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事業は継承するのではなく奪うもの 心石工芸 心石拓男さん

日本のGDP(国内総生産)の50%以上は中小企業により生み出されていますが、経営者の高齢化により中小企業の事業継承が社会問題になっています。そうした中、父から継承したソファメーカーを「こだわり」で立て直した心石拓男さんにお話しを伺いました。

心石拓男さんのプロフィール
出身地
:広島県 福山市
活動地域:本社と支店がある広島県、東京都を中心に、東北、関東、北陸・甲信越、東海、関西、四国など、全国にパートナーショップがある。
経歴:同志社大学 経済学部卒業。グロービス経営大学院大学卒業(MBA)。
集客環境づくりを手掛ける企業で営業を経験した後、家業の経営が傾いたことで事業を継承する決心をして帰郷する。
現在の職業及び活動:ソファメーカーの経営
座右の銘:好きこそ物の上手なれ

前途多難な事業継承。
ほしいモノがない悔しさからこだわりのソファづくりへ。

記者:心石さんはお父様の事業を継がれ、ソファメーカーの経営をされています。もともと家業を継ぐ希望はあったのでしょうか。

心石拓男さん(以下、心石 敬称略):強い希望があったわけではありません。家業を継ぐ前はサラリーマンでした。とはいえサラリーマンは長くても7年しかやらないと決めており、看板屋として独立するつもりでした。
 勤めていた会社は個人事業主の集まりのようなところ。営業からデザインや現場監督も全部自分でやっていたので、自営で仕事をするイメージがあったんです。看板業は競争相手が少なくて利益率が高いので、早く起業してポルシェに乗りたいなぁと思っていましたよ(笑)
 そんなとき、広島にいる姉から「お父さんの会社が傾いていて大変だから帰ってきなさい!」と言われ、家業を継ぐ決心をしました。

記者:お姉さんの知らせから、人生が方向転換したんですね。

心石:そうですね。僕が生まれたとき父が創業したので、心石工芸と僕は同級生です。子どもの頃から手伝っていたし、父から経営哲学らしき話を聞いて育ったこともあり、仕方なく家業を継ぐ運びとなりました。

記者:家業を継がれてからはいかがでしたか?

心石:はっきりいって暇でしたね。全然売れないので。僕が広島に戻ったのはプラザ合意後。主軸の商品だった応接セットのソファは、安い輸入品に惨敗していました。それまで応接セットといえば庶民の憧れの商材。贅沢品だったし、作れば売れる時代でもありました。それが、僕が来た頃は赤字で見積もりを出しても売れない。職人さんとともに中国移住も考えたくらいです。

記者:それは思い切った選択ですね。

心石
:でも、中国では大きな資本の下、人件費を考えないで大量生産ができる会社がたくさんある。高度経済成長期の日本のようでした。そんなタイミングで中国に行っても道はないので諦めました。

記者:ちょうど時代の移り変わりに直面していたのですね。その危機をどのように突破されたのですか?

心石:二つあります。一つ目は生産の仕組みを受注生産に変えたこと。それまでは在庫をたくさん抱えていましたが、受注生産に切り替え、在庫をぐっと減らしました。
 市場が成熟していくとお客様のニーズも細分化されていきます。ソファは嗜好品。そういうものはどんどんニーズが繊細になっていくんですよね。だから、ソファのテーラーになることにしたんです。お客様の希望によって商品の形を変えられるモノづくりにしました。

記者:大量生産大量消費の時代が終わり、お客様一人一人のニーズに合わせるようになったんですね。仕組みを変えることにお父様は反対されなかったんでしょうか?

心石:父は始めは反対していましたが、「在庫を管理するにもお金がかかっているんだよ」と言うと渋々納得してくれました。

記者:説得をされたんですね。二つ目のきっかけはなんでしょうか?

心石:僕の先輩が家を建てることになり、「ソファ買ってあげるよ」と言われました。ところが、カタログを見た先輩から一言。「ごめん、やっぱりいい。ほしいモノないから」と言われてしまったんです。

記者:それはショックですね!

