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【イタドリ探訪記②】旬に従うと地に足がつく

イタドリ探訪記①の後半。〉

「イタドリとの思い出はある?」


健一「20年ばぁ前の話よね。愛媛の方はイタドリを採って食う習慣がないから、イタドリがあるからゆうて、愛媛の方へ採り行ってた。ここから1時間ちょっとかけて、軽トラに一杯くらいを年に5回くらい行ったろうかね。」

私「なんでそこまでするの?」

道子「山の中をごそごそ這ってね、採るのがおもしろいの。一か所見つけるとたいてい10本くらいそばにあるのよ。宝探しみたい。」

建一「そうそう、ほんで、春先に一番、、一番とは言われんけんど、とにかく早う芽が出るのがイタドリが早う出るがよ。ほかの山菜とか植物より先に出るわけよ。」

どうやらイタドリは文字通り、春の到来を知らせるお宝らしい。
実際、4月を迎えた途端、一気に芽吹く。
しかも、5月に入るころには育ちすぎて食べるには硬くなりすぎてしまう。新芽の出る喜びの儚さも、おそらく彼らはよく知っている。

ここ大野見は、標高300mの高原台地なだけあって冬はやはり寒い。
近年の積雪はずいぶん少なくなっているらしいから、昔はもっと厳しい寒さをしのいで春を待ち望んでいたに違いない。

大野見の雪景色(2022年12月)

しかし、軽トラ5台分のイタドリを塩漬けにして市場で売りさばいたとしても、2万円ほどの儲けだったようで、「お金にするため」という銭ゲバ的な野心をあまり感じない。
それよりも、山の中でイタドリを採りたい、という好奇心の方が先んじているのが言葉にせずとも伝わってくる。

大野見のおじいちゃんおばあちゃんはよく働くが、それがなぜだか少しわかったような気がした。

「休みの日ができたら何したい?」


健一「1時間ばぁ、寝転びたいね。本当はやりたいことはいっぱいあるけんど、できんづつ山がこんなになっちょらーね。家の周りの山仕事とか草刈りをしたいとは思いゆうがやけど、なかなか追いつかん。あとは田んぼの周り、川べりを草刈りせんと茂ったらイノシシらが出てくる。作りゆうもんを荒らされたら嫌よね。今年もうちの田んぼ、4分の1くらい食べられた。」

素人目から見ると到底荒れているとは思えない裏山を横目に、自宅で育てている原木椎茸を採って分けてくれた。
そうしている間にも、みっちゃんが庭で採れた甘い柿をむいて持ってきた。

この人たちは本当によく働く。というか、休むのが下手だ。

「どこか出かけたい場所はないの?」
「まあ、どこどこいきたいってのはあるわね」
「どこ行きたいの?」
「ど、どこってことはないけど、なんのとこいってみたいとかあるわ」
「たとえば?」
「たぁとえば、、、いまぁ、、紅葉狩りとかはいいね、、黒孫渓谷とか、、」

さっきまで威勢よく饒舌に話していたが、不意を突かれたような質問に口ごもった。
「行きたくなさそう」ではないけれど、どこか現実味のないつまらない話でもしているかのような反応にこちらが戸惑いそうになる。

なるほど、これを「地に足のついた暮らし」と呼ぶのかもしれない。

私は次の仕事をしたそうに立ち上がった建ちゃんを前に話を切り上げることにした。

【完】


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