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品川暁子評 ヘニング・マンケル『スウェーディッシュ・ブーツ』(柳沢由実子訳、東京創元社)

評者◆品川暁子
北欧で人気を誇ったミステリー作家、最後の作品――CWAインターナショナルダガー賞を受賞
スウェーディッシュ・ブーツ
ヘニング・マンケル 著、柳沢由実子 訳
東京創元社
No.3598 ・ 2023年07月08日

■『スウェーディッシュ・ブーツ』は、二〇〇六年に発表された『イタリアン・シューズ』の八年後を想定して書かれた続編だが、一作として十分に楽しめる。
 主人公のフレドリック・ヴェリーンは、スウェーデン東海岸群島の小さな島に住む七十歳の元外科医だ。女性の健康な片腕を切断するというミスを犯し医療の道を離れ、隠遁生活を送っている。真冬の朝に氷を割って冷水浴を行うことを日課にしていることから、周りには変わり者だと思われている。
 下界との接点となっているのは、ツーレ・ヤンソンだ。すでに郵便配達の仕事は引退しているが、必要な物資を運ぶなどの雑用をこなしてくれている。一方、ヴェリーンは体の不調を訴えるヤンソンを診るために診療小屋を建てていた。
 一年前の秋、ヴェリーンの家が全焼した。就寝中だったヴェリーンが持ち出せたものはゴム長靴だけで、しかもどちらも左足用だった。
 家を失ったヴェリーンは、娘ルイースが置いていったトレーラーハウスに住むことにする。ルイースは実の娘だが、八年前に元恋人ハリエットから子供がいたことを知らされるまで、その存在を知らなかった。そのため、娘の私生活についてはほとんど何も知らない。
 ヴェリーンは祖父母が建てた家をルイースに譲る約束をしていたため、娘に連絡をする。
 そのあと町に出て、スウェーデン製の長靴を買うことにするが、どこにも見つからない。途方に暮れていると、必死になって探していたゴム長靴と同じものを履いた美しい女性が目の前に現れる。火事の取材に来た地方紙の新聞記者リーサ・モーディンだった。ヴェリーンは一目で恋に落ちた。
 その後、沿岸警備隊や警察官が出火の原因を調べると、複数の場所で同時に火が出ていたことが判明した。ヴェリーンに放火の容疑がかかり、警察に呼び出される。逮捕されるのではないかと不安を感じていると、パリにいた娘ルイースから、警察に捕まったので助けに来てほしいと連絡がある。パリに向かい、ルイースの釈放に成功する。そのころ、島では別の放火事件が起きていた。ヴェリーンは放火魔でなかったのだ……。
 ヘニング・マンケルは、必ずしもヴェリーンを善人として描いていない。若いころにルイースの母親であった女性を捨てて逃げ、郵便配達人だったヤンソンを見下し、今も毛嫌いしている。他人の手紙やカバンの中身を覗き見ることに罪悪感がない。
 そのため、ルイースともなかなか分かり合えない。ルイースは政治家に手紙を送ったり、抗議活動をしたりするなどラディカルな女性だが、意見が合わず、たびたび衝突する。
 新聞記者のモーディンには、唐突と思えるほど一方的な恋心を抱く。三十歳ほど年下の彼女の家に押しかけたり、パリで捕まっている娘の救出に一緒に行ってほしいと誘ったりするのだ。はたから見ると迷惑行為でしかないが、老いを感じ、死が近づいていると思うと、最後の愛を実らせたいと思うのだろうか。だが、最終的にモーディンとは友人という関係に落ち着く。
 ヘニング・マンケル最後の作品となった本作は、近づく死への恐怖が色濃く表れている。主人公ヴェリーンは十年前にできていたことができない。島の住民が次々と病死するのを目の当たりにし、「死んだ人間に囲まれ始めている」と感じる。
 走馬灯のように昔を回想するシーンもたびたび出てくる。なかでも、泳いでいるシカを祖父がオールで叩き殺した話や、両親が二人目をつくろうと話していると、自分は要らない子供なのかと不安になり、テーブルの下から母親の足に噛みついた話は印象的だ。どれもヴェリーンのというより、著者本人の経験のように思える。
 老いを憂え、死を恐れる描写が続くが、最後には生を感じさせるいくつかの明るいエピソードがもたらされる。一つはルイースの妊娠と出産だ。自分に孫ができることを知り、ヴェリーンは生まれて初めて幸せを感じる。また、パリで救出した後は、娘との距離を埋めることができたのだ。
 それから、紆余曲折あってなかなか手に入らなかったスウェーデン製の長靴がようやく届く。
 また、放火疑惑が晴れたことから、保険金で家を再建するめどが立った。ヴェリーンは、焼け跡から見つかった靴のバックルを床下に埋めることにした。『イタリアン・シューズ』で、ルイースの知人のイタリア靴職人に作ってもらったものだ。ヴェリーンは、生きる気力が湧いてくるのを感じる。
 一九四八年生まれのヘニング・マンケルは、作家、舞台監督、劇作家として活躍し、人気の〈刑事ヴァランダー・シリーズ〉は現在四十一カ国で出版されている。北欧では最も出版部数の多い作家のひとりで、人気実力ともに北欧ナンバーワンとの声が高い。
 『スウェーディッシュ・ブーツ』は二〇一五年夏に刊行されたが、マンケルは同年十月に六十七歳で亡くなった。その後、二〇一八年にCWA(英国推理作家協会)のインターナショナルダガー賞を受賞している。
(英語講師/ライター/オンライン英会話A&A ENGLISH経営)

「図書新聞」No.3598・ 2023年07月08日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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