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「横断歩道を渡る」(成人発達理論の視点・視座から)

初めまして。
私は弁護士をしています。私にとって、法律は非常に身近で、 (良くも悪くも)身体に染みついてしまっていますが、法律は非常に堅苦しくて、よく分からないと感じる方も多いのではないでしょうか。
特に、日本の場合、政府(お上)が決めたものなので、なぜか分からないけど、守らなければならないものだよね、と考えている方もいらっしゃるのではないかと思います。
私たちは、日々の生活で、意識するかしないか、あるいは好む好まざるは別にして、法律の影響を大きく受けています。他方、このように法律が自分たちの日常生活や考え方に非常に大きい影響を及ぼしているにもかかわらず、法律をどう捉えたらよいかといったことを考える機会は意外と少ないのではないかと感じています。
 
私たちの法律事務所は2019年4月に設立したのですが、フレデリック・ラルー氏が記している『ティール組織』となった法律事務所を創りたい!!、という強い想いを抱き、仲間達と立ち上げました。
私は、「成長」が人間の幸せの一つであると、(自分の実感を含めて)考えています。そして、人間や組織が正しく成長する、とはどういうことか、を悩んでいた際、『ティール組織』という本を、事務所のメンバーで、尊敬する先輩でもある粟澤方智弁護士から紹介してもらいました。その後、『ティール組織』とは一体何か、を深く考えていくうちに、『ティール組織』のあとがきを寄稿したケン・ウィルバー氏、さらにはスザンヌ・クック=グロイター氏の成人発達理論に触れ、勉強しています。
今回は、『法』について、成人発達理論の視点から、最近私なりに考えていることをお話させて頂きます。

そもそも「成人発達理論って何??」という方は、こちらの記事が素晴らしく分かりやすくまとめて頂いているので、ご参照下さい。
https://note.com/corchingcom/n/n59bda40730af
垂水さんは私のコーチで、垂水さんからいつも本当に素晴らしい気づきや示唆を頂いています。noteも、垂水さんから有益なアドバイスを頂いたことがきっかけで始めることにしました。

■ 横断歩道を渡る(道路交通法の例)

ここで分かりやすい法律を例にとって、ある出来事の視点・視座(捉え方)について、成人発達理論の各段階でどういうものになるかを考えてみます。
私たちに身近な法律として道路交通法があります。道路交通法第7条では、以下のように定められています。

(信号機の信号等に従う義務)
第7条 道路を通行する歩行者又は車両等は、信号機の表示する信号又は警察官等の手信号等(前条第一項後段の場合においては、当該手信号等)に従わなければならない。(罰則 第百十九条第一項第一号の二、同条第二項、第百二十一条第一項第一号)

これは、道路を通行する際、歩行者や車両の運転手は、信号機の表示に従って行動して下さい、というものです。当たり前ですが、横断歩道を渡る際、赤信号では止まり、青信号で渡りましょう、というものです。

■ 各段階における捉え方(視座)

この定め(法律)を成人発達理論の各段階ではどう捉えるでしょうか。
あくまで私なりの個人的な見解ですが、横断歩道を通行する歩行者の立場で考えた場合、概ね以下のようになるのではないかと考えています。

アンバー(他者依存的段階)
「『道路交通法第7条で信号機の表示に従わなければならない、と定められているから、それを遵守しなければならない。よって、赤信号では止まり、青信号になったら渡る。」

オレンジ(自己主導段階)
「道路交通法第7条は、道路の通行者の安全を確保するための法律である。よって、通行者の安全が確保されるという目的(趣旨)が達成される限りで、この法律を従えばよく、上手く活用すればよい。」

グリーン(相対主義的段階)
「道路交通法第7条は、あくまで一つの指針(考え)である。もちろん法律は大切で尊重すべきだが、自分が異なる考えや行動様式を持っている場合、それに従って行動すればよい。」

