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鬱(燃え尽き症候群)は、現実と向き合うことが出来たら治っていくのかも。

まず、自分は2022年5月に留学先で最後の試験を終えたタイミングで鬱でした。しかし、その時は鬱である現実から目を背けてちゃんと治療しないまま勢いで乗り切ってしまいました。だから、2023年3月に就活を終えたタイミングでまた鬱になりました。でも、無自覚なまましばらく無茶をして悪化してしまって今に至るという現状です。

今回のnoteは「鬱、直していけそう!」と思えた日の自分の日記の内容からです。「今苦しい人」に読んで欲しいです。1000文字くらいなので読んでみて欲しいです。「人生無駄な糧なし」ということで、この自分の経験をシェアすることが、誰かの役に立つ事を願いながら書いてます。そして、これを書くことで自分の弱さを真に認めたいな、とも思ってます。

2023/06/17(土)

正直、ここ2日とかで「認知行動療法」(物事の見方、出来事の受け止め方の中で自分を苦しめてしまうものを程よく手放すためのもの)が今の自分の情けない状態(鬱)から脱却するための最適解だ!って確信できた。

「自分の考え方が問題で、どんどんと状況が苦しくなっている」ということに気付き、その事実を認められた瞬間だった。きっかけはセラピーと、親が臨床心理士の資格を持っている幼馴染からの電話だった。あの時、幼馴染じゃなかったら出られてなかったと思う。自分の現状が情けなさ過ぎて。感謝。

でも現状を完全じゃないにしても受け止めて、何に取り組めばいいのかがわかってからは、元から仲の良い人・自分の様子を見て気にかけてくれている人に今の自分の状況を話せるようになった。(※今はこんな風にnoteでも発信している)

今までは、鬱の症状で苦しい現状を友達に話して聞いてもらっても、俺の場合は楽になるとは感じられなかった。お先真っ暗な現状で友達に相談しても、解決策が明らかにはならない。話を聞いてくれた友達に「力にはなれないけどお大事に…」的な事を言わせることになってしまうかも知れないのが本当に自分としては嫌で、しんどくて。そして相手も上手く鬱の自分に助けの手を差し伸べられないで、申し訳無さまでは行かなくても、モヤモヤした感情になってしまうかも知れないのが嫌だった。全部思い込みかもしれないけれど。

就活を終えた3月半ばから、鬱の症状は今思い返しても出ていた。でも、自分の弱さを認めたくなくて、症状を無視していつも通りに過ごそうと全力だった。留学直後(2022年夏)の鬱状態を自分で正しい知識なしで無理矢理乗り切ってしまったのと同じパターンで今回もこのまま前に進んでしまわないで済んで、本当に良かった。これが時間のある最後の学生の期間というタイミングで良かった。今回、正しく根本の自分の考え方の歪みを正していければ絶対大丈夫

「鬱=情けない状態」だという認知も、これから上手く自分なりの勉強とセラピーの力を借りながら変えていく必要がある。今までの自分の考えは、すごく偏っているけれど、〈鬱だなんて主観的なものだから、「逃げ」でしかないから俺は絶対にならない!〉って感じだった。

でも、この辛さを味わって、ようやく目の前の現実と向き合えた今、「鬱」って言葉がないと、本当に辛い状況から「助けを求める手段」が存在しないってことだと思う。鬱は「助けを求めて声を上げるために存在している言葉」だと思う。語弊があるかも知れないけれど、限界を迎えた時の免罪符みたいな。それを使わないで、どん底まで落ちて命を落とすことを考えれば、「逃げ」だなんてとんでもない。

さいごに

今の自分もまだ鬱から回復しようとしてもがいている途中ですが、少しでも誰かの背中を押せればとの思いで書きました。このnoteを書きながら、弱い自分を真に受け入れようと努力しています!

最後まで読んでくださってありがとうございます!また次回のnoteでお会いできるのを楽しみにしています👋

つらい状況について書いてるnoteです↓
(※この時は自覚が無かったけれど鬱状態で書いていたnoteです)


僕のnoteを読んでくださって、ありがとうございます!お金という形でのご支援に具体的なリターンを提示することは出来ないのですが、もしサポートを頂いた際は、僕自身の成長をまたnoteを通して報告させていただけるように頑張りたいと思っています。