見出し画像

頭が【固い人】と【柔らかい人】の人間的差異

先日は精神活動が殆ど行えなかった🎄🎁
このような場合、まずもって主格優位となり、本来持ち合わせているウジ虫加減が遺憾なく発揮される。だから思い出した。だからこそ精神の飛翔を望んでいたのだと。現実に張り付いていると……いや、世の中か。うん、バカだよね私、なんでこうも。

そりゃ傍から見れば普通の人に……普通の人に見られる事を望んでいるの? ホラ、頭がうるさくなってきた。これでいいんでしょ?
『はい、これで』

バカには私らみたいなクスリが必要なんだ。自らを枠に閉じ込めようとする愚か者には。ネットで売ってる怪しいサプリよりかはなんぼかな。

あれ程思考の堂々巡りを嫌っていたんですもの。私達が穴をあけて、出してあげなければ。ねえ、出番なんでしょ? おみゅりこ。


おっしゃ(๑•ૅㅁ•๑)
つーワケでテーマに沿って進めていくぜ。
これは先日人とのやり取りで言われた『おみゅ、考え方が固いよ』みたいな台詞を元に展開だ。

私は咄嗟に思った。『じゃあ柔らかい人ってどんなんだろう』と。ああ、また答えのなさそうな問いを。哲学者共が腕組んで円陣作って見下ろしてくる。

確かに会話中の私の脳内をイメージしたら、進みゆく枝のようなレスポンスに見えた。
A→(a.b.c)→/./.c→(c)B→(d.e.f)……のように。
経験と知識に照らし合わせ、成否を決め枝を選び、場合によっては関係性に応じた常識的観点も参照にしながら思考し、言葉を選択する。勿論、感情による発話など論外としている。

これは衝突を避ける為に編み出した方法であり、自然とこうなったとも言える。加えて度々ユーモア的なゴミをブチ込み、真面目な弁護士のようにならぬよう気を払っている。

ここまで数秒の思考に過ぎないが、いざ文字に起こすと大変だ。言葉にするのも大変なので省略を私は望んでいる――だから誤解されるのか❗️
そうなんだ、聞いてくれ。今言ったみたいに、私はイメージ先行型なのだ。ジェットコースターが爽快なように、思考もカカカッとスピード感を持って枝を進めたら気持ちがいいんだ。
このスピードを維持するには……たとえば

『えっとぉ、今こう言われたからぁ、ん〜、そうだなぁ……』なんてやってたら時間が足りない。
ここで私が以前書いた『パッケージ化』された思考のファイルが登場する。
これはまとまった『イメージ』として脳内に散りばめられており、いちいち開かなくても私自身は内容を熟知している。
人んちのリモコンと自分ちのリモコンじゃあ、『取って』の意味が全然違うだろ? そんな感じ。

思考が『えっ? ドコ?』ってなったらお終いだ。
対して自分ちなら、『全体像』と『個別の位置』を把握しているからこそ、素早くリモコンが取れる。これがスピード感の説明ね。
ドイツか何かにもこんな言葉がある。
【愚者といえど、自分の家においては賢者にも勝る】
大体だけどな。


さて、ここまで思考し改めて思った。
『じゃあ柔らかい人ってなんだ❓』

前述したのは、私なりの『柔軟な思考の形跡』である。感情にストレートにならず、様々に照らし合わせ、相手を傷つけないよう気を使い、普遍的すぎる意見を避け、独自性を持たせつつユーモアもブチ込む。

ここまでやって『固い』のなら、一体何が『柔らかさ』なのだ?

まず思ったのが、私の選択する『語彙』自体が固いモノではなかろうかという疑問。それならば相手に固い印象を与えてしまう可能性はある。

次に私の思考方法そのものがコンピュータちっくであり、固さの要因になっている――が、私は培ったこの方法を手放したら『他人の家』の中で物を探すような状態に陥ってしまう。

更にここまで思考し思った。

頭が柔らかい人ってなんだ❓

その会話の相手が言うには
『対象の事を考え向き合っている状態』だという。

……私なりに向き合ってるつもりである。私なりの方法で。

加えて私は『前提の排除』も念頭に置いている。
たとえば、『あの人は○○だから関わらない方がいい』と事前情報を仕入れていた場合、これを排除する。人に植え込まれた偏見を好まないからだ。
色眼鏡はあらゆる認識を歪ませる。なら、その後に展開する思考にも悪影響を及ぼす。誰がそんなの望むって?


――結局私は納得のいく答えを得られなかった。
そして思った。


柔らかい人って❓

だが私は会話の相手に感謝を述べた。
『考える材料をくれてありがとう』と。

なぁ、誰か答えを知っているか? だとしたらコメントでも何でもいいから教えてほしい。私は人のまとまった考えを聞くのが好きだ。
まとまった矜持なり哲学がない人は……おっと、色眼鏡が発動するトコだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?