アマテラス荒魂&三種の神器「熱田神宮」完全ガイド!尾張氏!楊貴妃伝説?【尾張シリーズ】【名古屋シリーズ】
尾張氏と繋がりが強い「熱田神宮」の有名&マイナースポットへ!!主祭神は熱田大神で記紀の有名どころの神様が相殿に祀られています。古代日本の中心豪族「尾張氏」と繋がりが強く、三種の神器の1つ「草薙神剣」がある古社。祈雨・祈晴や国家的大事に際して特別に奉幣の対象になった『二十二社制』のひとつ!熱田区、緑区、瑞穂区など広範囲に広がる神社!!をすべて参る。
参道は大神神社、下鴨神社、廣瀬神社などと同様に杜に囲まれ気持ちがよぃ。拝殿左から小道を進むと「アマテラス」の荒魂が祀られている。アマテラスの荒魂が祀られているのは珍しいはず。荒魂は荒々しい神の一面を示しており、個人的な願いを叶えてくれる神様。逆に和魂は、世界平和を祈ります。
変更履歴
2023/03/05 信長塀庚申(勉強セット)
▼HP
▼アクセス
※後述「▼見どころ」参照
▼祭神
熱田大神
▼見どころ
▽宮きしめん 神宮店
まずはここで予約して境内に行くのが良いのだと思う。2回参拝したが参拝後に行くと無理ですね。
▽境内
長いので、ショート動画を先に見るのもあり。
熱田神宮境内マップ(公式)を見ながらどうぞ。
尾張氏の氏社である熱田神宮という観点で見ると、境内に本宮、別宮一社、摂社八社、末社十八社の二十八社に氏神などが祀られている。境外にも摂社四社、末社十三社あり、境内・境外合わせ四十五社ある。 また、織田信長も熱田神宮で必勝祈願をし、大勝記念で「信長塀」を奉納したぐらい、歴史と名がある神社であり、その昔、尾張造という独特の社殿様式を持っていた古社である(残念ながら、明治に伊勢神宮と社格を同じにしろ運動で神明造に変更した)。
さて、この神宮の説明を少々。日本書紀より、スサノオがヤマタノオロチを退治した時に、しっぽから出てきたという剣が草なぎの剣(別名・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ))で、その後、神武東征で神武天皇に渡る。神武天皇に渡したのがこの神宮に繋がりがある「高倉下」という尾張の祖である。
その後、ヤマトタケルに渡り東日本を征伐しに行く。その途中で、尾張の御女だった「宮簀媛命(ミヤスヒメ)」を妃とし、剣を今の名古屋市緑区大高町火上山に置いてきてしまったので、伊吹山の神の祟りにあい、三重県亀山市で亡くなられたことでミヤスヒメが嘆き、ここ熱田の地に神剣を祀ったのが始まりだと言われている。
ということで、箇条書きでポイントを書いておきます。
創建は113年で、皇室ゆかりの由緒ある神社で、三種の神器「草薙神剣」があり、45の社で構成される
熱田神宮の境内には、本宮、別宮が1社、摂社が8社、末社が19社ある
境外にも摂社が4社、末社が12社もある
二十二社制の1社
境内には国宝級の宝物が数多くあり、神道に関する資料館も設備されている
年間約700万人の参拝者が訪れ、古くから「熱田さん」と親しまれている
広さは約19万平方メートルの大きな神社
祭神は「熱田大神(あつたのおおかみ)」で、草薙神剣を御霊代とするアマテラスのことで荒魂である
熱田神宮の祭神・熱田大神は草薙の剣にアマテラスの神霊のため、伊勢神宮と熱田神宮は一体分身とも
主祭神は熱田大神で記紀の有名どころが相殿に祀られてる
相殿には草薙神剣に関係の深いスサノオやヤマトタケルが「五神さま」として祀られている
「五神さま」は天照大神、素盞嗚尊、日本武尊、宮簀媛、建稲種命(たけいなだねのみこと)である
古代日本の中心豪族「尾張氏」と繋がりが強い
「草薙神剣」は、日本書紀よりスサノオがヤマタノオロチを退治した時に、しっぽから出てきたという剣が「草薙の剣(別名・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ))」
その後、スサノオからアマテラスに渡り、ニニギの天孫降臨で地上に再度降りる
神武東征で神武天皇に渡るのだが、渡したのがこの神宮に繋がりがある「高倉下」という尾張の祖
その後、ヤマトヒメが現伊勢神宮を創建し、ヤマトタケルに渡り東日本を征伐し、帰郷して神剣を妻「宮簀媛命(ミヤスヒメ)」に預ける
丸裸でヤマトタケルは伊吹山に行き、山の神にやられてお亡くなりになる
ミヤズヒメがここ熱田の地に神剣を祀った(厳密には氷上姉子神社)
尾張氏はミヤスヒメの兄の子孫となっている
崇神天皇、継体天皇の妃も尾張氏から出ており、出雲、丹波&丹後と並ぶ古代日本を代表する地
物部氏と尾張氏はつながりが強い。物部の祖・ニギハヤヒと尾張の祖・天火明命で天香山とつながる
