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なんでもアナリシス ネタバレあり  第三回『キャプテン・マーベル』+『エンドゲーム』

以前『スター・ウォ-ズ』の続編をディズニーが作ることになった時
「なにしやがんだ、ルーカス!」
と本気で怒っていた知人がいた。ディズニーにSFは作れない! って。
『スター・ウォ-ズ』がSFなのかどうか、ボクは一番最初の三部作しかみてないのでよくわからない。最初の三部作はほとんど神話の作り方だった。

で、『キャプテンマーベル』なんだけども

「あー、こりゃあSFじゃないわな。このノリで『スター・ウォ-ズ』作ったら怒るわなあ」
と思った。 出だしがスペースオペラっぽいけど、やっぱり違う。個々の質量があんまり感じられない。人間も装備も。SF映画って質量や重量がすごく大切ではないかと思うけど。
スーパーヒーローの映画ってSFじゃないんだなあって改めて思いました。

脚本でここはいい!と思ったのはバースの過去を探る事が物語の駆動力になってる辺り。人物の造形と物語の進行が矛盾なく進んでいく。
これは上手い手ですね。

もう一つ上手い点。
悪いやつと思ってた相手がそうではない、となってバースが納得するくだり。話してるだけなんだよね。命かけて戦争してたのに「我々は移民だから」で納得するのか?と思っていたが、そのあと逆転する場面を用意して、ここに真の悪役を当てている。しかもこの悪役、自分から
「バースは全部知ったのか?」
なんて訊いて、いろんな説明を省いて通じるようにしてしまった。この早い展開は上手かった。キャラクタの無慈悲さも出ていて良かったです。

主役のブリー・ラーソンは美人過ぎずマッチョすぎず、とても良い感じ。

それにしてもマーベル=ディズニーの映画は
商売上手だ。まず子ども向きに徹してるのがすごい。大人しか出てこないのに子ども向きは変だろ?と思うかも知れないけど、登場人物がみんな信条で動いている。感情のふりしてるけど信条で動いてる。こういうのは子ども向きに作ってあるからだ。
そして子ども向きの作品は大人も見るので売り上げがでかいよなあって改めて思った。大人向けの映画は大人しか楽しめないのでマーケットが広まらない。ウディ・アレン見る小学生なんていないだろうし。

ボクは『アントマン&ワスプ』と『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』を飛行機の中で見たけどちょうど良い手軽さだった。
ボクはこのマーベルシネマティックユニバースってのをシリーズものだと思っていなかったので『アントマン&ワスプ』を見たとき
「あ? なに、この終わり方?」
と思ったモノだ。つぎに『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』を見てようやく納得。
こう言うやり方は上手いと言えば上手いが、脚本のつじつまを合わせるためにあちこちに必要以上のフックを残すことになる。ある意味ご都合主義だが、それを見せないのも制作サイドの腕や力量なんだと思う
例えば『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』ではやりすぎるだけやってしまったので、最終話(『アベンジャーズ/エンドゲーム』)でワイルドカードを唐突に切らざるを得なかった。それがキャプテン・マーベル。

マーベル=ディズニーが上手かったのは
『ワンダー・ウーマン』のヒットを受けて女性ヒーローを出したこと、そして「こんなばか強いキャラクタを出したら、そもそも事件なんか起きないじゃん」と気がついてつじつま合わせの最終話の予告編一本を作って、しかもそれを大ヒットさせたことだろう。これがつまり本作『キャプテン・マーベル』の立ち位置だと思う。

そうすると最終話『アベンジャーズ/エンドゲーム』で起こることは…。

・最後はキャプテン・マーベルが決着をつける
 →そのために出てきたんだからね。

・消えた命はキャプテン・マーベルが元に復する。その代償でコア(猫の化け物がゲロゲロ吐いたヤツ)とキャプテンマーベルはこの時空から消える。もしくはコアの力が消えてキャロルは普通の姉ちゃんに戻る
 →こんなバカ強がいたら、他の人たち、いらねえ。

こんなところか?

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