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神仏習合!古事記編纂「多坐弥志理都比古神社(多神社)」皇子神命💛姫皇子命!若宮四社【田原本町シリーズ】

 古事記の編者も出した多氏は、現・田原本町多を本貫とする名族。初代神武天皇の子である「神八井耳命(カムヤイミミノミコト)」を祖とし、皇別氏族としては最古級。そのため、多氏の氏神社のため、大和でも屈指の有力神社だった。
 田畑が広がり皇子神命💛姫皇子命など面白い摂社末社たち。そして多氏から古事記編纂の話も残っている!

 2023年に参拝したが、本殿は工事中だった。行き漏れたところもあるので再参拝します。本殿修復後にですね。

変更履歴
2024/02/21 初版


▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

 正式名は「多坐弥志理都比古神社」で通称「多神社」で「おおにます みしりつひこじんじゃ」と読む。
 飛鳥の豪族・多氏の神社で、かつては境内が六町四方もあったと伝えられている。『古事記』を編纂した「太安万侶」が多一族の出身であることから、学問の神として信仰を集めている。

 神社周辺には摂社・末社や寺があるので、そちらも一気に書きます。

  • 姫皇子命神社・・・祭神:姫皇子命(本社内参道から東に抜けて260m)

  • 小杜神社・・・ 祭神:太朝臣安萬呂(本社入り口から南へ160m)

  • 皇子神命神社・・・ 祭神:皇子神命(小杜神社から南へ120m)

  • 屋就神命神社・・・ 祭神:屋就神(本社入り口から西へ400m)

▽多坐弥志理都比古神社(多神社):奈良県磯城郡田原本町多570-4


→表参道右「竈神社」

→表参道左「八幡神社」

→表参道右「石上神社・春日神社・住吉神社」

→表参道右「熊野神社」「?神社」

 左側は熊野社だが、右側は不明である。

→表参道右「手水舎」「?神社」など

こちらの神社も謎です

→拝殿

 祭神は次の通り

  • 第一社 神倭磐余彦尊
     (イワレビコこと神武天皇。神八井耳命の父)

  • 第二社 神八井耳命

  • 第三社 神泥川耳命
     (綏靖天皇。神八井耳命の弟

  • 第四社 姫御神
     (タマヨリヒメ。神八井耳命の祖母)

  • 1149年、禰宜である多朝臣常麻呂が国司に提出した『多神宮注進状』では以下の2座としている。

    1. 珍子「賢津日霊神尊(ウツノミコ サカツヒコノミコト)」
      皇像瓊玉坐 河内国高安郡 春日戸社坐御子神社と同神

    2. 天祖 賢津日孁神尊(アマツオヤ サカツヒメノミコト)
      神物圓鏡坐 天照大神高座神社と同神

  • 社名より水火知男女神(みひしりひこひめのかみ)が神名帳の2座であるとも書かれている

  • 1737年、『多大明神社記』では現在の四座になっている

  • 明治時代の『神社明細帳』では本殿の第一社・第四社は摂社の扱いとなっており、主祭神は神八井耳命・神泥川耳命の二座としている

  • 社名の通りであれば弥志理都比古(みしりつひこ)を祀る神社ということになるが、これは神八井耳命のことである。

  • 神武天皇の長子でありながら弟に皇位を譲ったことから、ここから「身を退いた」という意味で「ミシリツヒコ」とも呼ばれる

  • 古くは春日宮と称し、四方に鳥居があったという

  • 太陽信仰の聖地であったのか、方位を配慮した構造になっていた様である

 2023年、本殿は工事中ですね。本殿は春日造で4棟で、本殿の後方に「神武塚」と呼ばれる小丘があり、古代の祭祀場があり古墳と考えられている。

 境外摂社として以下の神社があり、どれも式内社である。『五郡神社記』では本社二座と下記の四皇子神をもって「意富六所神社」と称している。

  • 小杜神社(祭神 太安万侶) 式内小社・小社神命神社

  • 皇子神命神社(祭神 皇子神命)式内小社・皇子神命神社(論社)

  • 姫皇子命神社(祭神 姫皇子命)式内小社・姫皇子命神社(論社)

  • 屋就神命神社(祭神 屋就神) 式内小社・屋就神命神社

 春日造りの神殿が4蓮で、春日大社、枚岡神社クラスのよう。

 祭神は、神武天皇ことイワレヒコ、神武天皇の皇子・神八井耳命で多氏をはじめとする多くの氏族の祖となっている。弟の綏靖天皇になる神沼河耳命、姫御神となっている。

▽南の若宮「小社神社」「皇子神命神社」

 砂利道を南下で良いのかな・・地図を凝視し、砂利道を歩いた。車の轍があるので、表参道を車で移動する人が居るのだろうか?表参道をそのまま南下!!!