物部氏の系図からも物部氏と尾張氏は繋がっている
尾張氏は尾張の前は奈良・葛城にもいたとか、葛城から逃げた一族が尾張氏に入ったという説もある
卑弥呼の墓説もある「纏向遺跡」で発掘された大量の土器には、滋賀・近江と尾張のものが過半数を占めており大和の中心豪族だった
尾張氏の祖神がアメノホアカリで、籠神社との繋がっており、籠神社の家系図にも記されている
壬申の乱で天武天皇側につき、大逆転勝利で功績をあげた
私見では出雲の国譲りはタケミカヅチとフツヌシの藤原氏ではなく、尾張氏と物部氏が成功させたと思っている
尾張氏を表舞台、いや歴史から消したのは歴史の勝者・藤原氏だと思う
歴史の勝者の特権は、歴史を自分たちの都合の良いようにできるのだが、それが出来ないくらい人気があったのかも
尾張氏は継体天皇にも妃を送り出しており財力・権力も持っていた
この継体天皇の妃はミヤズヒメの兄の末裔である
686年、天部天皇は発熱し体調を崩したのだが、理由は「草薙神剣」の祟りという出雲風味な言い伝えがあり、そこで熱田社に神剣を送ったとも
702年、『続日本記』にヤマトタケルのお墓で、奇妙な現象が起きたので丁重に祀ったよう
同年に持統天皇は元伊勢ルートに似た行幸に出て、熱田社にも来ている
行幸後に持統天皇は崩御している
織田信長は大勝記念で「信長塀」を奉納し現存する
尾張造という独特の社殿様式を持っていたが明治に神明造りに・・
あと、ここも神仏習合をしていたが、今は残っていないようだ。
→参道(正門から表参道)、15.信長塀
下鴨神社にはすぐ左に河合神社があるのだが、ここも重要な神社(別宮)がある。本NOTEでは先に本宮に回りますが後述します。
大楠です。熱田神宮には参道の第二の鳥居から左に一つ。本殿右側の清水社手前の2本あります。それぞれ独特の存在感を示します。
右に宝物館で二の鳥居手前左の木に「鶏」が休んでいました。お祭りなどで鶏の鳴き声などから始まったり神道と繋がりが強い生き物です。
奈良・石上神宮、大分・宇佐八幡宮と同じく鶏がいますね。
拝殿・本殿前の左右には「八百万社」があります。
(写真を撮り忘れましたが)土塀があります。これは織田信長が奉納したようで、当時のままで「信長塀」と呼ばれている。経緯としては、天下統一に繋がる「桶狭間の戦い」の前に必勝祈願をしたとされ、お礼参りに訪れたときに納めたのが「信長塀」のよう。当時は全長400メートルほどあったそうな。
当初は400mほどあったのが、参道の工事などで長さは半分の200mほどになったが、造りは当時のまま。土と石灰を油で練り固め、瓦を多数積み重ねた、当時としては非常に強固な造りのよう。
当時はこれが正門だったようで、ここから先が熱田神宮の境内ということになる。外敵から守る意味でもこういった塀は必要だったと説明されているが、私的には手前は寺が多かったのかなとも。その寺(神宮寺)に僧兵が多かったとか。
蛇足だが、熱田神宮には神兵がおり、信長はこの神兵に援軍を依頼したという説もある。延暦寺や大山などには僧兵がいたのはよく聞くが、神社に兵は珍しい気がする。また、信長は宗教に遠い人と思われがちだが、家柄は神社の宮司をした家に生まれている。近年、信長ゆかりの「劒神社」は火事にあったようだが・・。
→1.本宮@熱田七社
祭神は熱田大明神。相殿神として、天照大神、素戔嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命がいる。後述の六末社にも祀られているが、「宮簀媛命」はヤマトタケルの妃で草薙剣を祀った。建稲種命は宮簀媛命の兄でヤマトタケルの蝦夷征伐の副将のようだ。
熱田大神は三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのつるぎ)を御神体としたアマテラスである。現在、草薙剣は本殿に祀られているが、土用殿に祀られていた時代もある。『尾張名所図会』では本殿を回廊が囲んでおり、これを尾張造りと呼んでいたようで、本殿は西に正殿、東に土用殿と別れて建ってたそうな。正殿の主祭神は日本武尊(ヤマトタケル)で、天照大神、素戔嗚尊、宮簀媛、建稲種命が祀られてた。現在のような神明造りに改築されたのは1893年で、それまでは尾張造であった。
さて、草薙神剣だが、後述する名古屋市緑区大高・氷上姉子神社で祀られていたということを記しておく。
拝殿の後は左側から奥宮方面に向かうと「こころの小怪(こみち)」がある。
そこを歩くと、本殿の千木・鰹木が見えますね。熱田大神は「草なぎの剣」なので男神だと勝手に思い込んでいましたが、千木が内削ぎのため女神なのですね。初めて知りました。結局、アマテラス?なの??
