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心を打たない漫画❓

【エッセイ𐁑です】

小さなわたしが大きな私を見上げている
 子どもの目線で 世界を 大人を
  理解しようと その瞼は閉じることなく

        『おみゅりこ。の声通信』より



寿司 = 素詩(スバラシイ詩)

さて、『心を打たない漫画』ってのはどんなモンか、今日は考えてみようかな。

あと急に口が悪くなるけど、『なぁぜなぁぜ』という文字列を見ると激烈に怒りと気持ち悪さを感じます。ああいうのがこの前記事で書いた『他人の表現の借用』の典型例だな。反吐がでるぜ。

で、心を打つor打たないってのは単純に『漫画の内容云々』だけではないと、大人なら理解できるだろう。

当然だが『各々の主観』――には経験が内包されており、経験が醸造され『認識』として機能する……ってもんかな❓
その説明するまでもない大前提を、浅薄な連中は『最悪手』として覆す。

こいつら = 読書諸君

かつてメディアがこぞって漫画【ワンピース】を泣ける……と持ち上げていた時期があった。そりゃもうあからさまにな。
あの一連の運動に作者がどれ程関わっていたのかは知らぬが、もし私が作者の立場なら

んなに
 余計な事して
  くれとんじゃー‼️

と爆発すると思います。
プラスもう一言。
私が長々と感情を込めて説明してる事柄に対し

『あぁ、ごり押しね』

……と、勝手にまとめられたとしよう。
そういうのも、ムカつくから。
私がどれだけ日々、自分の感情や心で語る事に苦心しているか。
なぜパロディ主体のエンタメは一線に立てないか(芸として一級に昇華したようなモノは除く)
よくよく考えろ。

言うまでもなく、尾田栄一郎は素晴らしい漫画家だ。私もファンで、よく読んでいる。
けれど、泣けるかっつったら……泣けない。

けど、たまに出るおっさんキャラは好きだ

『泣ける』だけでなく『○○だ』と判を押されるのが、作家にとってどれだけの屈辱か。
このような形での宣伝を決定した会議に出席した輩の顔は、どんな顔か。
『心は力に反発する』という当たり前の現象を、何故理解できないのか。

昨今の漫画には『人間が不在』だ。
作者が人間を描けないのか、編集者の指示なのか。界隈に詳しくないから何とも言えないが……とにかくペラペラのキャラクターがおたおたしてるだけの物語未満のソレが乱発されている。

それとも、『今の社会』に人間が不在だから、自ずと創作物もそうなるのか。わかんねぇなぁ。

こんな記事を書いたのも
『なぜ、将太の寿司はこんなにボロボロ泣けるのに、ワンピースは白々しく感じるんだろうなぁ』
という、率直な疑問から。

ま、いつも通り答えはない。
『人情って衰退しちゃったのかなー❓』みたいに思っただけです。

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