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【事業承継の難しさ〜中小企業編】

創業者が苦労して立ち上げ、幾多の困難を乗り越えながら、自分の会社が発展していく。社長にとってこれ以上の喜びはない。この繁栄が永遠に続くことを願う気持ちは、すべての経営者に通じることだろう。

しかし人は等しく年を取る。自分だけは人より若く、いつまでも社長を続ける自信があっても、いずれは後継者に跡を譲る「事業承継」という問題にぶち当たる。

上々企業や大会社のいわゆる「雇われ社長」なら、実力・派閥・持ち回り等、諸般の事情で社長が定期的に引き継がれていくが、こと中小企業はそうもいかない。

カリスマ性や人脈を持った創業社長の後継者として、一番相応しい(と思われている)のは、その長男である。「跡取り息子」だ。

長男が嫌がったり、他の道に進めば次男にお鉢が回ってくる。跡取り息子がいない家系なら、娘に婿を取らせて後継ぎにする。

「出来の悪いせがれより、良い婿さんを貰って継がせた方がいい!」などと、令和の時代でも普通に語られるのが「家業」の定めである。

👤私の場合など、先代の社長(叔父)が安売りばかりで大赤字を出して倒産寸前だった時、銀行から融資を受けるバーターで代替わり(社長交代)したレアケースだろう(今ならあり得ないw)。


私が経営していたスーパーは、山梨にある中堅ホームセンターと一緒に出店した店ががいくつもあった。

そのHCは株式を公開している優良企業で、社長さんは個人的にも様々な経営の指導を頂いた恩人でもある。

そのHCの創業者は、「自分の息子は会社の役員ではあるが、経営者の器ではない」との考えから、外部(人材バンク)からその人を招聘し、専務〜社長へと昇格させ、見事に資本と経営の分離を果たした。(自分は会長職・息子さんは財団の管理会社へ)

自分の息子をあえて切る決断はさぞや悩んだことと想像する。

その社長は後にHC「カーマ」の社長となり、ダイキ・ホーマックと共に設立した連合体『DCMホールディングス』の社長にまで上り詰めた(現会長)。

そして自分の古巣である山梨のホームセンター(くろがねや)もDCMの傘下に収め、そのご恩に報いるという後日談に繋がる。(大したもんだわ!)


会社はいずれ形を変えるか、無くなるかのどちらかである。譲渡(またはM&A)・清算・はたまた倒産で失くなることもある。

経営の苦労を人一倍知っている社長は、できればその苦労を息子にさせたくないと思う。願わくば早い時期に自分が会長となり、社長になった息子と二人三脚で経営する時期を長く持つのが理想だろう。

しかし健康問題や経営環境の変化の中、『事業承継』に最適なタイミングなど無いのである。やるならさっさとやるべきだ。そしてせがれも嫌ならキッパリ断るべきである。(銀行融資のポイントに後継者の有無は大きなポイントとなる)

私など、生まれた時から「跡取り」と呼ばれ、職業選択の自由もないまま跡を取り、やんや頑張ったけど倒産+自己破産💧。時間が取り戻せるなら、あの日に帰って公務員試験を受けていたかも知れない (笑)。

今にして思うと、私の代で会社の幕を下ろして良かったのだと思う。あんな思いを自分の子供にさせるくらいなら、自分が背負って後始末が出来たことを嬉しく思う。

願わくば、親のエゴや社会のイメージ、そして自分がそうだったから!という無責任な理由で、ご子息が後継者になることを無理強いしないで欲しい。

令和は2代目どころか3代目への継承が始まっています。
オヤジさん、よ〜く考えて!私の様に後悔しないためにも🙏🏻


※最後までお読み頂きありがとうございます!

あなたが失敗した時、迷った時、逆境の時、倒産地獄から生還した私だからこそできる励ましを届けたい。皆さんの力となり、笑顔になれる記事を投稿していきます。私もまだ発展途上です、一緒に成長していきましょう!

【小林 久ホームページ】

https://www.kobayashihisashi.com


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