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あとがき

前回の記事を読んでくださった方々、本当にありがとうございます。


想像よりもはるかに多くの方々に読んでいただき、温かいコメントも沢山頂いて大変光栄です。

あっという間に初盆が来たので、前回の記事で書ききれなかった母のことをもう少しお話しさせていただこうと思います。


お盆については、正直に言うとこれまでの人生で特に意識してきたことはなかった。というのも、我が家は典型的な核家族なので、母が亡くなるまではお盆という風習に関わる機会があまりなかった。

私は今20代だが、親戚が亡くなるのはこれが初めてではない。むしろ、近しい親戚については殆どがすでに他界している。

母方の祖父は、母が3歳の時に仕事中の事故で亡くなったそうだ(建設会社に勤めていた)。

そして父方の祖母は、父と母が出会う前に病気で既に亡くなっていたので、つまるところ私は上記の二人とは一度もお会いしたことがない。

母方の祖母については私が中学1年生の時に癌で亡くなった。母は3兄弟だったが、前述のとおり祖父は若くして他界していたので、祖母は女手一つで母達を育て上げた。
祖母の死は、私にとって人生で初めての近しい人との別れだったので、その時の感情や経験は鮮明に覚えている。通夜や葬式もこの時初めて経験した。

そしてその2年後、父方の叔父さん(父の弟)が脳卒中で急死した。
叔父さんは医者をやっており、一緒にご飯に行く時は決まって高い寿司をご馳走してくれたので、遠慮を知らなかった私たち三兄弟はなりふり構わず心ゆくまで寿司を貪っていたのを覚えている。父以外の前では寡黙な方だったので、叔父さんと交わした言葉数はそう多くもなかったけど、家族ぐるみで色んなところに旅行をしてきたので、もう一緒に行けないのかと思うと当時は実感が湧かなかった。

叔父さんの死は言わずもがな悲しかったけど、それよりも父が不憫でならなかったのを強く覚えている。
父と叔父さんはしょっちゅう二人で飲みに行ったりするほど仲が良かったが、そんな愛する弟が53歳という若さで突然先立ってしまったのだ。

そして私が高校3年の時、父方の祖父が亡くなった。
特段大きな病気はなく、90歳まで生きた末、老衰で亡くなった。
私が物心ついた頃には既に認知症を患っていたので、祖父とは会話らしい会話をした記憶がない。なんなら叔父さんの葬式で初めてちゃんとお会いしたくらいだった。
その時すでに重度の認知症だったので、自分の息子の葬式であることも分かっていなかったけど、それはある意味で幸せだったのかもしれない。私にはまだ子供はいないが、親より先に息子が先立つ辛さは到底計り知れない。
祖父の最後の顔はどこか穏やかな表情だった。

こんな感じで、私には近しい親戚が殆どいなかった。そんな中で母を亡くし、顔の浮かぶ親戚の数はいよいよ片手に収まる程度になってしまった。

こういう思考に至る度に、どうしても父のことを考えてしまう。
父は両親も、たった一人の弟も、そして最愛の妻も見送ってきた。血の繋がった親族は私たち息子しかいなくなってしまったわけだ。

両親の馴れ初めについては詳しくは分からないが、10歳年下の母に父が一目惚れをし、猛アタックの末の結婚だったらしい。

息子の私が言うのもなんだが、母はかなりの美人だったので、当時の父は母を振り向かせるために100キロ近くあった体重を60キロほどまで落としたそうだ。
そうして念願叶って付き合うことになったが、それでもまだ父の体型は若干ふくよかだったので、周りからはよく"美女と野獣"と言われていたと母から自慢げに聞かされたのを覚えている。
母はよく写真を残す人間だったので当時の写真を見たことがあるが、その中には確かに「親子か?」と思うような写真が何枚もあった。何はともあれ、二人が出会ってくれたおかげで今の私がある。

そんな父に向けて、母は亡くなる1ヶ月前に家族にも内緒で手紙を書いていた。

〇〇(父の名前)へ

こんなワガママな嫁の世話を、30年も文句のひとつも言わず面倒を見てくれてありがとう。

〇〇は料理、洗濯、掃除...全ての家事が完璧にこなせるので安心して先にあの世へ行けます。

まさか10歳も年下の妻が先に逝くことになるとは...
女性の方が10年も寿命が長いから、これから定年した〇〇と色んな所に旅行に行く予定だったのに...