→3.一之御前神社
拝殿・本殿でお祈りをしたら左奥に鎮座している元宮「一之御前神社」に行くべし。拝殿左から小道を進むと熱田神宮左奥にある摂社「一之御前(いちのみさき)神社」に着く。本宮と元宮ともに両方「アマテラス」を祀るが、元宮は荒魂を祀る。物部氏とも繋がりがあると思われる尾張氏の神社でもある。熱田神宮本殿左にある「こころの小径」からは特別にな空気が漂う。伊勢神宮の内宮・外宮・別宮と同じく警察官が監視している。
祭神は「アマテラス」の荒魂。アマテラスの荒魂が祀られているのは珍しいはず。荒魂は荒々しい神の一面を示しており、個人的な願いを叶えてくれる神様。逆に和魂は、世界平和を祈ります。
伊勢神宮に来た感じがする雰囲気。神社の由緒より「熱田大神は草薙剣を御霊代・御神体とし、これは天照大神のことです。」ということから、本殿の千木・鰹木が女神になっているのに納得。個人的には神宮の人たちや氏子にとっては、ここが一番大事なところだと思います。ちなみに、数年前は非公開だったようで、2012年12月から参拝できるようになったとのこと。
ということで、アマテラスの荒魂と言えば、廣田神社ですね。
瀧原宮、伊雑宮の雰囲気が好きな方はオススメです!!
本殿後ろ方向を通りましょうかね。
宮の真裏にも参拝所がある。
→12.心の小径(こみち)、4.清水社、5.土用殿、6.御田神社、7.龍神社
本殿裏には「こころの小径」があり、「一之御前神社」から本殿裏を経由すると本宮背後を見ることができ、左側には御神庫という名の防空壕がある。「1945年の5月、ご神体の草薙神剣を守るために御神庫に遷座させたよう。
そのまま歩くと『清水社(しみずしゃ)』がある。祭神は水をつかさどる神様である「罔象女神(ミヅハノメ)』をお祀りしている。
「4.清水社」の祭神は水の神「罔象女神」(ミズハノメノカミ)」ですね。平家・平景清が目を患った際に、祈った後に湧き水で目を清めたところ疾患が治ったそうな。その事から、眼の神様としても信仰がはじまった。という話なのだが、神社アトラクションになっており、ここでいきなり楊貴妃が出てくるのが面白い。
熱田大神は楊貴妃であると噂もあるそうで、拝殿右奥に「お清水」がある。5mほど離れた磐(いわ)に水を3回かけてるとよいことがあるという神社アトラクションがある。正式名は「楊貴妃の石塔の一部」だそうな。
この石塔は世界三大美女の「楊貴妃」のお墓の一部という話もあるとか。楊貴妃は熱田神宮の女神の化身という説もあり、いろいろ諸説関係が深いよう。
水の神ですね。
清水社のすぐそばにある大きな楠がある。
「清水社」を通り過ぎるとご神木があり、『御田神社』になります。摂社『御田神社(みたじんじゃ)』は五穀豊穰の守護神である「大年神(オオトシノカミ)」をお祀りしている。大年神の「年」の字には、穀物、特に穂が稔るという意味があり、農耕中心の日本人においてどれほど大事な神様か、容易に推察が出来る事でしょう。
祭神はスサノオの息子・大年神ですね。五穀豊穰の守護神ですね。
6年前と6年後の参拝で同じ角度から撮る写真に変化ない。。
「5.土用殿」です。
「7.龍神社」です。摂社『龍神社(りゅうじんじゃ)』は「吉備武彦命(きびたけひこのみこと)」や「大伴武日命(おおともたけひのみこと)」を祀っており、『日本書紀』には、景行天皇より日本武尊に遣わされた東征に従う神々と記されている。
→8.神楽殿など本宮周辺
→16.大幸田(おおさきだ)神社、17.内天神社、18.六末社
前述したが、東八百万神社近くに鎮座する。
