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ドルトン東京学園の日常

とにかく「楽しい!」、そして誰もが「ホンネで過ごせる」場所。生徒も教職員も、「おもしろい」「もっと知りたい」のアンテナを立てながら、それを広げ、深めることを最優先で考えています。

教員は、授業を通して教科の内容を生徒に覚え込ませ、その成果を一面的なテストで測ってお尻をたたいたり、生活指導の名の下に大人の都合にあわせて動く生徒をつくることをめざしていません。

授業や行事など、さまざまな学校生活を通して、生き方や考え方を生徒に学んでもらうことを一番に考えています。教職員は生徒にとって「憧れの大人」であり、学ぶことが楽しいことを自らの行動で示し、感じさせてくれる存在です。

また、生徒一人ひとりを子どもだから未熟だとは考えていません。多くの大人が周囲に合わせ、従順な存在でいようとすればするほど抑えざるを得なかった、豊かな感性や物事を捉える素直さ、飽くなき好奇心、純粋な疑問、違和感……。そういったものを持っている存在として認め、教職員自身が「我が身の鏡」にしています。

誰もが多様で異なる存在であるがゆえに、比べること、そろえることにも意味はありません。だから、自分らしく自由でいられます。もちろん、その過程で果たすべき責任や他者の自由を保障しないと、自由が得られないことも知っています。

中高生という可塑性に富んだ成長期に、鋳型や限界は必要ありません。やれるだけやる、とことん没頭する、我を忘れて打ち込む……そういった経験から生まれる「心身との対話」こそ、自分をつくっていく糧であり、羅針盤です。

開放的かつ心地よい校舎も、そんな学びを支えています。学校にあるのが当たり前だからつくるという意識ではなく、生徒の学びにとって必要かどうかをゼロベースで考えたからこそできた空間が、ワクワクを生み続けています。

保護者の関わりも、強制的な組織として強制されないからこそできた応援団として、学校と連携しながら子どもたちの成長をともに見守り、支えていこうというココロのつながりが土台になっています。

学校が「こんな場所だったらいいな!」を、とことん実現していこうとする。それがドルトン東京学園の在り方・考え方であり、行動原則です。

大人の事情で制限したり、前例に囚われて躊躇したり、どうせ無理だと諦めたりはしません。

やりたい人が、できる時に、思いっきりチャレンジすることを、生徒や教員、保護者の立場を超えて「ともに支え合う」。そんな関わりが「社会で生きること」そのものであり、ドルトンの学びを支える「根っこ」です。

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