見出し画像

宴と殺人と祈りの神社。

蝉時雨のなか、松葉川温泉を後に併用林道、さらに営林署の専用林道(鈴が森へと続く)を上ると三ツ又部落の飛地、高山へ到着した。 藩政時代から昭和三十年代まで生活を営んで来たこの部落も無言の里となり約二十年を数え、耕すことなくして十余年を経る。かつての住居跡も耕地跡も、葛(くず)と竹とに覆われて、いずこか定かではない。

本広報九十八号(昭和四十九年 五月号)での高山の部落探訪には耕地面積一町五反とある。最盛期には戸数八戸を数え、農業だけで生活している家も三軒あったという。 他は炭焼や林業で生活をし、生活物資や炭、その他の製品は、多久羅峠を越し奥へ出て竹原まで運んだという。

当時の子どもたちも、この道を朝晩松明をつけて南小学校(竹原)へ通ったという。今では想像もできないくらい忍耐を伴ったことであろう。

この平和な山峡の小部落にも、大正末期の夏の盛りに、悲惨な事件が起きたという。

A子さん(30才)とB子さん(20才) 姉妹が農作業をしている時S(47才)がにこにこ顔で近づい て来るなり、いきなりチョウナでA子さんの首に切りつけた。彼女は一言も発すことなく息絶えた。

そして、Sは家へとって帰るなり、今度は猟銃を持ち出し、近くで馬の荷をしていたA子さんの義父さんに向って一発射ったが、ちょうどうつむいた時だったので、弾は頭をかすめ、間一髪のところで、Cさんはことなきを得た。B子さん、Cさんが家へ逃げ込むなり、その家に火を放ち山へ逃げ込んだ。

火は家を焼き尽くし、畑のきびにも燃え移り、一面のきび畑を焼いた。

 夫あるA子さんを好きになったSは、A子さんを連れて高山を出ようと考えていたが、そのことが Cさんの耳に入り、事件の一週間くらい前にも、柿の木の下でS、A子さん、Cさん三人で話をつけようと一日中座っていた。しかしどうにもならないと悟ったSは、それから毎日チョウナを研ぎすましてこの機会を待っていた。

 この事件を知った須崎署は、相手が猟銃を持っているということで、警察、消防団合わせて約六十人の者を高山へ差し向けた。

 事件から三日目、まだSを発見できないので、今日は山狩りをするといって、隊を編成し終った時、 龍王様(海津見神社)の方角からズドーンと鉄砲の音がした。大野見の駐在が真っ先に駆けつけてみると、Sが鉄砲腹を切っていた(猟銃自殺)。駐在が「水は欲しくないか」と尋ねると、「くれえ」といい、龍王様の手水を口に含まし て、末期の水とした。

龍王様(2023年2月)

 その後Sのなきがらはムシロに包み谷へ埋めたが、埋めた時刻になると、谷川からSのオーイ、オーイと呼ぶ声がする。たたりを恐れた里人は、なきがらを引き上げ、埋め直し、石碑を建て、Sを弔った。そうするとSの呼ぶ声は止んだ。

 Sはこのような凶行に走ったが 日ごろは真面目で部落のことも進んでしていた。A子さん、Cさんを殺害したのち自分も死ぬつもりであったといった。
と、当時を思い出しながらB子さんは語ってくれた。

 Sが猟銃自殺を図った龍王様も今は専用林道から三分で登れる。 この神社も、元は鈴が森の上にあり、その後中腹に降ろしたのち、今の場所へ更に降ろしたという。 夏草が生い茂り、年二回の祭りの時以外は訪れる者とてなく、蝉の鳴き声だけが周りに響いていた。

【出典】
1983年8月 第209号 広報 大野見
(発行 大野見教育委員会/編集 大野見村広報委員会)


酒宴の場でもあった龍王様

「広報 大野見」は、常に古き良き美しい物語だけではなく、人間の暗く汚い側面も語ってくれる。
物語は、恋心が狂気に変わるというただのノンフィクションサスペンスであるが、舞台となっている高山も鈴ヶ森も、龍王様(神社)も今なお存在している。

こう切り取ると、龍王様も高山も暗い印象が先行するが、龍王様は特に、感染症が流行る数年前まで、近隣の村人が集う酒宴の場となっていた。
大野見の村人は、ここで飲んだくれたのち、街道(昔の人が通った山道)を歩いて帰路に着くのだが、酔いも相まって道中よく足を滑らせたとか、、。
そんな笑い話をよくしてくれる地元の人たちの話しぶりから龍王様への愛着を感じる。

龍王様の床下に呑んだ形跡が、、

龍王様に祀られている海津見神社は水の神様であるといわれており、村人は豊水を願い、たびたび街道を通り、ここを訪れていたという。大野見は標高の高さによる寒暖差、水源の近さから、米作りが盛んだが、降日照りが続く干ばつの年にはここにきて祈ると大雨が降る、と言い伝えられていたらしい。が、いまの地元住民の話を聞く限りは、祈りの場としてよりも宴会の場としての存在感が強いように感じる。

海の神をまつる海津見神社が、山上遙か海を望もうという高山の地に勧請されたのが、幕末の嘉永三年(一二六年前)であって、アメリカの黒船が浦賀に来航してから四年後のことであったらしい。
当時は日本中が、攘夷か開国かでごった返していたのであって、僻村のこの地にもついにその波が伝わってきたために、海の神をここに祭ったのではないかと察せられる。(『広報 大野見』おらが村だよー 旧道シリーズより)

文字通り山の中にある龍王様は、今年の春、そのアクセスのしにくさと、地域住民の高齢化により、簡易的な社を地域の中心部付近(川奥)に建て直すことになった。

3月、龍王様の御神体の遷御が行われた。

新しく建てられた簡易的な社には人が皿鉢料理を囲めるほどの広さがないため、神社で酒を飲み交わすことはなくなるだろう。
酔っぱらった村人が足を滑らせていた街道も、人が通ることはなくなるだろう。

こうして、春風の吹く3月末日、大野見の村人の物語が紡がれてきた場所がまた一つ幕を閉じた。

この記事が参加している募集

山であそぶ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?