまで落ち度は全く以て親にあるというのでしょうか?

勿論、子供の性質によって、親は接し方を変えると思います。いたずらばかりする腕白小僧には、厳しめに言って聞かせておとなしくするように言い聞かせるでしょうし、物分かりが良くてお手伝いをしてくれる優等生のことは偉い偉いと可愛がることでしょう。

でも、この扱いの差について、親を責めることってできるんでしょうか?

いたずらばかりする腕白小僧が、好き放題に暴れまわるのを黙ってニコニコ眺めていることが良い結果になるでしょうか?

それは、車の前に飛び出した我が子をニコニコと見送って、むざむざ死に追いやることと同義ではないでしょうか?

また、腕白小僧がいくら幼いとは言え、同い年の優等生が存在するのならば、全く同じように振る舞えなくとも見習うことで、偉い偉いという誉め言葉をもらう努力をすることができるのではないでしょうか?

そういった努力を放棄して、やれ親ガーやれ世間ガーと他責的になるばかりの子供は、落ち度のある「毒子」だと思います。

「毒子」が表面化しない理由

インターネット界隈では、子育てに手を焼く親御さんの意見も五万と見つけることができます。

しかし、彼らの大部分は自分の子供を「毒子」だと突き放すことはありません。

この理由をワタシの母の姿から察するに、2つの点に絞られると思います。

1つは、現在の子世代に対し、親世代がインターネット技術に疎い…というものです。

今の子供は生まれた時からケータイだスマホだというものが側にある世代もザラです。インターネットを駆使するのはお手の物です。

しかし、親世代はTwitterをはじめとしたSNSはおろか、インターネットもあまり触らない有様です。インターネット上に子供側の意見が圧倒的多数になるのは必然と言えます。

…もう少し時代が進んで、ワタシたちが親世代として5、60代になったら、この現象は解消するかもしれませんね。

もう一つは、特に母親において、問題児であろうとも我が子として可愛がる気風があることです。

ワタシの母も、疫病神にここまでされながらも「自分の腹を痛めて生んで、育ててきた子供には違いないから、苦しくなって助けを求めてきたら、実益で支援はできないけれども、話ぐらいは聞く」と語っていました。

また、「バカな子ほど、可愛いものだと言うでしょう?」という言葉も言っています。

…これらの点から思うのは、毒親に対する存在であるアダルトチルドレンは直訳すると「大人子供」ですけれども、言い得て妙な表現だなー、ということです。

インターネット界隈の意見を参照するに、親御さんはお子さんに絶縁を突きつけられるなどをされると、大抵は「自分にも責任がある」と認識し、反省します。

その態度や反省のタイミングなどにはいろいろと批判が出るでしょうが、まずは自分の非を素直に認める、というプロセスをこなしていることが分かります。

一方、アダルトチルドレンはと言えば、「私は辛かった。だから親が悪い」の一点張り。自分の非は絶対に挙げません。

この他責的な行動は、なるほど、言い訳ばかりして外界に責任を押し付ける子供の行動そのものだなー、と納得してしまいます。

所詮は主観の代物でしかない

昨今のアダルトチルドレンについては、批判もちょこちょこ存在するようです。その中で、このような意見を見つけました。

「最近はアダルトチルドレンの認定の敷居が低くなりすぎている。この前、某テレビ番組で毒親および機能不全家族の例を言及していたが、"一カ月に一度、怒鳴りつける"というのが認定の理由であった。小さい子供がいる家庭では、一カ月に一度怒鳴りつけるぐらい不思議ではないのではないか? この程度で毒親ならば、のび太くんのママも、クレヨンしんちゃんのママも、みんな毒親となるのではないか?

また、こんな意見も見つけました。

「アダルトチルドレンの話をすると、日本人全員がそうなりますよね? と言われることがある。確かに、そうかもしれない。だが、アダルトチルドレンとは"皆がどうか"ではなく、"自分がどうか"という点に焦点を当てる。どんなに家庭が裕福で幸福な状況でも、ワタシが辛かった…そういう認識があれば"アダルトチルドレン"なのである

つまり、自分がアダルトチルドレンかどうか。親が毒親かどうか、というのは、判断者の主観でしかないワケですよ

リンゴやミカンといったものを判断するように、普遍的で絶対的な判断基準があるワケじゃないんです。

「彼女がマザコンだと思えば、マザコンなんですよ」というマザコン認定と全く同じなのです。

だから、同じ兄弟でも、兄とっては毒親でも、弟にとっては理想の親だったりすることがあり得るワケですね。

それ、物凄くカッコ悪いですよ?

さて、ワタシの家の疫病神がアダルトチルドレンという言葉にたどり着いたかどうかは不明ですが、もしたどり着いているとすれば、インターネット界隈でよく見かけるように、こんな思考に陥っているかもしれません。

「オレは毒親に育てられた、哀れなアダルトチルドレンなのだ」

これを口に出して、苦笑を浮かべて見せて、同情を引いているかもしれません。

そんな人々に、歌手の星野源さんが語った下記のような旨の言葉を送ります。

「僕は昔、自分のことを人見知りだと言っていたが、最近はやめている。人見知りだと人に語ることは、"僕は人見知りだけども、改善するつもりはないので、あなた方のほうで僕に気を使ってくださいね"と言っていることと同義だと思ったからだ。それってカッコ悪いことだ思う」

自分は恵まれない環境に育った。家庭内で辛い思いをした。悲しい幼少期を過ごした。

それは結構。

しかし、世間の人々には、あなたがどう過ごしたとか、知ったこっちゃないんです。

辛い状態から奮起したというのならば称賛されることはあるでしょう。

しかし、「私は辛かったんだから、私に気を使ってくださいね」という言い方はおかしいを通り越して傲慢じゃないでしょうか。

そんなことで胸を張っても、カッコ悪いだけですよ。

最後に

…というようなことを疫病神には語って聞かせたいところだなのですが。

いかんせん、連絡手段が途絶えましたので、彼に直接ぶつけることはできません。

なので、こちらにモヤモヤを吐き出すことにしました。

…ところで、この文中ではアダルトチルドレンに対する批判的な物言いをしていますが、半分は意図的であるものの、全面的に否定しているワケではありません。

アダルトチルドレンの原義である「アルコール依存症過程におけるアダルトチルドレン」をはじめ、虐待などの深刻な環境下で育った方々の心中はとてもではありませんが察せるものではなく、そんな方々に落ち度を求めるつもりはありません。

ただ、前述した「敷居が低くなったアダルトチルドレン」に当てはまる人々については、ワタシはかなり批判的です。

彼らは以前のワタシの記事で言及した「地獄の住人」そのものです。

アダルトチルドレンというネガティブな言葉に陶酔し、世界が同情してくれるのを待つだけの人々だと認識しています。

同情を待つ暇があったら、少しでも前進する努力をするほうが生産的ではありませんか?

※これについてはも、抑鬱病のような重篤な疾患の方まで何とかしろよ、というつもりはありません。あくまで「とりあえずアダルトチルドレンを名乗って、親に落ち度を放り投げた」人々への批判です。ご了承ください。

…さて、モヤモヤが晴れて、適度な眠気がやってきました。

今回はここで、筆を下ろします。

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