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(15)救護施設に来た経緯④

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「僕が生活保護を受けるに至った経緯というのを知ってもらわないと話の内容に入り込めない」
執筆者本人が生活保護受給者に転落した経緯、背景というものを理解していただくべく記事を執筆した。
執筆者の意向により、しばらく無料版を公開していくので気軽にお読みください。(山本星海)

(15)救護施設に来た経緯④


うつ病と診断された当初は外に出ると後ろ指をさされてウワサ話の標的になるのが嫌だったのでおとなしくしていたが、死を意識してからもうそんなの全然関係なくなった。


仕事も適当に、好きなように暮らす。


そんなことをしていたら、当然だが人間関係に軋みが出てくる。


「病気です」と言いながらガンガン飲みに出かけていれば嫌われるのは当たり前である。


更に消費者金融やクレジットカードも限度額まで達していたので知り合いに金の無心をやりはじめた。


この辺は未だに後悔している。


ちなみに当時は寝ていて意識が無いのに身体が動くという恐怖現象が起きていた。


原因はわからないが朝起きたら炊飯器のお米を食した形跡が残っているので不思議でしょうがなかった。


病院の先生に相談したらそういったケースはたまにあるらしく、重症になると外出して買物とか普通にしたりするらしい。


なのでその時期はもう「寝たら勝手に自殺してるかもな」と思って文字通り毎日死ぬ気で寝ていた。


そんなこともありつつ、結局病院の先生から「どう考えても仕事と金銭のストレスで病気が治らない、辞めたら?」というお言葉もあったので仕事を辞めた。


退職金で知り合いにお金は返せたし、人間関係も少しリセットできたし、このまま適当に暮らしていよいよ詰んだかという時に生活保護の話が来た。


友人の知り合いが役所で生活保護の担当をしていて、「今にも死にそうなやつがいるから一度話を聞いてあげてほしい」と頼んでくれたらしい。


こっちはそんな事情は知らないので「夜飲みに行こう、おごるから」と誘われた場に行ったら急に生活保護の打ち合わせが始まった。


夜の居酒屋で行われた非公式会談なのでざっくばらんに酒のつまみがてら今までの経緯を話した。


もう自分の不幸話や弱みを話すことに全く抵抗は無い。


結果として「申請しなさい」って結構強めに説得された。


もうどうにでもなれ状態だったし、後日役所に正式に申請に行った。


話は通してくれていたようで申請自体は驚くほど粛々と進んだ。


ただ、生活保護を受けたからといって病状と荒れた生活が解決されるわけではない。


当然再就職の見込みも現状では厳しい。


というか金の管理も身体の管理もできていない人間に金を与えたところでパチンコに行って死ぬのは目に見えているし、そんな未来になるのは俺でもわかる。


なので現実的な選択肢として「実家に帰って面倒を見てもらうか」「どこか遠くの施設に行くか」の2択になった。


実家は問題があったけど、役所の人もだからといって援助を頼まないわけにはいかないと親に色々説明してくれたらしい。


案の定親父は怒り狂っていたと後で聞いた。


当初は絶対に面倒は見ないと断言していたらしいが、説得の甲斐があってか一転して急に「うちで面倒を見ます」と前向きになったらしい。


あれが本当にそんな優しい心を持つのかと不思議に思い、こっそり母親に電話で「どうなん?」と確認した。


そしたら「息子の生活保護費を自分の手元に全部入れつつお前を部屋に監禁する計画を立てて今ウキウキで機嫌がいい」というドン引き情報が手に入った。


なので役所の人にそれを伝えて「どこか遠くの施設に行く」という選択肢を選んだ。


「息子さんを施設に行かせます」ということも役所の人が親父に伝えてくれた。


計画通りいかなかった親父はそこで「多少なら援助しますが」とごねたらしいが、母親から「本人の意思を尊重してあげてください」という強い言葉で施設行きが決定した。


この件について母親に感謝してもしきれない。


こうして申請が通った後、すぐに地元を離れて救護施設にやってきた。

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