末社『大幸田神社(おおさきだじんじゃ)』は五穀をはじめ食物を司る稲荷神「宇迦之御魂神」を祀っている。 並びに末社『内天神社』と末社『六末社』 と、末社『乙子社(おとごしゃ)・姉子神社・今彦神社・水向神社(みか)・素盞嗚神社・日長神社』があり、祭神はいずれも日本武尊および尾張国造に関係する神々が祀られている。尾張と出雲・スサノオの繋がりが面白い。尾張氏は奈良・葛城氏から分かれたと思っており、葛城は出雲のつながりがあり、意味深な組み合わせだなと思わせた。
「16.大幸田(おおさきだ)神社」です。稲荷伸のウカノミタマですが、朱色じゃないのが面白いのだが、熱田神宮境内には朱色の社殿が1社だけある。そこにはスサノオが祀られているが、逆じゃないか?と思ってしまう。
そのまま神社表参道に戻ると「17.内天神社」と「18.六末社」となります。内天神社はスクナヒコのようです。本宮までの社は出雲系が多いですね。
尾張氏は葛城とも関係があるともいわれているので、その名残かもしれないです。出雲から奈良・葛城に流れ、賀茂氏は京都へ、尾張氏は愛知へという認識である。
「18.六末社」です。6社の説明です!実はここが熱田神宮の見どころだと思います。ここに尾張氏が大事にしている神がいるのではとも思った。
本殿側から紹介します。「乙子社(おとごしゃ)」の祭神は「弟彦連」でたぶん初めての神様かと。「先代旧事本紀」では天香語山の14世孫なんだそうな。
次に「姉子神社(あねごじんじゃ)」で、祭神は日本武尊の妃「宮簀媛命」で、熱田神宮の創建者です。そうヤマトタケルが油断して草薙の剣なしで山の神にやられて、草薙の剣を祀ったのが「熱田神宮」ですね。本宮の相殿神としても祀られている。
「今彦神社(いまひこじんじゃ)」の祭神は宮簀媛命の兄「建稲種命」。こちらも本宮の相殿神として祀られている。ヤマトタケルとともに蝦夷平定をした武将。
「水向神社(みかじんじゃ)」の祭神は有名な「弟橘媛命」です。物部系・穂積氏の娘で、ヤマトタケルの妃。古事記を知っている人は知っているかな。ヤマトタケルの東征に従軍し、海が荒れ一行の船が立ち行かなくなったとき、自ら海に飛び込み荒れる海を鎮めた。
「素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)」の祭神はスサノオです。説明不要ですかね。でも、スサノオとアマテラスって、なかなか同じところに祀るって、珍しい気がする。もっとあってもよいと思うけど。
「日長神社(ひながじんじゃ)」の祭神は「日長命」で、宮簀媛命の弟とのこと。
では宝物館に向かいます!
→29.宝物館
2017年、有名神社「厳島神社」、「赤間神宮」、「大山祇神社」、「防府天満宮」より国宝・重文の宝物が特別展示されています。300円でなかなかの見応えで時間が経つのが早かったです。
そのまま南に進みますと・・・
そのまま南に進んでも、「40.楠之御前社」、「41.南新宮社&八子社&曽志茂利社」、「47.孫若御子神社・日若御子神社」、「48.日割御子神社@熱田七社」へ行けますね。
ちょっと戻って表参道に戻ります。
→38.徹社
末社『徹社』の祭神は誰だ?という感じだが、意外や意外、天照大神の和魂のようです。
→40.楠之御前社、41.南新宮社&八子社&曽志茂利社
参道を歩き本殿途中に末社『楠御前社(くすのみまえしゃ)』があり、祭神は「伊弉諾尊(イザナギ)」と「伊弉册尊(イザナミ)」の二柱をお祀りしている。参拝客はみんなスルーする・・。北に行くと『徹社(とおすのやしろ) 』があり、天照大神の和魂を御祭神に祀っている。地元の方が来られているようです。
↑↓2017年と2023年で新しさの変わりようがわかりますかね。
2023年は写真を撮り忘れましたが、奉納されたものが少なくなっていました。少子化まっしぐら!?