ティール・ターコイズ(統合的段階)
「道路交通法第7条の定めも大切である一方で、他の考えも当然あり得るため大切にし、これらは全てを尊重すべきである。その上で、法律の定められた背景・趣旨(通行者(個人)の安全のみならず、道路社会の秩序維持や安定など)、自分の行動が第三者(子供など)に与える影響等の自分が思い浮かぶ事情を全て考慮して、自分がその時点で最善と判断した行動様式を選択する、あるいは新たな選択肢を構築すればよい。」


■ 赤信号で道路を渡ってよいのか(選択する行動)

以上の整理をした場合、各段階で実際に選択する行動はどうなるでしょうか。

アンバーの場合、赤信号では、歩行者は横断歩道の手前で立ち止まり、赤信号を渡ることはないでしょう。逆に、極端に言えば、仮に信号が青であれば、赤信号を無視して通行する車両がいたとしても、信号の表示だけを基準にして渡るという判断をすることがあるかもしれません。

オレンジの場合、基本的に赤信号の場合、横断歩道を渡るという選択をしないと思われます。ただし、仮に信号機の表示が赤でも、(周囲を見て)通行する車両がいなければ、通行者の安全は確保されている場合、通行者の安全確保という法律の目的(趣旨)に反していないから、例えば、急いでいるといった緊急事態の場合、赤信号でも通行する、という選択をするかもしれません。

グリーンの場合、その人が法律の定めに自分自身が納得して大切だと考えていれば、アンバーと同様、赤信号で渡ることはないでしょう。他方、全然違う価値観を持っている方は、その自分の価値観に従った行動様式を選択するでしょう。

ティール・ターコイズの場合、様々な視点を含め、社会の調和や安定を考慮した上で、それに反しない形で自らの行動を選択することになると思われます(自分の行動が社会や子供に及ぼす影響を考慮すれば、基本的には赤信号を渡らないという選択になることが多いかもしれません。さらに進んで、新たな法律の在り方を指向する場合もあるのではないでしょうか。)。

このように、各段階で選択される結果は様々で、その行動結果のみから、その人の意識段階を判断することはできません。
ただ、それが単純な行動だとしても、背景には様々な視点・視座があると考えています。

■ まとめ(今回の話でお伝えしたかったこと)

今回のことでお話をしたかったことは、赤信号でも渡ってよい場合がある、あるいは赤信号でも状況によっては渡ることを奨励する、というものでは決してありません。先ほど述べた例は、各段階の視点・視座を純化した上で検討しており、実際の人間の意識は非常に複雑なので、一概にこれがぴったり当てはまるものではないと考えています。

また、今回の例で、異なる意識段階でも、横断歩道を渡るかどうかの結論が同じになることがあります。そのため、結果が同じであれば、あえて成人発達理論に基づいて分析する意義は少ないのではないか、と考える方もいらっしゃると思います。
そもそも、「法」とは何かということを考えたとき、私は、「法」には、自分と自然や宇宙を含む自分以外の存在の調和を実現し幸せに生きるための人間が作出した手段・方法という側面があると感じています。そこからみると、あくまで「法」は人間という有限なものが作出したモノに過ぎないため、絶対的な手段・方法として捉える必要はなく、少し距離を置いて、その存在目的に照らして充分に機能を発揮しているか、という視点での捉え方があることに気づきます。それが存在し、大切にされているからこそ、時代や社会の変化と共に、法は変遷を繰り返しているのではないでしょうか。

日々の生活を送る中での意識において、私たちは、法律を所与のものとして捉えてしまうことが多いのではないでしょうか。
しかし、法は、あくまで全ての存在の調和を希求し幸せを実現するための手段・方法に過ぎません。その手段・方法としての「法」に私たちがどのような役割を与えるべきかということを考える際、様々な視点や選択があることを理解し意識することは、その機能を充分に発揮させるために有効であると感じています。

社会は、様々な考えを持つ人たちで成り立っています。どれが正しいかではなく、それぞれがそれぞれ(全て部分的ではあるが)正しいという考えに立った上で、それらを全て抱擁(envelop)しつつ、改めて法を見つめたとき、あるいは、あるべき法とは何かを考えたとき、成人発達理論は、法が果たすべき役割を考える際の一つの有用な地図になり得ると考えています。