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士業経営の落とし穴【みんなハマる】 第4話 経営は血生臭い②

経営をしても血生臭いし、経営を放棄すると人の集団はさらに血生臭いことになります。

「経営はエリート、従業員は田吾作。統率してやらないといけない」という残念な観念があります。
そういうときに「田吾作とエリート」は「他責と自責」の差だといったります。
ブー垂れているだけの存在か責務を考える存在か。
これは一見正当なようですが、明確な差別意識の顕在化であり、100%組織の人間関係を破綻させます。
他者を敬愛しないという考え方をベースにしてしまっているからです。
その結果として、人の集まりが、助け合う組織とならず、荒れはてて崩壊、あるいは満を持して下剋上が起きたりします。

経営を放棄するということは、経営者によって、集団内での考え方(情報)の「大きさと向き(方向性)」が生まれず、無限に人の衝突が生じていくということでもあります。そして力は分散拡大して、最後は無に帰す(つぶれる)ということになるわけです。

マネジャーは詩人でもあるべきだと思います。 
世の中、他責思考な人はたくさんいますし、そういう人はほぼ変わりません。組織に紛れ込んだときに、やさしさだけではそこを分かってもらえないことは往々にしてあります。
士業は、理科的で散文的で、おもしろいことでもつまらなく話す天才です。
組織で人を変えるためには、感性に訴えかけるように、自己や他人の精神状態を深く考察して言葉を選ぶ、詩人である必要があるということです。

そして、言葉と暴力とは紙一重、あるいは双子の存在です。かなり近い。
中世日本でも詞戦い(ことばたたかい)といって実際の武力行使の前に言葉で戦っていたし、それで人の命を奪ったり(死に追い込む)しました。
言葉はそれほど強力な武器です。それをつかって部下を変化させる必要はあるし、それは有益です。

そしてそれがいやだというなら阿吽で物事がすすんでいく小規模血縁集団(家族)でいくのがいいです。5人~10人くらいのレベルです。

ここは士業が組織を運用していく=経営をする際に、自分を変えないといけない点です。いままでの自分、かつての自分を思い切って捨てて、その組織にふさわしい経営者としての自分の言葉、行動をすこし不格好でもし続けるということです。
これを覚悟(覚めて悟る。意識で自分を変える)するといいます。

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