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没落?!日本の行方は変えられるのか

100年以上前に世界の没落を予言した人物

日本の行く末を危惧する日本人は少し前に比べたら増えたのかもしれない。

ツイッターでも保守的なことを言う人の賛同が以前より多く得られているようにも見受けられる。

しかし、日本の人口から見てみれば、いまだに少数だ。

多くは危機感すら覚えていない。

消費税はここ30年で益々高くなる一方、賃金は上がらない。庶民は少しづつ貧しくなっている感はあるのだろうが、日々の生活はいたって平穏であるし、美味しいものも食べられている。

多くの庶民が危機感を持つには日本は平和すぎるのかもしれない。

私は日本がずっと続いて欲しいという思いで書いてきたが、この流れは日本が西洋に追随するという道を選ぶ限り、止まらないのだろうという思いが強くなってきている。

そんなことを考えていたらシュペングラー「西洋の没落」という本を思い出した。

西洋の没落 1 /中央公論新社/オスヴァルド・シュペングラー

シュペングラーが、グローバル化が進むと西洋は没落していくと、予言書のようなこの本を書いたのは、今から100年以上前の1918年だ。

一般的な世界の見解は

20世紀の大きな世界大戦をへて、世界の政治経済の中心は西ヨーロッパからアメリカへ移り、冷戦崩壊後はアメリカの覇権のもと資本主義経済は未曾有の繁栄を遂げグローバリゼーションは進行している。
というものだろう。

しかし、シュペングラーは1918年の時点でその世界が向かっていく方向を予見し、さらにそれを没落を見なしていた。

彼の本に説得力があるのは単に自身の考えを論拠なく述べている予言書という類のものではなく、古今東西のあらゆる世界の文明の歴史を考察し、政治、経済、哲学、数学、絵画、音楽、建築、メディアなど、人類の文化、文明の全てを網羅しながら一つの大きなストーリーになっているからだ。

没落の現象

シュペングラーは起こりうる現象として以下を予見している。(以下の言葉を直接使っているわけでない)

経済成長の鈍化

・グローバリゼーション

・地方の衰退

・少子化

・ポピュリズム

・環境破壊

・機械による人間の支配

・西洋以外の国が台頭

・金融が支配する世界

どうだろうか。

これらの主語はあくまで「西洋」として、上記のようなことが起こりながら没落していくだろうとシュペングラーは予見したのだが、今の日本を見ても全てその様になっていないだろうか。

つまり西洋とその覇権を握るアメリカが没落の一途を辿る中、それに追随するだけの日本も同じ様な道を歩んでいるのだ。

文化から文明への没落の段階

シュペングラーの考えでは、「文化」はいずれ「没落」する運命にあるという。その流れを四季に例え、

勃興(春)→成長(夏)→成熟(秋)→衰退(冬)

としていたが、その中でも特徴的なのが、彼が「文化」と「文明」を分けて考えているところだ。つまり、文化が成熟して秋以降の段階で文明になるとしている。

そしてこの考えによれば、西洋文化は印刷革命、ガリレオやニュートンなどの科学革命、大航海時代の地理上の発見が起きた16−17世紀が夏であり、18世紀以降に起こる産業革命(蒸気機関の発明)から帝国時代に続く19世紀以降は、西洋文化の秋になり、文明となって没落に向かい出したということだ。

これは一般的な「19世紀の帝国時代が西洋文化が花開いた夏」という考えとは異なるところが面白い。

また、シュペングラーの考えの特徴としては、ギリシャ・ローマ時代とその後の西洋とは違う物だと考えているところだ。

ギリシャ・ローマの時代は無限に拡張していこうと精神はなかった。しかし、西洋の精神は13世紀くらいから、外へ外へ拡張していくというものに変わっていった。経済は無限に拡張していくと考えたり、地球まで飛び出し宇宙へと拡張していく有様を「西洋の文化」になっていった。

日本に当てはめてみる

そして彼のいう「没落」というのは外面的な物質の豊かさという観点からではなく、人間としての精神の豊かさという観点から西洋の春夏秋冬を見ているところが、今の日本を見ていてもぴったり重なるところが改めて怖いと思った。

日本は戦後、極貧の状態から急激な高度成長時代を経験し、大国の仲間入りを再び果たしたという経緯があるが、その戦後から僅かな時を経て、日本人としての精神の気高さや日本人としての誇りを捨ててしまったように見える。

確かに物は溢れている。人々の生活も格段に良くなった。しかし、人々は幸せそうだろうか。欲が欲を呼び、人間としての生の喜びを大事にして生きることの大切さなど忘れてしまったかのようだ。

明治維新から始まる流れ

またこのシュペングラーの視点が興味深いのは、彼が西洋が没落し始めていると感じていた時期と日本の明治維新の時期が重なるところだ。

つまり、あの頃の日本は「西洋に追いつけ追い越せ」の真っ只中にあったが、そのお手本にしていた西洋がシュペングラーに言わせれば既に没落し始めている姿だったということだ。

このシュペングラーの本を読んでいるいないに関わらず、最近

「日本の江戸時代は実は凄かったのではないか?日本の衰退は明治から始まっていたのではないだろうか?」

という意見を日本人の間でもちらほら見られるようになったのは偶然ではないと思っている。

世界の流れが何かおかしいと直感的に気づく人が増えたのかもしれない。

それは2020年の大統領選挙、コロナ騒ぎ、注射のこと、ロシアとウクライナの戦争、安倍総理の暗殺、物価の高騰、昆虫食への異常な煽り等々、で実体化して目に見える形になってきたからなのかもしれない。

