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お金があっても偉くない

写真にあるのは、私が育てているボクシングジムの選手達。まだ16歳の子もいる。

この子達にこの様な事をさせる理由と、今回のお題である「お金にまつわる話」がどう関係するかを、共に考えてほしいと思う。

私は産まれてこの方、両親以外から借金というものをした事がない。ギャンブルもしない。

何故か?
一つは、生い立ちに起因するものが多いと思う。

田舎の市議の娘と、当時の国鉄で働く両親に育てられた私は、子供の頃からお金の貸し借りなぞ見た事も聞いた事もなく、幼少時代を過ごした。

御年79歳になる母だが、母が布団で寝る姿はついぞ私は今だに見た事がない。よく働く母には頭が上がらなかった。

18歳の時、25万円の車を購入する際、初めて父にお金を借りた。

周りの友達の半分は親に買ってもらうか、仕事をして買った。私は20歳を超える迄、仕事をろくにせず遊び呆けて返せなかった。

しかし父が、息子である私に行う取立は、非常にシビアだった。

「借りたお金は、一円残らず返さないといけない、仕事をしてないのはお前の事情だ。いつ返すか期限を切れ」。

確かに正論だが、この頃はケチな親にしか思わなかった。

仕方なく私は、たまに日雇いに行ったりして返済していた。ある時、交通事故を起こした時の保険給付金を、全て父に召し上げられた。

2年程かけ、何とか全額返済したが、そこに至るまで父の持つ手帳に残額〇〇万〇〇円と円単位で記載された手帳を見せられ、お金の大切さを朧げだが分かったような気がする。

この時の経験が一つ。

次に私の行っていた職業にも起因する。
私は21歳の時、やっと準大手消費者金融に正社員として就職した。これが後に、私に取ってはとても良い経験となる事となる。

仕事は、消費者金融会社から借りてる顧客が、返済約定日から3日延滞すると、私が所属する管理部に回ってくるのだが、即、職場に督促電話をする。

嫌でも顧客リストが全て頭に叩き込まれる。

その上で、お客様の職場に会社規定のマニュアル通り、偽名を使い丁重な言葉で督促電話をする。

上級の国家公務員や、社会的に身分の高いと思っていた職業の方が結構いた。

これには驚くというよりショックだった、というのが本音であると同時に、現実社会とはそういうものか、と認識させられた。

金融業の面白さに興味を持った私の趣味は、法律と読書である。

その後、コツコツとお金を貯め、私は25歳で遂に念願の起業を果たした。子供の頃から社長になりたいと思ってたので嬉しかった。

こうして金融業の社長となるのだが、これがお金の意味を知るスタートとなる。

あれから30年が経つ。金融業は起業後10年程で廃業届けを出して引退したものの、父親の血を引いたのか、我が社の焦げ付きは圧倒的に少なく、同業他社の追従を許す事はなかった。

開業して5年間は一切の焦げつきはなし。金融業の方ならこれがどれだけの事か、お分かりになると思う。

当然、面白い程儲けた。当時、私が行う金融の種別は日賦金融業者と呼び、原則として毎日集金に行かねばならない。

更に、日銭の入る自営業者専門にしか貸付けられない、という法律で括られる業者だった。

所謂サラ金が、出資法で上限金利を規制され、年々低くなる中、日賦業者と質屋は特例で年率109,5%まで金利を頂いて良かった。

儲からないはずは無い。この時、私の社が、北九州市で一番と言われた。

その理由には、21歳で準大手金融会社に一年半いて、お金を返す人とそうで無い人の違いが読めるようになった事が、一因の様に思う。

趣味は法律と読書と既に書いたが、元々素質があったのか、元来人の心理を読む事に長けていた私は、心理学の本を読んだ。

これが融資の際、役立つ事となる。

実は金融業は貸す時が一番大切で、まず借入申込者の話を黙って聞く。

その間、借入申込者の目と手の動きの大きさを見る。次に呼吸法を見る。

お金を借りる常習者は、どれだけ腰を低くしようが、腹式呼吸で話す。

腹式呼吸は大変いい事だが、25歳の名も知れぬ者が経営する、金利の高い、いわゆる街金に来て堂々と腹式呼吸ができる、という事が何を指してるか。

言わずもがなである。こう言う人は必ず「お金を借りるのは初めてです」と平気で嘘を言う。

こういう経験を体感し、独自に嘘つきのパターンが、自然と頭にインプットされた。そうすると私だけの統計学が成立する。

起業後、半年もすると申し込んできた顧客の声、話し方で、その人の人物像が分かり出した。

実際審査に行くと、電話申込時に私が思う人物像と、会った時の人物の予想が外れた事は殆どなかった。

次に法律だが、当時は「オイコラ」が主流の街金が多い中、民事訴訟法、民事執行法を徹底して勉強した。

法律で責められることを嫌う人には、裁判所に訴状や、支払い命令(現在は支払督促に変更)の申し立てを行う。

他社なら、顧問弁護士を常駐させないとできない事を、独自で取り入れ行う。悪質なお客の集金でのイザコザも、相手が反論ができぬ質問をする。

レベルは低いが「返せない」「返せ」という、ディペートとなる。

他の業者と、その内容は完全に異なった。国会中継をたまに見て、
与野党の攻防で使えると思う物を取り入れようと見た時期もある。

そうこうしてると、儲けは倍々ゲームの様相を呈し、いろんな業種、いろんな人種が寄って来る。この人が「お金を貸してください」と、私に言うまでどれ位の期間かさえ分かる様になる。

