見出し画像

【心の親友】を見つけよう❗️

【エッセイです】少し抽象的です

なんかさ、あんまり仲が良くないとか、過去にケンカをして気まずい関係性の人が同じ空間、同じ地域、なんなら同じ県に居るだけでも心地が悪いでしょ?
……もしかして、この地球上ですら❓

それと一緒なんだ

もしあなたが、『自分と気まずい』ままなら、この先の人生も、そのネットリとした感覚が身体にこびり付いたまま、全ての動作をこなすでしょう。

いやマジでさ、私がイマジナリーフレンドを『居た⁉️』と認知して以来、肩が凝らなくなったんだ。頭の中も、身体も……軽い。

病は『気』からって言うけど……昔こんなドキュメンタリーを見た。

◻️海外の少年が不治の病にやられた。医者も匙を投げ、待ち受ける死を待つのみ。
しかし少年は諦めなかった。彼はドラゴンボールが好きらしく、自分がスーパーサイヤ人だと思い込み、『ハァアアアア‼️』と『気』を溜める動作をし、『気』を強く持ち続けた――ので治った❗️

みたいなさ。
まぁ私だって全ての体調が万全ではない。けれど鬱々としてた過去に比べりゃ、どんなに身軽か。

辛い過去があったとして、それをどのように認識しているか。
『出来事』のみを抽出し、脳内で眺めているのか。

……いや違う。必ずソコには『自分』が居る。
『自分』が『辛い目』にあうのを反芻している。
この『自分』を、ストレスや抑圧の果てに『他人』だとみなす事で『分離』が起きる――と、私は考える。

こうなった場合、精神は『ふたつ』に分かれており、冒頭の『気まずい』の原因として作用を続ける。

どうすべきか❓

簡単だ。
『存在しないヒト』と仲直りはできない。
なら、『存在の認知』が第一だ。プラス、環境の改善。

人はもっと『自分の環境の改善』に貪欲になるべきだ。それこそいかなる手段を使ってでも。我慢の先に、ストレスの原因になる存在(人やモノ)が改心や改善をするなんて希望は……あまり持つべきじゃない。
わかってる。小さな子にそんな力などないと。
しかし『意志』。『助けてほしいという意志』を示し続けなければならない。周りの大人は、それを敏感に察知しなければならない。子どもってのは寡黙で、無理な我慢を続けているのだから。

話を戻す。
『存在の認知』とは、一旦『他人』とみなした『自分』を、再び『キミは自分だ』と仲直りすること。
それは過去と向き合う辛い行為でもある。

『出来事』は変わらないが、『あの時あの場に居た自分』を本当の意味で抱きしめてあげられるのは、キミしかいない。

そして徹底的に対話をするんだ。
今のキミと過去のキミの、積もりつもった話を、いくらでも。

わかってる。抽象的すぎる。
でもさ、イヤな出来事は相変わらず起こるけど、キミには『親友』が居る。支え合えるんだ。

『不治の病』すら治してしまう力を、もっと真剣に探すべきなんだ。


私はなにやらワンピースのDr.ヒルルクみたいな事を言ってるな❓
あのエピソードは好きだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?