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トルコ・ガズィアンテップの記憶

トルコの南部、ガズィアンテップ(Gaziantep)近郊で現地時間6日未明に巨大地震が発生し、今も多くの方が行方不明になっている。被害はトルコだけでなくシリアにも及んでいて、一人でも多くの人が無事であるよう、心から祈るばかりだ。

ただ祈るしかない。
少しでも早い救援があって一人でも多く無事であってほしい。今すぐに私にできることは、赤十字や国境なき医師団などに精いっぱいの義捐金を託すことと、祈ることだ。


私は以前この街に滞在して、せっけん工場と職人さんたちを取材していたことがある(せっけん職人さんとは連絡がついて、工場の皆さんや家族は無事とのことであった)。

何も力になれない無力感に覆われながらふと、その時に撮った写真を少し並べて、こういう素敵な街であったということを紹介することはできるな、と思った。いま中継で写されている大変厳しい状況の街も、かつてはこうだったのかと思いを馳せてもらえたら、もしかしたら、私の行為は少しは意味があったということかも知れない、と思う。

平原の真ん中にある空港。滑走路も相当長いようだ。
今思うと緑の多い街、という印象が強い。
ガズィアンテップ城。お城の周りは金具細工屋さんが多く、カンカンと音が響いていた。
ガズィアンテップ城の城壁の上。
ガズィアンテップ城から街を見渡す。丘陵が遠くまで連なっている。

ガズィアンテップはシリアとの国境近くに位置している都市で、シリア人も多く住んでいる。昔から、都市同士で人の往来は盛んだったそうだ。
ある人は「(シリアの)アレッポまではバスで2~3時間だったな。たまに買い物にも行ったもんだ」と話してくれた。

標識にある黄色の「Halep」表記は隣国のシリア・アレッポを指す。


2011年頃からのシリア内戦の勃発により、戦火に追われ国境を越えて多くのシリア人がこの街に命からがら避難してきた。

ジャスコのようなショッピングモール、Sanko Parkのバルコニーからガズィアンテップの街を見渡すことができた。
「アレッポもここに似た雰囲気だった」
シリア人のアラビックコーヒー屋さん。ガズィアンテップにて。

トルコは2021年までに、約370万人のシリア人難民を受け入れてきた(トルコの人口は約8400万人)(参考:2021年の日本の難民認定人数は74人)。
ガズィアンテップの人口も2011年以降、急激に増えたそうだ。

しかし、ガズィアンテップに住んでいるシリア人全員を一概に「難民」と括ることは適切ではない。難民という形ではないビザで滞在しているシリア人もまた多いからである。
それぞれ個人個人に、本当に複雑な事情がそこにはある。

公園にはいつ行っても、多くの人が座って会話を楽しんでいた。
震災後は、余震の問題で公園や車に寝泊まりする人が多いという。

復興支援で国籍が問題となる可能性は、今から懸念される。
トルコ人に比べシリア人に支援が上手く届かない部分が、もしかすると制度的にどうしても出てくるのではないか、という不安もある。
また制度とは別の話で、シリア人に対して厳しい感情を持っているトルコ人もいて、少しのきっかけでシリア人差別が顕在化することもあるという(当たり前だが、もちろんそうではないトルコ人も大勢いるということは急いで付け加えておきたい)。

(前略)難民の生活を支えるために経済的な負担感が増し、より安い労働力となったシリア人に仕事を奪われるようになったとしてトルコ人の反感は日に日に高まっていきました。
この10年、トルコは通貨リラが下降の一途をたどり、気付けば対ドルでその価値はおよそ6分の1に。一方、物価は上がり続け、10年前に比べて食料品の価格がおよそ3倍になったという分析もあり、市民生活は年々苦しくなっています。

NHK国際ニュースナビ「バナナを食べただけなのに トルコ 難民受け入れ巡り議論」
(最終閲覧2023/02/09)


命からがら国境を越えてきたシリア人は、トルコで家を借りるのも一苦労であったり、借りられたとしても、築年数が古く安い物件に住んでいたりという事も多いようで、それ故に震災で家を失ってしまった人も相当数いると思われる。

どうか、国籍の分け隔てなく手厚い支援が行き届きますように、と遠く極東より、身勝手ながら、でも心から願う。

ハタイで見かけたピカピカのUNカー。ガズィアンテップの街中でもよく見かけた。

ガズィアンテップは、シリアへ向けて大量の人道支援物資を送るための一大拠点となっていて、国連を始めとする人道支援組織が既に展開している。
つまり、宿泊や炊き出し支援をするためのインフラは既に整っているはずなのだ。あとはそのリソースをどれだけ素早くトルコ国内にも振り分けて上手く回せるか、そしてシリアでの人道支援や震災復興支援と並行して継続できるかということに尽きる。