→多神社境外摂社「小社神社」奈良県磯城郡田原本町多木ノ下272

延喜式神名帳に記載された古社のひとつ。祭神は「太安麻侶」。太安麻侶は、多神社を創建した多氏の出身で古事記の編者。

歴史を箇条書きです。

  • 1149年、『多神社注進状』では樹森神社となっている

  • 江戸中期の『大和志』には「木下社」と称するとある

  • 1879年、神社明細帳では「元木下神社ト云 今小杜神社ト称ス」としている1891年、神社明細帳は「木ノ下神社」とする

  • 1940年、境内を拡張し、社殿新築が行われる

  • 1944年、『古事記』編纂に携わった稗田阿礼祀る「賣太神社」とともに県社に昇格している

 多坐弥志理都比古神社の境外摂社のひとつに小杜こもり神社がある。太安萬侶を祀る。


 多神社の皇子神とされていることから、本来の祭神は「太安萬侶」ではない説がある。
 1734年の『大和志』に「伝云祭安麻呂」とあるが、安萬侶を祀るとされるようになるのは『古事記』の再評価がされた江戸中期以降なので、その時に変わったのではとも。
 平安末期の『多神社注進状』は樹森(小杜)神社の祭神を「瓊玉戈神命」としており、同書裏書には「春日部坐神社同体異名也」とのことから、天照大日孁神(アマテラスオオヒルメノカミ)の皇子神だとする。
 なお、1446年の『和州五郡神社神名帳大略注解』は『多神社注進状』を引用した上で、小杜神社と同体とされる春日部坐神社を河内国讃良郡の式内高宮大社祖神社(大阪府寝屋川市高宮の大杜御祖神社)のこととし、祭神は天児屋根命(アメノコヤネノミコト)だとする。

 ここが皇子神命神社と勘違いしていた・・・南に明らかに鎮守の杜を感じた場所があったのだが・・行くべきだった・・暑さで手抜きした・・・。

→多神社境外摂社「皇子神命神社」奈良県磯城郡田原本町多245

 祭神は「皇子神命」で、皇孫日火霊神尊と記載されている。『多神宮注進状の裏書』によると、皇孫日火霊神尊=瓊瓊杵尊(天照大神の孫)だと解釈している方もいる。
 小さな社だが、延喜式神名帳に「大和国十市郡 皇子神命神社」と記載されている式内社とのこと。

▽東の若宮「姫皇子命神社」と神宮寺

 本社右に抜ける道があるのでそちらからも行けそう。ひとまず田畑を爆走!!

→神宮寺「多観音堂」奈良県田原本町多459

 田園風景が広がる場所にひっそりと佇んでいます。

 多座弥志理都比古神社から小杜神社。そして、姫皇子神社に向かうべく田んぼの農道?を歩いているときに訪れた。
 本尊は十一面観音菩薩立像で、多神社の神宮寺ですね!!

 多観音堂では江戸時代から毎年1月3日、先祖代々菩提の追善供養と五穀豊穣の行事として「ボダイボダイと牛蒡喰行事」が行われる。この行事は、観音堂において観音講の「東方」「西方」の両座頭以下年長順に僧侶を挟んで、僧侶が観音経二巻を読経している最中に「ボダイボダイ」と大声を張り上げて女竹で堂の床を激しく叩く行事とのこと。

ボダイボダイ行事
多・観音堂では江戸時代から毎年正月三日、先祖代々菩提の追善供養と五穀豊穣の行事として「ボダイボダイと牛蒡喰行事」が行われている。
この行事は当日、観音堂において観音講の「東方」「西方」の両座頭以下年長~を挟んで着座し、僧侶が観音経二巻を読経する。その読経中、講員は「ボダイボダイ」~大声を張り上げて女竹で堂の床を激しく叩く騒音と女竹の小片が散乱し、誇りが~騒然となる。

 って何なのでしょうか・・叩きは悪病を叩き出すという意味があるようです。その後、後片付けと清掃をしてから「牛蒡喰行事」になる。牛は農作で必要なのだろう。ということで馬頭観音はいないのだろうか??


上の写真右上の方に向かいます。本殿は金網で防御されているのはなん何なのか・・。

→多神社摂社末社「姫皇子命神社」奈良県磯城郡田原本町多459

 祭神は「姫皇子命」。多神社に祀られる神八井耳命(カムヤイミミノミコト)の四皇子神の内の姫皇子である。延喜式神名帳でもあり、多坐弥志理都比古神社の祭神「神八井耳命」の娘をとされる。

 姫皇子命は「天照大神若魂(アマテラスオオミカミワカミタマ)」とも。崇神天皇の御代の宮中を出たアマテラスが最初に祀られた笠縫邑説もある。

延喜式内社 旧城下郡 多 姫皇子命神社
旧村社 祭神 多姫皇子命
多坐彌志理都比古神社の摂社で、「大和志」十市郡新廟の項に「姫皇子命神社 在ニ多社東一今称ニ鎮守」と比定され、延長五年(927)成立の延喜式神名帳に記載された古社である。
神名帳十市郡大社の四皇子神の一「姫皇子命神社」とされ、「大和志」に俗に鎮守と称し、現在大字多の氏神である。
「五郡神社記」は本社二座と四皇子神を意富(おう)六所神社ともいった。

 ピンク色のものはタニシの卵なんだそうな。じっくり見るとタニシ祭りですね。

▽西の若宮「屋就神命神社」奈良県橿原市大垣町屋就40

 祭神は「屋就神」。 延喜式神名帳にもある神社で、多坐弥志理都比古神社の四皇子神の一社で八剣神社とも呼ばれている。

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記

初版以降の参拝は以下の旅行記の纏めで参照です。

▼セットで行くところ

▼仏像展


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