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川越と『詩人と女』

 大型連休に出かけなければいけない、ということは全くないはずだが、私は埼玉県の川越市に出かけた。何をしに行ったかといえば、一応観光だ。
 前日は珍しく、酒を飲まずに寝たので朝はすこぶる快調だった。逆に少し眠り過ぎたくらいである。予定より1時間ほど遅れて、出発した。とはいっても、誰かを待たせたわけではない。A氏と川越で合流する予定ではあるが、時間も決めていない。私は川越に向かう電車に乗った。

 車内は混んでおらず、座りたい者は座れて、座りたくない者は座れないといった所。私は座る。本を読みたいから。人間、電車内くらいでしか本を読まない。ここ数年、在宅だとか徒歩出勤だとかで、電車に乗ることがほとんどなくなった私は、ほとんど本を読まなくなった。本なんて、知らない奴らと関わりたくない時だけ読むものだ。電車というのが本を読むのに適しているのはそういうことだ。
 私は読みかけの『詩人と女』を繙く、ブコウスキーの本だ。内容はほとんどポルノ小説だ。作者の分身が、出会った女と片っ端からすけべする小説だ。すけべして、喧嘩して、別れる。それの繰り返しである。

いや、わたしは作家になったただのアル中でしかない。

『詩人と女』 チャールズ・ブコウスキー

 小説の中のセリフ。一番、ピンと来た。すけべをしまくる間に、そんな一文が出てくるのだ。ただのポルノとはそこが違う。
 目の前の席には、子連れの女性がいる。子供は小さいのが3人。そんなのを連れて、電車に乗るなんて、とんでもない重労働だ。そして3匹の小悪党どもを見事に統率している。本当に尊敬する。私なら絶対無理だ。子供を3人連れて電車に乗るなんて、ブコウスキーがかわいく思えるほどの気狂い沙汰だ。
 電車に乗っている間、A氏とやり取りして、川越駅で合流することに決まる。駅に到着したが、しばらく待つ必要があったので、ホーム内の立ち食い蕎麦屋に入る。

 年季の入った店内。清潔さは保っているが、厨房の所々がそばつゆの蒸気を浴び続けたせいで、黒くねちゃついている。これでこそ立ち食い蕎麦。多少、店内がねちゃついている方がきっと美味い。
 頼んだのは春菊天蕎麦と生卵。個人的な意見だが、かき揚げも海老天もいいが、春菊天が最も蕎麦に合うと思う。春菊の香りが蕎麦の良さを引き立てている。ちなみにコロッケ蕎麦は論外だ。許し難い。そもそも芋のくせに肉の振りをしているのが許せない。コロッケは肉が食べられない者の食い物だ。敗者の料理。そして、ミルフィーユカツ。あいつも同類だ。
 蕎麦を食い終わり、A氏と合流。行った場所は銭湯である。観光と言っておきながら、銭湯に行く。決まりきったレールには乗りたくない中年男の観光がこれだ。

 施設は銭湯とスーパー銭湯の中間程度の規模である。まるで中学生の恋愛のように曖昧な感じだった。露天風呂が充実していて、最高の天気の中、おっさんたちが全裸で寝そべったり椅子に座っていたりしている様子は、古代ローマの浴場を思い起こさせた。油断しきった様は、滑稽を通り越して、優雅さと気品すらあった。もしかすると人は全裸になるとマナーやルールをいつも以上に遵守するようになるのかもしれない。全裸で無防備な時にはそういうこともあるかもしれない。
 我々もサウナ、水風呂、休憩のルーティンで昼前にも関わらず、ブリブリにキマった。その時ばかりはストレスも消し飛んだ。野外で裸になると、ストレスもなくなるんだろう。露天風呂以外で全裸になれば、警察に捕まることになるが、それは人をストレス漬けにしておきたい社会の要請だ。世の中、ほとんど監獄みたいなものだ。自分を解放すればするほど、叩きのめされる。

 サウナでキマった我々は、川越の名所である蔵造りの街並みを歩くことにした。目的地はなぜか串カツ田中である。大型連休らしい人の多さで、どの店も並んでいる。トルコのびよんびよん伸びるあのアイスクリーム屋すら、アホほど並んでいた。川越関係あるのか、トルコ?
 子供の日が近いせいか、鯉のぼりが大量に吊るされた通りに遭遇する。ここらで写真でも撮るべきだろうと、パシャリ。


