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地域で生活することの価値②:減点法から考える(教育問題、仕事)

地域・地方で生活することを減点法から考えてみる

今回のテーマは、地方で生活することを減点法で考えてみた場合に、現代社会では減点幅が縮小してきたのではないか、というポイント。
要するに、都市部に比べてディスアドバンテージが無くなってきたのではないかという話。

その立役者は通信インフラの高度化・コスト低減とコロナ禍によるリモートの普及にあると思います。後者はいわゆる人々の心の面で変革が起きた、ということで、技術進歩が起こっても慣習(ノルム)が変わらないと真の意味で技術が社会に浸透していかないということです。

この通信インフラの高度化とコスト低減がもたらすものは大きくて、例えば今まで街中で音楽を聴きたいときには、いちいちCD等から音源をダウンロードしてMP3ファイルにしてから音楽を聴いていました。しかし、このところの通信各社による大容量プランの登場や、その後の楽天モバイルに代表されるような格安通信会社の参入により、高速大容量通信を格安で利用することができるようになりました。

これにより、今ではSpotifyやアップルミュージックといったサブスク型のストリーミング再生がポータブル音楽の主流となったのは手触り感のある例かと思います。昔はCDのミリオンセラーとか言ってましたけど、今は再生回数が重要になって、商業音楽の評価軸も変わりましたよね。

この例を書いていても思いましたが、昔はレンタルビデオ店が家の近所にないと不便だなと思ったこともありましたが、映画もNetflixなどで見れるようになったので地方でも不便なく生活ができるようになったわけです。その分、ビデオ店の撤退は自明ですが。

地方移住の大きな課題だった教育や雇用も

子供を持つと教育の問題はついて回るもの。もっとも、この点でも通信インフラ革命の効果は大きいとみられ、例えば地方の学生は大学受験に不利になるというのが定説で(実際、実績としてもそうなっているのは事実ですが)、都心部の中高一貫の進学校にいくために、某有名塾に小学校3年生から通わせるといった事象が起きると思います。

でも、以前から少しずつ変化が起きていて、昔は都心のマンモス予備校で有名講師の授業を受けないと有名大学に行けないなんて言われた時代もいまは昔。私の学生時代ですら有名講師のDVD授業が割と当たり前になっていて、例えば高3の夏まで部活に打ち込んでいて、そこから現役合格のために夏から2~3倍速でサテライト予備校の授業を受講して有名大学に現役で受かったという友人もおりました。

つまりは、オンデマンド授業の普及によって、受験教育の地域差が無くなってきたんだと思います。もちろんライブ授業の良さや質問をすることが講義の華という意見があるのは理解していますが(あとは周りの学生の質など)、昔に比べて「都会かそれ以外か」というディスアドバンテージが減ってきているのは事実だと思います。

そして仕事。これは理解しやすいですが、コロナ禍を境にフルリモート勤務や在宅勤務が当たり前になり(最近少し揺り戻しが出てきていますが…)、これまでのキャリアをあきらめなくても地方に移住できるという点は、これまたディスアドバンテージの低減といえるでしょう。

「地方だから」と言い訳をしなくて済む世の中になった

減点法で見たときに地方のディスアドバンテージが無くなってきたと書いてきましたが、ここで言いたいことは、本人が本気になれば「地方だから」と言い訳しなくもいい時代がやってきたということです。

教育にしたって、地方であっても子供が本気で頑張れば、いい大学に受かるだけの環境とインフラは整ってきたと思います。東京の予備校で自習室の取り合いをしたり、狭いカフェでお金を払って勉強するくらいなら、地方の綺麗な図書館でゆったりと勉強した方がいいという見方もあるでしょう。分かり易い講義を聞きたいならサテライト授業で有名講師の講義を聞けばいい。今は家のPCで視聴することもできます。

「地方だから…」を「地方だから…”こそ”」にする気概と力があれば、この国のインフラはそんなに悪いものではないと思うのです。だから私は地域で生きていく。

ご覧いただきありがとうございました。


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