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田籠由美評 艾未未『千年の歓喜と悲哀――アイ・ウェイウェイ自伝』(佐々木紀子訳、KADOKAWA)

評者◆田籠由美
表現の自由を求め、長く厳しい旅は続く――決して人権や表現の自由は当然のものではない
千年の歓喜と悲哀――アイ・ウェイウェイ自伝
艾未未著、佐々木紀子訳
KADOKAWA
No.3576 ・ 2023年01月28日

■本書を読み終えたあと、脳裏に浮かんできたのは新彊の凍てつく荒野の光景だった。冬は氷点下三十度になる砂漠の端にある穴蔵のような地下住居に、その一家は身を寄せあって暮らしていた。しかし、その小さな家はいつもきれいに整頓され、家の外には集められた薪がまるでアート作品のように美しく積まれていたという。現代美術家で人権活動家でもあるアイ・ウェイウェイ(艾未未)が北京の家から父とこの地に送られたとき、彼はまだ十歳だった。
 アイ・ウェイウェイの父のアイ・チン(艾青)は、若くしてパリに留学したのちに中華人民共和国の建国にかかわった高名な詩人だった。だが一九六六年に毛沢東の主導する文化大革命が始まると、ブルジョア的であると批判されて北京から辺境の新疆へと追放された。それまで知識人として人々に敬われていたアイ・チンが、たくさんの屋外便所を来る日も来る日もひとりで掃除する過酷な労働を強いられたのである。だが驚いたことに、彼は決して絶望的にならなかった。これも誰かがしていた大切な仕事なのだと迫害の日々を凌ぎ、持ち前の品格を失うことはなかった。そうやって人間らしい生き方を諦めないことは、物静かなアイ・チンが示した公権力への最大の抵抗だったのではないだろうか。一九七六年の毛沢東の死で文化大革命は終息し、アイ・チンと家族はやっと北京に戻ることができた。アイ・ウェイウェイが体験した極貧と迫害の子ども時代は、虐げられた人々のためなら恐れることなく公権力に立ち向かう彼の活動の原点になったにちがいない。
 新彊から北京に戻ったアイ・ウェイウェイは、ニューヨークの美大に留学する機会を得て、現代美術の道を歩みだす。一九九三年に父の病気を機に中国に帰国したのちは、中国の若手現代美術家たちのリーダー的存在になり、展覧会のキュレーターとしても活躍する。端正な美しさの父の詩とは異なり、息子は刺激的で力強いアート作品によって世界的な注目を浴びる。二〇〇八年には北京オリンピックの「鳥の巣」スタジアムの芸術顧問も務めた。
 しかし、アイ・ウェイウェイの関心はエリートの祭典よりも弱い立場の人々のほうにあったようだ。二〇〇八年に起きた四川大地震では、当局の妨害に遭いながら被害者の状況の調査や追悼プロジェクトを続けた。また、イギリスのテート・モダンで展示した一億粒のひまわりの種のインスタレーションは、どの命にも等しく価値があることを訴えていたにちがいない。中国政府と彼の対立はとうとう二〇一一年に決定的な局面を迎える。公安当局によって八十一日間勾留され、厳しい取り調べを受けたのである。残念ながら政府には、彼の活動を許容する懐の広さはなかった。二〇一五年、自宅軟禁を解かれた彼は中国を出国してヨーロッパに旅立った。母国を離れざるをえなかった悲しみは、想像を絶する。
 アイ・ウェイウェイは牢獄での拘留中、解放されたら必ず一人息子のアイ・ロウ(艾老)のために自分と自分の父親の人生についての物語を書こうと決意していた。そしてその思いは、この自伝として結実した。本書には、アイ・ウェイウェイが描いたデッサンが多数挿入されている。特に印象的だったのは、新疆で家族四人が暮らした地下住居の絵、そして、息子のアイ・ロウの小さなベビーカーの絵だ。どちらの絵も、繊細な筆致にアイ・ウェイウェイの家族への温かい眼差しが感じられる。
 日中戦争、国民党軍と共産党軍の内戦、強権政府による迫害……激動の時代に翻弄されながらも人間らしく生きることを忘れず表現の自由を希求し続けた父子の強い信念に、読者は圧倒されるだろう。一日も早くアイ・ウェイウェイが再び母国の土を踏める日が訪れることを心から願う。本書は、現代でも決して人権や表現の自由が当然のものではないことを痛感させる。
(翻訳者/ライター)

「図書新聞」No.3576 ・ 2023年1月28日(日)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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