 それまで蕎麦しか撮ってなかった私の旅の思い出フォルダが一気に彩りを増した。完全に川越旅行である。

 十分に観光としてのアリバイを作り、串カツ田中へ入店。120分の飲み放題で、旨いんだか不味いんだかわからない酒を飲む。串カツ田中は衣に変な味をつけているので、いまいち串カツが旨くない気がする。自然と酒ばかり飲む。

「ヤンクロフス機さんにはガンジャに行ってもらいたいですねえ」

 A氏が急にこんなことを言い出した。

「ガンジャ? 大麻ですか? 何を言い出すんですか?」

 完全に巨悪の誘いのような言葉だと思ったが、当のA氏は意外そうな声をあげる。

「え? 大麻? どういうことですか?」

「ガンジャって大麻のことでしょ」

「そうなんですか? いやいや、ラーメン屋のことですよ」

 話をよく聞くと、なんのことはない。「頑者」というラーメン屋が近所にあるということだった。しかし、ガンジャなんて言葉10年ぶりに聞いた。今じゃCBDなんてものがある時代だ。ちょっと意識の高いカフェなら、コーヒーだろうがサラダだろうがなんでもCBDを入れる。ガンジャなどはこれからもっと聞くことがなくなるだろう。そのうち大麻も合法になるかもしれない。北米ではそういう所も増えている。何もかも合法になるが、言葉だけは違法というか厳しく取り締まられる時代が来そうだ。とりあえず、どんな時代でもサウナでキマるのは合法だ。キマるしかあるまい。

 5、6杯飲み、串カツ田中を出てると、商店街らしき場所を歩く。ラーメンでも焼肉でもなんでもある。なんでもあり過ぎて、観光としてはどうなんだろうと思う。

「ここはねえ、反社のビルもあるらしいですよ」

 A氏がそんなことも教えてくれた。本当になんでもある。ところで、A氏はガンジャの次は反社とか、やっぱり巨悪の手先なのではないかと思った。韻も踏んでるし。

 2軒目には、商業施設の上のビアガーデンに行こうとしたが、あいにくやっていなかった。多分、疫病のせいだ。
 A氏が施設のインフォメーションのお姉さん(と言っても年下だが)に尋ねると、ふたりのお姉さんは慌てて立ち上がって答えていた。慌てた理由が、業務中に油断して喋っていたからなのか、全裸でガンギマりした挙句、昼から酒を6杯近く飲んでいる人間のヤバさを本能的に察知したからなのかは、わからない。後者の可能性は十分にある。

 結局、寿司をメインに出す居酒屋というよくわからない業態の店に入ることにした。A氏は以前この店に一度だけ来たようだが、なぜか顔を覚えられていた。随分とやらかしたのだろう。店で飲んだ酒の味は全くわからなかった。安い酒だというのはわかった。
 店には男女でやってくる客が多かった。その客がなんというか、とてもリアルだった。
 渋谷を歩いているような、シュッとした男女ではなく、さっきまでスウェット着て、youtube見てたんだろうな、と思わせる男女。生活感が滲み出ている。
 『詩人と女』に出てくるような男と女である。酒を飲んで、すけべして、お互いの時間を使い果たしたら、どちらともなく去っていくような男女。
 そういう人々の方が、私は書きやすい。ドラマがある。そう思うのは、私がそちら側の人間で、そういう部分に目が行くからだろう。
 人は自分の知らないものは書けない。そして意外なことに、自分の知らないものも読めない。創作に関しては、それが如実に現れる。
 この作品、クソくだんねえ、と思った時、それは大体、自分が知らないことが書かれているからだ。作品の中に、理解できる部分が少な過ぎただけだ。数年後、読み返してみればいい。
 もしかしたら面白いと思っているかもしれない。そうすれば、自分が成長しているのがわかる。
 それでも下らないと思ったら、それは本当に下らない作品だ。
 私はまだブコウスキーを面白いと思う。思ってしまう。酒を飲んで、すけべして、孤独になる人間を理解できるのだ。多分、私も孤独なんだろう。
 駅でA氏と別れ、帰りの電車に乗る。猛烈に眠い。だが寝過ごすわけにはいかない。そして寝過ごさなかった。ただ、乗り継ぎの駅を間違えた。

わたしは競馬場のそばで埋葬されたかった。……そこでなら最後の直線コースでの追い込み音を聞くことができる。

『詩人と女』 チャールズ・ブコウスキー

 『詩人と女』のどこかにあった一節。猛烈に印象に残った。私は理解した。私はこれを知っている。この言葉が意味することを。
 わからないなら、ただそれを知らないだけ。
 まだ。

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