去年の夏に退院して夕方ふたりで近所を散歩するのがすごく楽しかったよ🎵
外食もいいけど、〇〇がいつも私の好きなものを作ってくれたり買ってきてくれたのが嬉しかったです。

3人の息子の性格がみんな〇〇に似て優しい子ばかりでよかった。
私似の性格の子(特に娘)だったらこんな親想いの良い子になっていたかどうだか...

「樹木葬」がいいとか言ってたけど、〇〇が来るまでは〇〇家の墓で待ってます。
急がないでいいから、ゆっくり現世でゴルフをしたり、旅行をしたり楽しんでから来てください。

墓じまいは子供たちと相談して決めてね。
お義母さんびっくりするだろうね。まさか息子より先に初対面の嫁が来るなんて...

それにしても乱筆だなぁ。
不器用な嫁でごめんね。
ずっとわがままに付き合ってくれてありがとう。

〇〇(母の名前)より

私が産まれる前のことは分からないが、母が父に手紙を書いたのは少なくとも私の記憶の中ではこれが初めてだった。

父は母の手紙を見て号泣していた。1枚の便箋なんかには到底書き切れない想いがあったと思うが、父は簡潔に手紙の返事を書いた。

〇〇(母の名前)へ

世界一の妻として、そして母として、これまで本当にありがとう。
おれは〇〇と共に過ごせて、宇宙一の幸せ者でした。メッセージもありがとう。

〇〇の思いを胸に、子供たちとしっかり長生きします。
〇〇と一緒に旅行も行くよ。
天国から見守っていてね。

〇〇より

手紙の文字は力強く、背筋が伸びるような筆圧だった。

これまで息子として最前列で父と母を見てきて、こんなに素敵な夫婦はそういないとつくづく思う。
母が癌になってからも、家事や通院、保険などの諸々の手続きを、父は辛い顔を一切見せずやり遂げてくれた。
私たち息子にとっても、そして母にとってもこんなに素敵な父は世界中どこ探してもきっとこの人しかいないと思った。
そんな二人の元に産まれてきて、家族になれたことが私の人生にとってこの上ない幸せだと感じる。

3人の息子(しかも全員男)を育てるのは本当に大変だったと思うけど、母の教育のおかげでここまで育つことが出来た。感謝してもしきれない。

昔、母が新聞に投稿してたまたま採用された"子育てに関するコラム"が見つかったので、最後に載せさせていただく。

「また手で食べてる!ちゃんと箸を持ちなさい。
バカ」「また垂らした...ったく、もうオマエは一生オムツでいい」
「聞こえないの?返事しなさいよ」「お菓子はもうダメ、おしまい、しつこいよ、あっちいってよ!」

毎日、5歳の長男と、2歳の双子の息子たちをしかるセリフである。考えてみると、同じ状況が介護を受ける老人にも当てはまる。

長男にきいてみる。
「ママがおばあちゃんになったら、オムツかえてくれる?」

「ママ、オムツするの?」

「人間は歳をとると、体が動かなくなって、また赤ちゃんみたいにオムツしたり、ごはんじゃなくて、おかゆみたいなのしか食べれなくなるんだよ」

「じゃあ僕、オムツかえておしりもきれいにあらってあげる。服もきがえさせてあげる」

あーあ、こんなに優しい息子に私は日に何度も"バカ"をつけて怒っている。
何十年か後に息子(の嫁?)に「オムツがいやなら垂らすな!」と怒られながら世話になっているのだろうか。

しつけのためと叱っている言葉が、そのまま将来自分に返ってくると思うと、もう少し思いやりのある言葉を使おうとは思うが、また今日も怒鳴ってしまった。

「ママはおふろが好きだから毎日おふろに入れてね」

「うん、いいよ」

「ママはアイスが好きだから、冬でもアイスを食べさせてね」

「いっぱいかっておくね」

その時がきたらどうなるか分からないが、今は素直に「うん」と言ってくれる優しい息子に私はちょっと安心した。

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