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直観 エピキュリアンとストイック

プラトンが亡くなってから40年後のB.C.307年、アテナイ郊外アカデメイアのプラトン学園の近くに建てられた庭付きの小さな家に移り住み、そこにもう一つの学園を築いた一団がいました。
エピクロスとその弟子たちです。
彼らは思想的に対立するストア派からは「快楽主義者」と呼ばれていましたが、「パンと水さえあればゼウスに幸福で勝つことができる」と言っていたように、自然で必要な欲求のみを求め、「こころの平安=アタラクシア」を追求する質素で自給自足的な共同体でした。
からだの弱いエピクロスは、「庭園」と呼ばれる学園内を車椅子で移動しながら、自然学や論理学、倫理学などについての思索を巡らして過ごしていました。
肉体的苦痛からの解放こそが彼にとっての「快楽」であり、贅沢な饗宴などの過剰な快楽的生活は不摂生による不調や病気を招くため、かえって苦痛の元となってしまうと考えていました。
 
エピクロスは部分から部分へと推論する論理的思考(ディエクソディコス・ロゴス)よりも、事柄全体を一挙に把握する直観(エピボレー)を重視していました。
直観的把握による概念(プロレープシス)の獲得こそが、人間の知性における最も完全な認識のあり方であるとし、これはプラトンが言うところのノエーシス(直知的認識)に該当する認識概念です。
このエピクロスの直観概念は、エピクロス派と並んでヘレニズム期の二大思潮となるストア派にも影響を与え、延いては古代ローマを経て中世のヨーロッパ、近代の哲学にまで続く長寿コンセプトとなっていきます。
 
ストア哲学(ストイシズム)はアテナイのゼノンにより、エピクロス主義(エピキュリアニズム)と同時期に起こされた思想ですが、この両派は当時マケドニアに征服されポリスの自治を失ったギリシャ人たちに、個人としての幸せの追求の道を示すことで、瞬く間に受け入れられるようになりました。
エピクロス派が政治や社会から離れて「隠れて生きる」ことによって、精神的なこころの安らぎを求めるアタラクシアを理想としたのに対し、ストア派は理性(ロゴス)により「自然に従って生きる」ことで情念(パトス)に左右されぬよう努力する「アパテイア」が理想のアタラクシアであるとしました。
ストイシズムの美徳として、勇気、忍耐、正義、そして知恵があげられ、困難には勇気を持って立ち向かい、正しい方法で忍耐を持って適切に対処し、自分が信じることに正義を持ち、広い心で知恵を身につけることが大切とされています。
このような禁欲主義的(ストイック)志向の眼から見れば、閉ざされた楽園のような世界で暮らしているエピクロス派は、多大に快楽主義的(エピキュリアン)に見えたのでしょう。
 
エピキュリアンという言い方は現在では「享楽的な快楽主義者」としてあまり良くない意味で用いられ、ストイックという言葉もまた「頑なに禁欲的な人」というような硬直的な意味合いで使われています。
しかし我欲に屈することなく、ありのままの暮らしの中でこころの平静を得ることで幸福を追求するエピキュリアンと、理想や目標を達成するために自分自身の欲望をコントロールしようとするストイックは、両者とも当時のギリシャの人々にとって、精神的理想を追い求める高尚な生き方のモデルとなりました。
どちらも自分自身の直観的認識力によって世界を丸ごと掴み取り、その理想に向かっていく、ひとりの人間としてのあり方を示していたからです。
 
古代ローマ末期のストア派哲学者ボエティウスは、アテナイに留学してアリストテレスの論理学を始めとしたギリシャの哲学や自然学をラテン語に翻訳し、後のヨーロッパ中世思想に大きな影響を与えて、「最初のスコラ哲学者」とも呼ばれています。
彼はエピクロスのエピボレーepiboleを、「眺める、注視する」という意味のイントゥエオールintueorという語の名詞形であるイントゥイティオintuitioというラテン語に訳しました。
イントゥイティオは人間の知性における直感的認識のあり方を表す言葉として、中世ヨーロッパの哲学界において定着していき、後々にはフランス語のアンテュイスィヨンやドイツ語のイントゥイツィオーン、英語のイントゥイション(どれもintuition=直観)の語源となりました。
 
このようにプラトンのノエーシスから始まった直観概念は、エピクロスのエピボレーを経て古代ローマに伝わり、そこでストイシズムをも巻き込んで、中世のスコラ哲学へとつながっていくのですが、その前にヨーロッパ以外の古代世界の直観について見ていきたいと思います。

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