さらに南門に戻るべく南下すると摂社『南新宮社(みなみしんぐうしゃ)』が鎮座している。疫病退散を願う「京都祇園まつり」で有名な八坂神社のご祭神「スサノオ」を祀っており、熱田神宮唯一の丹塗りの社殿。
繰り返しになるが本殿に近いところの稲荷社はこちらだと思ってしまう。アマテラスより関係の近いのはウカノミタマよりスサノオなので、本殿近くにいるべきではとも。ただ、ウカノミタマもスサノオの御子神だが。
横には「八子社」があり、アマテラスとスサノオの誓約で生まれた神様たちを祀る。
天忍穂耳尊(アマノオシホミミノミコト)
熊野櫲樟日命(クマノクスビノビコト)
天穂日命(アマノホヒノミコト)
田心姫命(タゴリヒメノミコト)
天津彦根命(アマツヒコネノミコト)
市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)
活津彦根命(イクツヒコネノミコト)
湍津姫命(タギツヒメノミコト)
そして、末社『曽志茂利社』がある。祭神は「居茂利大神」で実はスサノオである。
→47.孫若御子神社・日若御子神社、48.日割御子神社@熱田七社
さらに南下すると摂社『孫若御子神社(ひこわかみこじんじゃ)』が鎮座し、祭神は天火明命(アマノホアカリノミコト)を祀っていた。
由緒には 尾張氏の始祖 としており、籠神社@海部氏と熱田神宮&神倉@尾張氏って繋がっているのかな?? ちなみにこの社は元々は境内の別の場所に鎮座していたが、明治7年現在地に遷座された。
と言いつつ、籠神社の日本最古の家系図には尾張氏との繋がっていることは自分の目で見ています。それが絶対に正しいかは分かりかねるが、出雲の国譲りや神社の由緒から、物部氏、尾張氏、海部氏がキーマンだろうと。
あと、1400年ごろの社殿が移築した神社があま市にあります。
そのまま南に下ると摂社『日割御子神社(ひさきみこじんじゃ)』があり「天忍穂耳尊(アマノオシホミミノミコト)」を祀っている。
この鎮座地は往古、海に臨む「干崎(ひさき)」と呼ばれたと伝えられている。なんか、最後の最後で天神系を祀っているな~。
では、別宮に行った後は後述の「朝苧社」も忘れずに!!!
→2.別宮「八剣宮@熱田七社」、42.上知我麻神社、43.大国主社、44.事代主社
正門左で、南側の駐車場なら駐車場左から入られれる。
境内をくぐると左手に現れる別宮で、下鴨神社でいえば「河合神社」といえば分かってもらえるかな(京都の人は)?伊勢神宮の内宮でいえば、猿田彦神社?、籠神社でいえば橋立神社?
まずは摂社『.上知我麻神社』が見えますが、注目は右手の「2.別宮・八剣宮」です。
別宮『八剣宮』は一の鳥居・南門の左側に鎮座し、本宮と同じ祭神を祀っている。社殿も本宮と同じ神明造で年中祭儀も同様に行われている。 八剣宮は武門の信仰が篤く、織田信長、徳川綱吉により社殿の修造造営が行われてきた。このほか末社『大国主社』と末社『事代主社』も同じところに鎮座している。
一の鳥居左側にある社で神明造り。本殿の次に社格が高い。熱田神宮本殿は見えないようになっているが、本殿はこんな感じなのだろうなと思いました。熱田神宮は今でこそ「神明造」だったが、もともとは「尾張造」という独自の建築方法があったとか。境外摂社に「尾張造」を残す神社があるようです。後述します。
祭神は本宮と同じく主祭神は「熱田大神」で、相殿神に「天照大神」「素盞嗚尊」「日本武尊」「宮簀媛命」「建稲種命」を祀っている。
なぜ?本宮と同じなのか?実は、度々草薙剣を盗み出されており、道行が熱田神宮から盗んだ時に元明天皇に知られることを恐れた熱田神宮の人間が、鳥栖の地にいた鍛冶屋に草薙剣の代わりを作らせて熱田の八劔社におさめさせたというのが始まりだとか(笑)
最後に、明治時代のこの神社の社殿が後述する「氷上姉子神社」にあります!
