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バーン サムリ村#1

=君のパパとママに、僕はどんな風に挨拶をすればいいのですか?=
僕は日本語でスマホにそう打ち込み、変換された英文をマイに見せた。
僕とマイの会話は、スマホの翻訳アプリを介した簡単な英会話である。
「ホッファー、パパァ。ホッファー、ママァ」
濃い紫色のロングワンピースの上に、胸の部分に鮮やかな青と黄色の格子模様が描かれた袖のないチュニックの重ね着、リス族の民族衣装姿のマイがそう言って微笑んだ。チュニックの両脇は腰辺りまでスリットが入っており、ベルトをしているから、まるで前掛けをしているかのように見える。
日本を出る時、リス語はタイ語の方言の一つ程度に考え、タイ語教室に通うつもりでいたが、こちらに来て初めて、リス語とタイ語が全く異なる言語であることを知った。僕はタイ語教室に通うことを諦めた。若い頃ならいざ知らず、タイ語とリス語を同時に覚えるなんて、老化した僕の脳には到底無理な相談だと思えたから。現にタイ語でよく耳にする丁寧語、男言葉の《krab》、女言葉の《ka》は全く使われず、その代わりに会話の中に《bull》と言う単語が頻繁に使われる。
「《bull》の言葉の意味を教えてください」
「日本語の相槌の《そうね》とか、英語の《yes》のようなものかしら」
キッチンの床に立て膝をつき、クロックヒンと呼ばれる石臼の中に、唐辛子とニンニク、紫小玉葱、マナーオの果汁、それとエビと小魚を擦り潰し発酵させたカピを入れ、サークで叩き潰しながらマイが答える。潰された唐辛子が放つカプサイシンは瞬く間に部屋に充満し、僕は噎せ返り、涙を流した。マイが作っているナムプリックは、生野菜と一緒に食べたり、時にスープに入れたりと、タイの食卓には欠かすことのできない料理である。

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