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不完全創作談義的ひとりごと2

【エッセイでし】ver.1.42

私の知る限り、『芸術方面』に関心がない人には共通点がある。

孤独(ひとり)の趣味を
       持っていない

全ての行動には『誰々と』が付着し、気持ちの共有……あるいは、単に独りで行動する気がないとか、受動的な娯楽が多いとか、即物的なモノが好きとか、いろいろ。

能動……まぁ創作とするか。
これを誰かとやるなんて私は考えられない。焦点がお互いボヤけた状態なら楽しいだろうけど、継続の内に精度や厳密性が増し、必ず意見の相違が現れる。
なら最初っから【孤独】にやった方がいい。

『相違』程度でケンカになるなんて、悲しいからだ。

夫婦や友人関係もそう。
『我』がとんがってくれば、険悪になる。
                でもなぁ💭

芸術関係の話って
 めっちゃ面白いんだよなぁ……

言い換えれば、何かを作ってこなかった人とは、とことんまで会話が弾まない。
けど、弾まないその人だって、人生のどこかで『作る楽しさ』を味わってる筈なんだ。
忘れてるだけ……忘れ続けているだけ。負けんなよ社会に、理不尽に。

【自己表現】の評価を他人に握られている――
これは実につまらない。
営業の成績を競い合う営業マンのようにな。
だから必ず【孤独】でなければならない。
ちなみに『承認欲求』については、もはや語る必要すらない。

幸い伴侶が『その方面』の話にノッてくれる。あまりにありがたい……ありがたすぎる❗️
『創作したから』湧いてきたこの気持ちを❗️ 誰かにぶつけないと私は自分を保てない❗️

けど自分の作品は身内に見せたくない‼️

ぶっちゃけいらん、評価って。
作り手の共通了承だと思うが、作品は『過去の排泄物』程度のモノにすぎない。
とっくに流れてるから、今更語れないのだ。
気持ちは既に『次』へと向かっている。だって食べたら出るもんね。
だから肉体に置き換えたら『めっちゃ胃腸が活発な人』なのだ。

話を戻すか。
まあ感覚だけど、『孤独の趣味』を持たない人は『代謝』が正常に行われていない気がする。

取り入れ……出す……取り入れ……出す

これが生物の大原則だと思う。
当然人間だけ脳が発達してるから、野生動物のように食べて排泄だけじゃよろしくない。
脳内の排泄も日々行わねば、腐る……だからこそ、作る。
それを妨げるのが『固執』

おかしいでしょ❓
食べ物は毎日いろいろ食べるのに、脳に取り入れるモノは『一定』だなんて。飽きるでしょ?

う○ちだって出さなきゃ視認できない。
だから脳内排泄物もわざわざ形にするのだ。

この当たり前を、きちんと理解している人が多いか、少ないか。
よーわからんけど、私からは

創作めっちゃ楽しいで❗️
 やろやろ〜❗️

ってなカンジです。

ここすき



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