⭕日々の泡沫 [うつろう日乗]4

先はないのだが、未練も余りないのだが、『夜想』で自分の思う幻想を提示できる可能性があったのかどうか、それだけは知っておきたいと思っている。
ヒントは、やはり文庫『飛ぶ孔雀』の金井美恵子の後書きにあるだろう。落ち込みはそこからも始まっているのだから。

幻想(それ)を眼に見える映像として実際に見たことがあるのかもしれないと、ヘルダーリンやネルヴァルのように思わせる詩人は存在するが、たいていの者たちはそうした狂気や幻想を「本」によって体験し、言葉の性格上、増殖する生命を生きることになるので、忘れかけていた記憶の水面下の柔らかな泥濘のような層から浮かび上がるものに読書の中で何度も出会うことになる。
書く者たちは、当然のことながら書くよりもずっと多くのものを読んでいるので、読者である私たちは、何冊もの本、何人もの作者の言葉でできた世界の影を一冊の本の背後に見ることになる。(金井美恵子)

下品なまとめをすれば、幻視の才(?)の無い作家は、本から本を生み、言葉から言葉を生む。本を読むことが本を書く動機になるということだし、ネルヴァルみたいないっちゃてる作家以外は、先行文学から文学を生むものだと言っている。(あっているかな?まとめが)
とすればネルヴァルなら『夜想』編集長可能なのかもしれない。仮にネルヴァルなら見ていた幻視を雑誌という形にできたのか。それだけは知りたい。能力はなくても、仮にネルヴァルの文学にする方法で雑誌ができるのかどうかと模索したい。

幻想(それ)がどんなものなのか、何をもってしてそれを見たことになるのか、分からない、が…自分の場合[見ている]という感覚は余りない。だが、それでも[体験はしている]と呟きたい。体験は秘義とか呪という言葉が付くような感覚ではなく、クールに普通にすっと目の前にいる感覚だ。土方罪から寺山修司からヨーゼフ・ボイスから…笠井叡も勅使川原三郎も、僕に[それ]を体験させてくれた。おそらくそこに居た他の人たちもそれを感じていると思う。稀な存在として上げられているヘルダーリンやネルヴァルがどんな存在なのか…それだけでも知りたい。『夜想』がちゃんと存在することができたのか…。敗残者としては知りたい。

はじめには、おそらく金井美恵子の記憶の水面下にあるだろう、フローベール、プルースト、吉田健一、石川淳、蓮實重彦たちを、うつうつと読み、それからゆったりと、ネルヴァルに向おうかな。本を読む元気があればだけれども。


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