「貴方には貸さない」と言うと、この人はそれでも付き合うのか、2度と寄ってこないかも、30歳位の頃、全て分かるようになった。

金融業の道に行った事は、後に大きな実践勉強となり、現在行う事業の礎となっている。

綺麗事ではなく、お金は人を生かす事も殺す事もできる。考えようによるとこんな恐ろしい物はない。

金融業を営んでるこの間、私がお金を貸した相手は、本物の浮浪者から元大臣迄に及ぶ。

お陰で社会の底辺もその逆も、普通のご同輩よりは多く見て来た。

金融業は商品がお金、現金だから、お金を愛す事はならない。

貯めておくより貸していた方が、利息という名の現金という商品が付き、これを貸し付ける事で更に増える。

こんな日々を続けてる時、お金を貸して儲けても、その先に何も見えないな、と思い出した。

この頃から手堅い株や、投資信託にお金を分散する様になった。

お金儲けをして成功する人の中には、貪欲にグレーな手法ギリギリでお金儲けだけを永遠に追いかける人がいる。友人からも儲けようとする。

別に否定はしない。資本主義とはそう言うものだ。

私は出来なかった。月にお小遣いが100万あれば、お金持ちだといって良い。

友情まで売り飛ばし、悪魔に魂を担保に入れて、お金だけを追い求める。
これは人として絶対良くないと思う。資本主義もコロナの後には終焉を迎えるだろう。いや迎えるべきだと思う。

いつしか私は、戸惑い悩み踠きながら、儲けたお金を将来どうしようかな?そう考え出した。

今もそうであるが、そんなある日、こんな記事が目に入った。

お金があれば偉いという事はないが、お金があれば人を助ける事ができる。

ジャッキーチェンの言葉だったが、この言葉は響いた。では誰を幸せにすればいいのか。

当時無償でボクシングのトレーナーをしていた私は、諸々の事情から、あれだけやりたくなかったボクシング経営をする事となる。

これは、人生何度目かのターニングポイントだった。

独身で子供のいない私は、お金を銀行のローリスクローリターンの信託に預け、社員やその子供達が使える飲食店の、株主優待券を重視し株を持った。

優待券を従業員にあげ「子供と行けよ」と言うと喜んで貰えた。その株が今いくらなのかなんて、全然見なかった。

不思議とそうしてる内に、株というのは長く持つといつか上がってる。その時売ればいいと思い、不要になった時高値で売った。

ある日、ジムに幼稚園児の子が、お母さんと見学に来た。元気がいいので例外として入会を許すと、それから次々と子供達が入会した。

小学生で我がジムに一番最初に入った子は、駒沢大学ボクシング部を来年卒業し、当ジムでプロデビューする。

この子が東京の、一部リーグのボクシング部がある大学に行った時、卒業後は東京の大手のジムに行くと思っていた。

しかしそれはそれ。私は彼が学校の休暇で帰省する度、親心が出てボクシングの指導や人としての道を説いた。

ある時から子供にボクシングを教えるのではなく、教育もしなければならぬ、と強く感じだした。

私は仕事をそんなにしなくても、まあ生きていける。果たしてそれでいいのか。

自分さえ良ければいいと言う思考を、蛇蝎の如く嫌う私は、利他的な思想でいつも何か考えていた。

ジムで、無垢で心が真っ白な子供達を見ると、今の日本の教育が不安になり、その後「それなら私財を投げ打って、我が独自の教育機関のようなものを作りたい」。

来る日も来る日もそう考え、唱え続けた。ある時は嘘をついた子を叱り、ある時は自分の身の保身の為に、不手際を私の教え子に被せた教師と徹底して話し合う。

教え子に人としての正しさ、道徳を自分の行動と背中で教えた。

うちの子供が悪い事をした、という理由で謝らされたが、相手が謝らないのは不公平だと子供を横に座らせ、校長と一時間話し合った事がある。

その結果、全校集会でこれが俎上に上がった事もある。この時悪者にされていたうちの教え子と親御さんから感謝されたが、子供には産んでくれた両親の偉大さを説いた。

以前、モハメドアリに負け世界チャンピオンからただの人になり、ノイローゼでリングを去った、元世界チャンピオンのジョージ・フォアマンという人がいる。

40歳でいきなりカムバックし世間の笑い物になった。彼はこう言った。

「キリストの教会を維持するのに金がいるんだよ。それを必要とする子供がいる。その為だけに復帰した。これは笑い事ではない、真剣なのだ」。

彼はさらに笑われた。

しかしその後、フォアマンは世界チャンピオンに返り咲き、そのファイトマネーで教会を建て直した。

この試合は全世界が感動した。お金の為にこんな奇跡が起こるのかと思うと出来ない。

キリスト教の建物維持がフォアマンの動機で、お金はツールに過ぎないと言う事が動機であるから奇跡が起きた。

お金は人を殺す事も生かす事も、幸せにも不幸にも出来る。お金は誰かを幸せになるツールに使うべきだ。

フォアマンは正しく素敵な動機でリングにカムバックした。だから願いが叶った。

私は今、多くの書物を読み漁り、54歳にして道徳を勉強している。

徳を積めば得が来る。この得は利、であってはならず、必ず義でなければならない、と教えられた。

この義、とは「正しい事」を指すそうだ。

お金とは正しく利他的な気持ちで、公平で公正で平和になる世の中作りに使うものだ。

ジョージ・フォアマンがそうであった様に、正しく稼がないと、正しい使途に使おうと言う思考にはならないと思う。

ジョージ・フォアマンが中年になり、およそボクサーらしくない、腹が出た裸でタイトルを獲った時、こう言った。

「老いは恥ではないんだよ」。

我々はこれからの子供達に、お金に対する稼ぎ方や思考で笑われてはならんと思う。だから私はこれからも、教育と道徳を勉強する。

私も老いたからこそ、お金の事をこうして省みて、考えれる。
そう思えば、ちと嬉しい。




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