経済の停滞とそれをごまかす金融

日本は経済成長を30年以上していないとよく言われる。これも世界的な流れから見たら冬の時代に入っているからなのかもしれない。

そして、アメリカは日本に比べて成長していると言う人もいるかもしれないが、アメリカも1970年代後半くらいからずっと長期停滞の時期にあったと指摘されており、その中で有名な人といえばハーバード大学の経済学の教授で財務長官も務めたローレンス・サマーズがいる。

成長しているように見えるといっても、実のところアメリカ男性の労働者の実質賃金の中間値は1970代半ばと今と比べてもほとんど変わっていない現実があるからだ。

インターネットの第3次産業革命も90年代の半ばには生産性の向上には寄与した部分があったが、その後はエンタメや通信の発明が頻繁になった。様々な新製品などで技術革新がされているように見えるが、そのおかげで生産性が上がったり、人々の生活水準が抜本的に良くなるというイノベーションは起きなくなっている。

だからアメリカは格差が拡大の一途をたどり、中産階級がどんどん没落している。アメリカで巻き起こったトランプ現象というのは偶然ではなく、そういった中産階級の不満の勃発の現象であったのだ。

結局、2008年のリーマンショックで、その経済の鈍化をアメリカはずっと金融で誤魔化していたのが露呈してしまったのはご存知の通りだ。

この金融資本主義によって富裕層の上位1%が世界の富の半分以上を独占するというとんでもない世界になってしまった。

グローバルは野蛮?!

シュペングラーによれば、金を追っかけて色々な所に行き、育まれた土地に定住しないグローバルな生活様式は、太古の昔にマンモスを追いかけていた狩猟民族のような野蛮な時代に戻っているように見えるらしい。

面白い考え方だ。

そして、そういう勝手放題あちらこちらに行く”野蛮”な人たちが大都市に集まってくる。それが世界レベルになるとグローバルシティになる。

代表的なニューヨーク、東京、上海をみても明らかなように、集まってくる人たちはやはり金融セクターとサービス業が多い。

そして反対に地方にある土地や自然を相手にする職業は置いてけぼりをくらって、格差が広がり、過疎化が進み衰退していくという現象になる。

地方の側がその経済格差に対して不満を言えば、その土地柄とは全く関係ない都市的な金儲けの商業施設を押し付けられたり(カジノが良い例)する。地方の側が望む例もある。

このことに関してもシュペングラーは面白い予見をしている。

文化や地元を失って、都市で知的作業だけをしている人間というのは極度の緊張に耐えられなくなって気晴らしが必要になってくる。そこでカジノやスポーツ観戦をすることでストレスの発散をしようとする。(パンとサーカス)

そして、人間がそういうことを求めだすのは、知性に傾きすぎたが故のことで没落の兆候であるという考えていた。

確かに文化や地元から隔離され、抽象的な金儲けのためだけの知的な作業のみをしている人たちは、いっときの刹那的な娯楽や気晴らしに多額なお金をばら撒いたり、精神科にかかったりしている人が多いというのは偶然ではないということだ。

金融資本主義と政治が繋がる

シュペングラーはこの極度に偏った金融資本主義が政治を動かすことも「金権政治」という言葉を使って予見していた。

金融資本主義によって巨大になった企業が政治家に多額の献金をすることで、金融規制はできなくなり、益々、巨大になっていく。そしてそれらと政治家の癒着が切っても切れないものに発展していく。

彼はいう。

「貨幣が知性を破壊しさったのちに、デモクラシーは貨幣によって自ら破壊される。」

アメリカのロビー活動とよばれるもののは、聞こえはよいが実質は政治家への献金活動と差異はなく、その上限の規制もとっぱらってしまったアメリカはますます「金をくれた人に都合のよい政治」をする国になってしまった。

日本はどうなる

日本はこのグローバルの没落の流れに押し流されている。

日本人というのは、自然や他者との共生と調和が不可欠な稲作を発展させ、氏神崇拝や先祖崇拝を大事にすることを代々、受け継いできた民族だった。

まさにグローバルとは真逆の歴史を歩んできた民族といえる。

そんな国の民族が今や、グローバル化がまるで自身に幸せをもたらすという幻想を抱かされ、動かされているように見える。

しかし、その欺瞞に意識的、無意識的に気づいている人は実は多くいて、日本の没落を直視できない人たちがその不満や焦りの吐口に、隣の国への悪口に終始したり、日本上げの番組や日本を誉めてくれる外国人を見て悦に入ったりしているのかもしれない。

こんな困難な時代において今の日本人は

・現実を無視し続けながら没落の一途を辿るのが道なのだろうか。

・それとも絶望にうちひしがれるのが道なのだろうか。

・それとも、辛い中でも前向きに頑張る精神が必要なのだろうか。

どれが良いのか答えは持ち合わせていないが、私は現実逃避はせず、しかし、希望を忘れて生きていくことだけはしたくないなと、この本を読み返していて改めて思った。

【今回は『没落?!日本の行方は変えられるのか』について語っていきました。最後まで読んで下さりありがとうございました。
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