檜皮葺はやっぱ良いですね。では、「42.上知我麻神社」、「43.大国主社」、「44.事代主社」の3社に行きましょう。
〇「42.上知我麻神社」、「43.大国主社」、「44.事代主社」
八剣宮から行くとまずは「43.大国主社」です。出雲大社でお馴染みですね。
中央は後にして、先に左に行くとオオクニヌシの息子「44.事代主社」ですね。
ということで出雲ってますね。
ラストは「42.上知我麻神社」で、祭神はスサノオです!!!と思ったが違いますね・・。
尾張国造「乎止與命(おとよのみこと)」を祀る。宮簀媛命と建稲種命の父で熱田の地主神のよう。知恵の文珠さまと呼ばれ、学業成就のご利益があるとして受験シーズンには大勢の人が参拝に訪れるそうです。
あと熱田神宮北西の角に摂社『下知我麻神社』があり、祭神は「真敷刀俾命(マシキトベボミコト)」で、乎止与命の妃・宮簀媛命と建稲種命の母である。
左右の出雲系は、ただ単に神仏習合で七福神だったのかな?とも思えます。
熱田神宮の摂社・末社は面白い。記紀の有名な神ばかりと思いきやこの地域の氏神としか思えない謎の神様が多い。この「上知我麻神社」の祭神は「乎止與命」で帰宅して調べると「天火明命十世孫で、ヤマトタケルの最後の妻。草薙剣を置いていった美夜受比売の父。「天火明命」って丹後王国の籠神社の祭神の別名でもあったはずなので、やっぱ、繋がりあるのかもしれない。(そして、この後に籠神社の葵祭で国宝の家系図を見て、尾張との繋がりを確信する)
2017年は参拝終了!!飯でも食べるかと「あつた蓬莱軒 神宮店」に行きましたが、1時間30分待ち・・・。今回はキャンセルです。。
そして2023年は列がない!と思いきや14:30ぐらいです!と無理でした・・。。参拝前に列に並び予約してから参拝するのが良いのでしょう。
→境内食事処「宮きしめん」&「くさなぎ広場」
「あつた蓬莱軒 神宮店」予定でしたが、待てないので参道にあるところで昼食を頂きました。「きしめん」と「ちまき」を注文。野外なのでかなり寒かったですが温まりました。さて、カラスには注意ください。隣に男性がエビ天きしめんを持って席に座りました。お茶を取りに離席した瞬間、カラスがエビ天をGETし飛び立っていきました。あのカラスは八咫烏かもしれません。。やっぱ丹波・丹後とこの尾張氏の地域は関係があるのか!?
被害者が多いのか2023年には貼り紙がw
2023年1月は白エビ入りのきしめん頂く。
2021年、参拝者の憩いの場として「くさなぎ広場」がオープン。池の周りには、ベンチが設置や遊具があり、子どもも一緒に楽しめる空間である。
また、広場内には貴重な刀剣を展示する「熱田神宮草薙館」がある。
→24.菅原社
天神様で信仰されている「菅原道真公」を祀っているのが末社『菅原社』。西門鳥居をくぐった左手に鎮座し「外天神」とも呼ばれている。つまり、天神といえば「アマテラス」か「菅原道真」で、内天神は主祭神・アマテラスだからという意味でしょうか。
後述の下知我麻神社と出雲大社と稲佐の浜に似た神社アトラクションがある。
西側には観光バスの駐車場が少しあり、2023年1月は4台ほど観光バスツアーのバスが並んでいました。みなさん「よかった~」とか歴史を話し込んでいましたが、ここはほぼスルーでしたね。
→51.下知我麻神社@熱田七社
境内に鎮座していますが一度境内を出ないとたどり着けません。「上知我麻神社」と対で、祭神は真敷刀俾命(マシキトベボミコト)。上知我麻神社の御祭神・乎止與命(オトヨノミコト)の妃で、日本武尊(ヤマトタケル)の妃・宮簀媛命(ミヤスヒメ)の母である。
下知我麻神社の紀大夫社に対して、「源大夫(げんだいふ)社」と称され、古くから熱田七社の一つとされる。創祀は不詳であるが、社伝によれば、下知我麻神社と並び、647年に鎮座といわれている。
由緒に旅の安全をお願いする神社ともあり、前述の菅原社へ石を持っていくという風習が昔から伝わっているとか。
最後に、1362年に造営し、1692年に楠ノ御前社と同時期に造替られた記録があるそうで、その前は別の場所に鎮座していたそうですね。その別の場所は「星宮社」である。このことからニギハヤヒの降臨地である交野市に繋がりを感じるのは私だけか?要は、磐船神社と星田妙見宮(小松神社)ですね。
ということで、ここからは、境外摂社・末社を紹介していきます。
▽境外
#高座結御子神社 @熱田七社&鉾取社&新宮社&御井社&稲荷社
#影向間社 (熱田神宮境外末社)名古屋市熱田区白鳥2丁目11
熱田神宮、特に草薙剣とのゆかりが深い社だ。簡単に説明すると、盗まれて戻ってきた草薙剣を一時預かっていた尾張氏(田島氏)の邸宅の部屋にまつわる社ということになる。
#青衾神社 (熱田神宮境外摂社)愛知県名古屋市熱田区白鳥2丁目6−1
式内社「青衾神社(あおぶすま)」 は、熱田神宮の西門を出て歩道橋を渡り、白鳥小学校を過ぎた住宅地の一角にある。
祭神は「天道日女命(あまのみちひめ)」で、高座結御子神社祭神・高倉下命の母で、海部氏始祖の彦火明命の妻でもある。
「青衾」とは産土神と言われ、白い掛け布団を意味するそうで、地元では赤ん坊を33日目に訪れる風習もあったそうで、江戸時代の熱田神宮摂社には青衾と白衾の二社があり、青衾は「日の神」、白衾は「月の神」を祀っていたとか。
明治になって青衾神社はなくなり、白衾神社が青衾神社と名を改め現在に至っているよう。ということは、月の神=ツクヨミか??と疑ってしまうのだが、もしくは、トヨウケ??
