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「考えるヒント」常識

毎年正月は小林秀雄を読み直す、黙々と・・

「考えるヒント」の「常識」より、

 ある先生が、現代生活と電気について講義をしていたが、
モートルが、筋肉の驚くべき延長をもたらしたが如く、
エレクトロニクスは、神経の考えられぬ程の拡大を
もたらした、と黒板に書いて説明していた。一般人に
向かって講義では、そう比喩的に言ってみるのも仕方
ないとしても、そういう言い方の影響するところは、大変
大きいのではないかと思った。例えば、人間の頭脳に、
何百億の細胞があろうが、驚くにあたらない。
「人工頭脳」の細胞の数は、理論上いくらでも殖やす
事が出来る。
(中略)

 こういう説明の仕方は、これを聞いている人々を、
「人工頭脳」を考え出したのは人間頭脳だが、
「人工頭脳」は何一つ考えだしはしない、という
決定的な事実に対し、知らず識らず鈍感にして
了う。
(中略)

 機械は、人間が何億年もかかる計算を一日で
やるだろうが、その計算とは反覆運動に相違ない
から、計算のうちに、ほんの少しでも、あれかこれか
を判断し選択しなければならぬ要素が介入して
来れば、機械は為すところを知るまい。これは
常識である。常識は、計算することと考えることとを
混同してはいけない。
(中略)

 テレビを享楽しようと、ミサイルを祝おうと、私達は、
機械を利用する事を止めるわけにはいかない。
機械の利用享楽がすっかり身についた御陰で、機械を
モデルにして物を考えるという詰まらぬ習慣も、すっかり
身についた。御陰で、これは現代の堂々たる風潮となった。

 なるほど、常識がなければ、私達は一日も生きられない。
だから、みんな常識は働かせているわけだ。併し、その
常識の働きが利く範囲なり世界なりが、現代ではどういう
事になっているかを考えてみるがよい。

 常識の働きが貴いのは、刻々に新たに、微妙に動く
対象に即してまるで行動するように考えているところ
にある。

 そういう形の考え方のとどく射程は、ほんの私達の
私生活の私事を出ないように思われる。事が公に
なって、一とたび、社会を批判し、政治を論じ、文化を
語るとなると、同じ人間の人相が一変し、忽ち(たちまち)、
計算機に酷似してくるのは、どうした事であろうか。

(文藝春秋 昭和34年6月 「考えるヒント」常識 より)

 小林秀雄先生の朴訥で厳しい声が響いてくるようです、
僕らは「考え抜かなければいけない」。便利なスキーマに
取り込まれ、知らぬまに服従してはいないだろうか。

 インターネットは便利である、そして、完全に生活の
一部になった。もう、この仕組み無しでは生活が上手に
できない。しかし、人間としての「常識」を放棄しては
ならない、時間をかけて考え抜き、ユニークな判断を
しなければいけない。

 先生は機械に踊らされる人間を看破していた、
「考えるヒント」を読むたびに叱咤激励されているような
心持ちとなり、身が引き締まる思いである。

考えるヒント (文春文庫)/文藝春秋

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