給料日だったのだろうか、銀行前に行列ができていた。
富士フィルムのマークの写真屋さん。街は舗装路やレンガ道などが混在している。
歩道と車道が分かれているので、安心して歩くことができる。
アーケード街。ありとあらゆるお店が並ぶ。個人の専門店が多いので見て歩くだけで楽しい。
細い道筋にも店が立ち並んでいる。
結婚式だな、と道行くおじさんが教えてくれた。
寝具屋さん。豪華な寝巻を着たマネキンが素敵だ。

街は活気があり、大勢の人が行き来している。ナスが山積みになっている八百屋さん、いい匂いのケバブが回っているケバブ屋さん、甘い香りを漂わせているバクラヴァ屋さん。
古い街で名所も沢山あり、観光客の姿も多い。

乾物屋さん。デーツだろうか。値札にある「も」みたいな文字は通貨TL(リラ)の略号である。
こちらも乾物屋さん。ナスなどをくり抜いて乾燥させたものが吊り下がっている。
(これはマハシーあるいはドルマという名の大変おいしい料理になる)
午後のひと時。
乗合バスの運転士さん。「私のバスに日本人は初めてだ、写真撮ろう」

乗合バスは(恥ずかしながら見分け方がよく分かっていないのだが)「ミニビュス」か「ドルムシュ」とよばれ、時刻表は特に無いようで、だいたい満席になったら発車するという極めて合理的なシステムになっている。途中の道端で待っている人も拾っていくので、幹線道路に出るころにはしっかり満員になる。

地名は「アンテップ」で通じる。
街を出ると、大平原が広がっている。
夕方になり、路地では子どもの声が響いていた。
夕景にモスク。ガズィアンテップには沢山のモスクがある。


ガズィアンテップ在住の知人によれば、今も多くの人が余震の危険から家に入れず、自家用車や公園で横になっているという。
ここは寒暖差の激しい地域であり、今は非常に気温が低い。
早急に横になれる場所と暖房、毛布、食料とそれから電力の安定供給が望まれる。

Gaziantepの日本語表記については、在トルコ日本大使館のwebページでも「ガズィアンテップ」「ガージアンテップ」「ガジアンテップ」と表記ゆれしており、報道各社でも「ガジアンテプ」(共同通信など)や「ガジアンテップ」(朝日新聞・ANNなど)と割れているが、私は「ガズィアンテップ」が一番聞こえた音に近い気がするので、これを使った。


(2023年トルコ・シリア地震救援金・2023年5月31日まで)
口座名義はいずれも日本赤十字社。詳細は上記リンクからご確認ください。
・ゆうちょ銀行 口座番号 00110-2-5606 
・三井住友銀行 すずらん支店 普通 2787787
・三菱UFJ銀行 やまびこ支店 普通 2105790
・みずほ銀行  クヌギ支店 普通  0623536

赤十字ではクレジットカード、コンビニ決済、Pay-easy、インターネットバンキングなどでの寄付も可能です。上記リンクの下部「3. クレジットカード・コンビニエンスストア・Pay-easyによるご協力」より進むと入力画面が出てきます。

国境なき医師団は、今回の地震についての活動費は「緊急チーム募金」から充当する、と発表しています。寄付は上記リンクの下部から進むことができ、クレジットカード、コンビニエンスストア、ペイジー(インターネットバンキング)、ペイジー(ATM)、楽天Edy、auかんたん決済が使えるとのことです。

ユニセフでは「自然災害緊急募金」という名称で寄付を受け付けているようです。こちらは今回の地震災害だけでなく、各地の災害支援に向けて使われるそうで、子どもとその家族向けの支援が主となるようです。
クレジットカード、インターネットバンキング、Amazon Pay(Amazonアカウントでお支払い)、d払い/携帯キャリア決済(au/docomo/ソフトバンク)、コンビニ支払いが使えるとのことです。

こちらはOCHA(国連人道問題調整事務所)の寄付先です。OCHAは国連の団体で、地震よりもずっと前からガズィアンテップなどでシリア人道支援活動を続けていました。今回の地震についても、トルコの国境線より南側の地域に対する人道支援も行うとしています。
※ドル払いとなります。
Google Payかクレジットカード
が使えるとのことです。


上記はアフィリエイトリンクではありません。
また、私が上記寄付先の全活動を知っているわけでもないし、全て賛同しているというわけでもなく、ここに代表的な窓口を並べただけに過ぎません。

ご寄付なさる際は、各人の意思と責任の下でなさるようお願いいたします。