青衾神社は1945年の空襲で焼失、現在の本殿は1968年に再建されたもののよう。熱田神宮境内には、神宝を防空壕に隠した歴史があるが正解だったようだ。
#松ゴ社(熱田神宮境外摂社)松姤社は日本武尊と宮簀媛の出会いの地
「まつご」と読み、二文字目の「ご」は女ヘンに后の漢字で外字でしょうね。神社入口は国道1号線沿いにあり、名古屋市熱田区神宮2丁目10番に鎮座。ビルとビルの間に挟まれた小さな神社で、逆に良く残ったなと思うと同時に、どうしても潰せない(合祀もできない)大事なところなんだろうなと。熱田神宮南門駐車場から約150mのところに鎮座されているので、徒歩で!
祭神は「宮簀媛命(みやすひめ)」で、ヤマトタケルと初めて会った場所だそうです。ただ、ヤマトタケルが川辺で布をさらしているミヤズヒメに、尾張氏の本拠のある火高への行き方を訊ねたところ、耳が聞こえないふりをして無視をしたらしい。という話は後述の「氷上姉子神社」で。
#南楠社 (熱田神宮境外摂社)名古屋市熱田区伝馬1丁目7番
笹社内に鎮座している。祭神は「アメノウズメ」で、かつては鈴之御前社がここにあったという話があり、熱田社へ行く人の祓所だったとも。ちなみに境内にある「天王社」は熱田神宮・南新宮社の末社だそうだ。
#鈴之御前社 (熱田神宮境外摂社)名古屋市熱田区伝馬2丁目6-7
境外末社『鈴之御前社(すずのみまえ)』の祭神は「天鈿女命(あめのうずめのみこと)」を祀っている。通称「鈴の宮」で親しまれ7月31日の例祭、夏の疫病除けの神事「茅の輪くぐり」で賑わう。
#浮島神社 (熱田神宮境外摂社)名古屋市瑞穂区浮島町6番
名古屋市瑞穂区浮島町6番に鎮座。祭神は「天穂日命(あまのほひのみこと)」で国譲りで出雲に降り立った神様。あまりの居心地の良さに国譲りさせる仕事を忘れた天神・・。
#熱田神宮元宮 「氷上姉子神社@熱田七社」「元宮」「神明社」「玉根社」(熱田神宮境外摂社)名古屋市緑区大高町火上山1-3
由緒より次の通り。
尾張氏の祖神とされ、「お氷上さん」と親しまれている
古代尾張の開拓はアメノホアカリの子孫としている
オトヨノミコトの館跡が火上山にあり、195年にミヤズヒメを御祭神にした古社
ミヤズヒメはオトヨノミコトの娘でヤマトタケルの妻でもある
ヤマトタケルから草薙神剣を預かったのが今の熱田神宮に繋がっている
690年に今の場所に遷座
927年の延喜式の神社名には頭の幹事は「氷」ではなく「火」と記されている
1364年の『尾張国内神名牒』には今と同じ「氷」になる
神社や民家がたびたび火による災害を蒙ったので、火の字を忌んで、「氷上」と改めたとか
1455年、遷座したことがわかる棟上げした記録がある
1686年、別宮・八剣宮の本殿を移築した
鎮座地は「大高町火上」ですが、昔は「火高火上」と称した
境外摂社『氷上姉子神社』は名古屋市緑区大高町火上山1-3に鎮座。
祭神は「宮簀媛命(ミヤズヒメ)」で、熱田神宮元宮ともいうべき神社。「乎止与命(オトヨ)」とその息子「建稲種命」、その妹の「ミヤズヒメ」が暮らしていた館の跡にミヤズヒメを祀ったとする。末社に『元宮』に尾張氏の祖神「宮簀媛命(みやすひめ)」を祀る社、アマテラスを祀る「神明社」、スクナヒコを祀る「玉根社」がある。
本殿は熱田神宮別宮・八剣宮の「尾張造」社殿を移したものなので、見たかったが、拝殿でどの角度からも見ることができない。そして、右には高速道路があるので、すごく車の風切り音がすごいことに気づく。