心石
:でもね、冷静にカタログを見てみると、確かに自分でもほしいと思えるモノがなかったんですよ。それがすごく悔しかった。どうせ売れないなら、自分がほしいと思えるモノがいい。かっこいいソファをつくりたい!と思うようになりました。

記者:そこからこだわりのソファづくりがはじまったんですね。

心石:おしゃれなソファなんか作ったことがないので見よう見まねでした。車でいえば軽トラをつくっているような会社ですからね。はじめはフェラーリの形をした軽トラでしたよ。ライトグレーのフレームにオレンジ色のクッションを乗せてコンテンポラリーなデザインのソファが流行っている時に、革でモダンなソファをつくりました。展示会に出品した時はみんな目を丸くしていましたね。「心石工芸は変わったソファを作るなぁ、誰も買わないよ」って。今でも忘れない。3年間で2本しか売れなかった(笑)
 でも、モダンなソファを探していたインテリアショップのバイヤーさんが、OEMのメーカーに選んでくれました。他社では何本かまとめて発注しないといけないのを、弊社では一本から好きな色で生産できる。それが好まれたようです。

記者:受注生産と商品の改良。それが共に実を結んだのですね。

ソファは家族。家族だから誕生日がある。

記者:心石工芸のソファには刻印がありますよね。これにはどんな意味があるのでしょうか?

心石
革が好きな人は、革を育てる感覚を持っています。革は経年変化するから、ソファであれば家庭で家族と同じ時を過ごすことになります。そのことを社員と話していた時、「ソファって家族だよね。家族なら誕生日がいるね」と盛り上がったんです。だから、ソファの革を張った日に誕生日として刻印を押すようになりました。刻印があればメンテナンスや修理の際に、製造した仕様が分かるからです。

記者:社員さんとの対話から生まれたんですね!社員さんとの関係性も、とても大切にされているように感じます。

心石:製造業は人がいないと成り立ちません。でもそれだけではなく、ご縁で一緒に働いているなら楽しく働いてほしいと思っています。「縁は必然」という言葉があります。今こうして話しているのも自分の選択であり、相手の選択でもある。だから必然なんです。モノと人は少し違う感覚ですが、一緒に経験し、積み重ねていく時間が大事なんだと思います。

逃げていても逃げ切れない。
経営者になる運命ならば、自分から楽しみにいく。

記者:最後に、事業継承について心石さんの考えを教えてください。

心石:会社を継ぐ前に、先輩から「事業は継ぐものじゃない。奪うものだ」と言われました。創業者に追いつくことはない。創業者は下を教えながら、自分も成長している。同じ土俵で戦っても勝てるわけがない。だから、別の土俵で勝って認めさせ、譲らせるものだということです。その通りだと思います。

記者:会社の立て直しをされたとき、まさしくそれを体現されていますよね。

心石:あと、広島に帰ったとき父から「おまえは経営を楽しめるか?」と聞かれたんです。今になってやっとあの意味がわかってきました。
経営者は人生オールインなんですよ。24時間会社のことを考えるし、家族も巻き込む、友達も仕事の関係者。人生のすべてが仕事になっていきます。楽しめないとできません。
 「好きこそ物の上手なれ」という言葉がありますが、トップになる人は誰よりもその仕事が好きで、楽しんでいないと成功しにくいと思います。逃げていても逃げ切れないから。経営者になる運命ならば、自分から楽しみにいかないと。

記者:かっこいいです!心石さん、ありがとうございました。

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心石さんについての詳細情報についてはこちら
↓↓↓
HP:https://www.sofa-kokoroishi.jp/

【編集後記】

インタビューの記者を担当した川口と山下です。親が自営業をしている家庭で育った子どもが、家業を継ぐことを希望していないケースは少なくないと聞きます。心石さんもそうしたお一人でしたが、お父様の会社が傾いたことで事業を継承される決心をされました。お話をお聞きしていて印象深かったのは、心石さんの「自分のほしいと思えるモノをつくりたい」という思いと「経営を楽しむ」という姿勢でした。受け身のままでは仕事を楽しむことはできませんが、まさに「事業を奪った」瞬間に仕事が自分のものに変わるのだと気づかせてもらいました。「ソファは家族だから誕生日をつけよう」と考えた心石工芸の方々の心を私はとても美しいと思いました。お客様の希望に寄り添い続ける心石工芸さんのモノづくりを応援しています!

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この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36

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