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実際に使える防災知識とは 1

先日、私のXアカウントで(旧 Twitter)突発的にゲリラスペースを
開きました。内容は、防災について。

私は、防災士な訳でも無く。
単なる一般市民ですが、一つだけ言える事は少しだけ被災経験があること。

元々、静岡市で生まれ育った私。
静岡では、40年近く前から東海地震が「いつ起きてもおかしくない」などと言われており、その時代に育った子供達は、本番で困らない為のスパルタ防災教育を受けて来ました。

実際に、大地震を想定した避難訓練では。
被災後に、安全な時間内に校庭まで脱出し、点呼をする。
そんなストーリーが決められており、毎回校長がストップウォッチを持って避難が終わり点呼するまでの時間を計っていた時代でした。

少しでも遅れれば
「本番だったら、君達は死んでます!」と怒られる。そんな状態でした。

時には「校舎のとある場所から出火した」という想定で階段下で煙を出し。
安全な経路を教師が考えて、生徒を誘導し避難するというオプションがあったり。

階段下で、避難中の生徒を1人、2人抜き去って点呼の際。人数が合わない想定を作り出したりと、よくもまぁ・・・という凝った想定も毎回おなじみでした。

また、面白い所では。
私の母校(小学校)は校庭から海が見えるという、津波被害が確定したような立地でした。そこで、避難訓練は校庭に避難するという想定は出来なかったようです。

一般の小学校は、体力の無い低学年が校舎の低層階。
高学年になるほど、高層階が教室になるというのがセオリーですが。
母校は、1階が6年生、2階が5年生。と言う感じで、1番上が1年生の教室でした。なぜかと言えば、地震に遭遇したときに低学年の子供達が、速やかに高所に避難するのは難しいと判断したからだそうです。

避難は・・・。
発震と共に、机の下に潜り。
揺れが収まると、3階から上はカーテンを引き。
窓際を避けて廊下側に固まって待機。
5年、6年が階段を駆け上がり。
6年生は、屋上へ。
5年生は、最上階の廊下へ。
そんな避難訓練だったのを思い出します。

これが、静岡市のスパルタ防災教育なのですが。
我々が学生の頃は、まだ「揺れたら先ず料理をしていたら、火を止める」でした。実際に今は、揺れと共にガスの提供は安全装置で止まります。

そう、ガスを止めないで・・・即、身の安全を守る行動に移る事が出来るのです。

時代は移り変わり、そしてガチガチの防災知識は・・・意外と使えない。
そんな経験をした私が、防災について話したい事ということで。
思いつきでXでスペースをしたところ
「為になるので、録音して欲しかった」というお声をいただいた為。
もう一度スペースを同じテーマと内容で、しようと思ったのですが・・・。

多分、文章として残した方が皆さんのお役にたてるのでは?
と思い、急遽noteにまとめていこうと思った次第です。

最初に書きましたが、私はプロの防災士でも何でもありません。
単なる、一被災者です。

次回更新から、細かく被災経験と、その時困ったこと。
そして、役に立った物等を書いていきたいと思っておりますが・・・。

まず、被災歴でも挙げて置いた方が見ていただく方の期待度も上がりそうなので書いてみたいと思います。まあ、経歴挙げてもどうかと思うのですが・・・。一応、被災歴を挙げて見ますね。

うーん、気が重い。
大きく生活に影響の無かったものは、省いております。
我が家、1~2年で異動をする全国転勤族です。
なぜか、異動した土地で被災する事が多いです。

夫が、災害を呼び寄せるのか?
会社が、我が家に試練を下さっているのか(笑)
本気で、そろそろ被災経験は卒業したいところです。

1995年 阪神大震災(独身時代夫のみ)
2001年 芸予地震 M6.7 最大震度6弱
2003年 平成15年台風第14号(マエミー)カテゴリー5
2004年 紀伊半島南東沖地震 M6.9(前震)M7.4 最大震度5弱 津波有り
2011年 東日本大震災
2018年 西日本豪雨

被害級だけ抜き出すのこんな感じになります。
被害の無い物を含めると、多すぎて面倒くさくなります。

まあ、そんなこんなで。
被災してみて、気がついたこと。
被災してみて、これを前持って知って置いたら楽だったな。ということ。
知っておいてほしい、防災知識。

などを、これからシリーズで書いていこうと思っております。
どうぞ、今後の更新をお見逃し無く。

といっても、誰も興味持たないかも知れませんが。
見ておいて損は無いと思いますので、是非お付き合いくださいませ。

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