社務所で、行先案内がありました。
690年に氷上姉子神社は火上山から山を下りた東の現在地に移されたとされ、今でも火上山には「元宮」がある。 さて、元宮へ。宮簀媛命の館跡で、元宮に向かう途中に神明社がある。
神明社は第一鳥居まで降りて道路の対面の鳥居を潜って少し歩けばたどり着ける。
元宮はさらに上なんだそうです・・。2023年見逃した・・というか妻が雪で寒い寒いというので撤収した。また今度ですね。そう神様が言っているのでしょう(と言い聞かす)。
さて、元宮から今の鎮座地に遷座した690年というのは、女性天皇である持統天皇が即位した年で、皇室の神をアマテラスと定めて伊勢神宮を整えた天皇であり、何か裏があるという人がいる。
持統天皇は熱田の草薙剣を氷上姉子神社に移す計画を立てていたという話があり、崩御した702年に行った「三河行幸」の帰りに尾張に立ち寄り、熱田神宮と氷上姉子神社に寄進したという伝承もある。
つまり、「日神」はアマテラスなので「火上」にされ、「火神=出雲の繋がり」を感じ、さらに火事により逆に「氷上」にしたとか??というファンタジーな話が色々あるのも頷ける感じがする謎解き神社でもある。
尾鷲市にある尾鷲神社にはアマテラスとは別に「古代太陽神」を祀る神社があるのだが、アマテラス以外の太陽神がおり「古代太陽神」と説明がある。尾張氏の太陽神はサルタヒコかもと思っているが、大和の権力でアマテラス一本化で変わったのだろうと思っているのだが真相はいかに・・。
ただ、尾張氏は強かったし、無下にできなかったので三種の神器にしたのかもしれない。
↑尾鷲神社は2023年7月ごろ出すので、「古代太陽神」は気になる方はじゃらん旅行記で。
最後に、北側に熱田神宮の斎田があり「玉根社」がある。
#朝苧社 (熱田神宮境外摂社、氷上姉子神社境外末社)名古屋市緑区大高町字東姥神
「あさお」と読み、名古屋市緑区大高町字東姥神に鎮座。祭神は「火上老婆霊(ひかみうばのみたま)」と謎の神様だが、お乳の神様・心願成就の御利益があるようだ。
熱田神宮元宮「氷上姉子神社@熱田七社」の社務所を一読してからどうぞ!車は氷上姉子神社で置かせていただきました。そこから徒歩しかないですね。
由緒より、日本武尊が草薙剣を宮簀媛命へ渡してから熱田に剣を奉斎鎮守するまでの間、剣が火上山に置かれていたことから、「元熱田」とも呼ばれる。
おお~雪で傘をさしながら泥道を歩く・・。雪が積もったらやめるべきですね。
すぐに着きますね。なんか雰囲気のあるところですね。
下山です。あっ山登りはしていないですが、下りのほうが滑りそうなので。
ここから戻ると駐車場ですね。
#琴瀬山神社 (北設楽郡東栄町大字東薗目字琴瀬山)
禁足地で参拝不可だが、遥拝所がある。祭神は、熱田大神、大山津見神、木の神「久久能智神」です。
▼纏め動画(他力本願)
▼祭り
▽大祓~正月
▽酔笑人神事
▽歩射神事
歩射神事で兵庫・西宮神社のような、ダッシュして「魔除けの千木」を奪取するお祭りがありますね。
▽おさらい(動画)
▽神輿渡御神事
▽祈年祭
▽例祭
▽御田植祭
▽熱田神宮踏歌神事
▽天皇陛下御即位記念
▼旅行記
▼セットで行くところ
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