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私のこと②【切迫気味+未婚の妊婦が医者の反対を押し切り2度の海外旅行】

こんにちは、弥生です。
現在妊娠8ヶ月。
授乳以外の育児が全て出来る旦那様と、4歳2歳の娘をモンテッソーリ教育の幼稚園に通わせなから、第三子を妊娠中。

29歳の時、付き合っていた男性との間に子どもが出来、未婚で出産を決めてシングルマザーになり、婚活して結婚するまでのストーリーを、綴っています。

私の事①【子どもが苦手な私が、未婚の母になったわけ】はこちら

誰かの参考や、勇気になれば嬉しいです。

妊娠中のこと

産む・産まないで悩み、振り回されて苦しんだ末に『一人でも産む』と決めてから、気持ちが安定しました。
それで『やりたいことを、やれるうちにやっていこう』と思うようになりました。

・会いたい人に会うこと
・海外旅行に行くこと
・今の仕事をきっちり終わらせること

検診のたびに、大きくなっている赤ちゃん。
段々と目立ってくるお腹。

「成長の見る幸せ」というより、お腹の成長に焦り、使命感に燃えて、1人でいられる最後の時間を、しっかり使い切りたいと思っていました。

銀座のクラブのホステスだった私

その頃のメインのお仕事は、銀座のクラブでのホステスでした。

煙草の煙の中で、お酒を飲んでいる“ふり”をする。
つわりの間は煙草や香水の匂いに苦しみ、つわりが収まっても、いつまでドレスが着られるのか分からない。
毎日、終電までの夜遅い仕事。

体力的にもつらく、帰る家は真っ暗な一人暮らしの部屋。
自分で買い物や料理をしない限り、誰も何もしてくれない。悩みを打ち明けて頼る相手もいない。

「いつまで働けるんだろうか、、」
シングルマザーになる。という事は、出来るだけ長く働いて、稼いで、お金を貯めておきたい。


妊娠しているとわかった時「産むかどうか分からない。でも妊娠したのでお酒は控えたい。」と相談した時に、お店のママは本当の母のように相談に乗ってくれました。

産む・産まない。
結婚する・しない。

振り回され、いつまでも決まらなくて、つわりに苦しみながらも、毎日出勤する私。
お店が閉まった後、泣きながら相談した事もありました。

「弥生ちゃんはどうしたいの?」
「そんな男捨てなさい。お腹の子のお母さんはあなた!弥生ちゃんが守っていかなきゃ!」
と言うママ。

「お客様には妊娠を言わずに辞め、戻ってきなさい。」
「まだ若いんだから、覚悟を決めて働いて、自分で稼いで育てていくのよ。この子のお母さんは、貴女しかいないんだから。」

お店のママは、応援してくれました。

銀座で10年以上もオーナーママでお店を開けていくことは、きっと決断の連続。
強くてかっこいいと思いました。

互いの両親に会った後の出勤で「ママ私、1人でも産むことに決めました」と、その経緯を不安そうな顔で報告した私。
ママは抱きしめて「良かったわね、頑張りなさいね」と言ってくれた。
「女の子なら、私が育てても良いわよ?」とも。笑

一人暮らしの私に『イワシの梅煮』をつくってきてくれたこともありました。美味しかったし、その愛情が、とても嬉しかった。


それでもこの仕事は、キッパリ辞めようと決めていました。

「今の貯金で2年程度は、今の家で、子どもと2人での暮らしていける。
貯金が尽きる頃までに結婚しなければ、子どもを保育園に入れて、どこかでまた働きに行こう。
その場所は、もうここじゃない。」

ママには言わず、心の中でそう決めて、働いていました。

お店と相談して最終日は7月1日。
妊娠7ヶ月半ば。

「誰に何を言われても、1人でも産む」と私が勝手に決めた。妊娠に関しては、誰にも弱音は吐けない。

どんどんお腹が出て、着られるドレスが少なくなり、お客様と外で、私服で会う事はできなくなっていました。同伴もアフターもできない。

今まで当たり前にできたことが、できなくなっていく。


お世話になったお店に、少しでも恩返しがしたい。という気持ちと「日数も売り上げも、どこまでやれるか挑戦したい」と思って働いていました。

働いてお金をいただくからには、私はプロ。
私のプライベートに何があろうと、来てくださる方には関係ない。


『いつかは辞める仕事』
そう思っていたので、強制的に辞めることになっても、悲しくも悔しくもありませんでした。

いつまで仕事には経っても、慣れない。
お客様に会うまで、毎日緊張して背筋が伸びる。

どなたがきてくださるのか、
満足してお帰りいただけるのか、
命の貴重な時間を使ってここに来て、私に会えてよかったと思ってくださるのか。

向いてない、、と思う仕事だった。
「出来た。良かった。楽しかった。」と思える日は、ほとんどない。
いつまでも、どれだけやっても、出来るようになったと思えない。わからない。

だからこそ、辞めずに頑張ってきた。

辞めるきっかけは、きっと年齢になると思っていた。
こんなきっかけで辞めることになるとは思っていなかった。

辞めるきっかけを作ってくれた、この子に感謝しながら、最終日まで全力でやれることをやり切ろう

最終日、長く応援して下さった方々が、少ないながらも会いに来てくれました。
20歳から初めて9年と10ヶ月、色んなことを学んだ銀座生活でした。

妊娠中の海外旅行を決めた理由

仕事は続けながら、友人に連絡をしたり、旅行の計画を立てはじめました。

子どもが生まれたら、行けるかどうか分からない。
仕事を辞めたら、旅行に行きたいと思っていたので、計画を立てました。

大きくなったお腹で、そんなに動き回れない。
何処にいても、出来ることは限られている。
それなら南の島の海辺で、潮騒を聞きながら、のんびり過ごしたい。

子宮頸管が短め(切迫早産気味)と言われ、張り止めの薬が処方されていました。
なので、もちろんお医者さんには、止められました。

「お腹の子に対する、虐待ですよ!」
「もし今産まれてしまったら、一生人工呼吸器をつけて、その国から出られなくなるかもしれない。医療費がどのくらいかかるか、知ってますか?」
「産んでから、いくらでも行けば良いじゃないですか」

それでも、私は行こうと決めていました。

医師「なんで止めてくれなかったのかと、病院が責められることがあるから、パートナーを連れて来てください」
私「パートナーはいないんです。1人で産みます。」
医師「では、どなたか、ご親族を連れて来てください」

翌日、母に病院に一緒に来てもらって『病院には責任はありません』みたいな紙に、一緒にサインをしてもらいました。

「今、行かなくても良いんじゃない?」
母にも言われました。

それでも行きたかった。
この先『自分のためだけ』にゆっくり時間を使って旅行に行ける日なんて、当分来ない気がする。

妊娠して、毎日身体が重くなっていく。
今まで 当たり前に出来ていたことが、明日には出来なくなる

階段を上れば、息が切れる。
重たいものが、持てなくなる。
疲れやすくて、お腹が張って痛くなる。
胃が圧迫されて、食べてなくてもお腹がいっぱいで、いつも苦しい。

そして、産んだら終わりじゃない。
お腹から出たら、私の意思とは関係なく自由に動き出す存在に、責任がうまれる。

今の妊婦である以上に、責任や周りの目が厳しくなる。

「今より身軽になる日は、来ないんじゃないか」

そう思うと、今旅行に行くのを辞めたら、後悔すると思った。

周りに何を言われたっていい。
誰も分かってくれなくても構わない。
生きたいように生きられないなら、生きてる意味がない。

だってこれは私の人生だから。
したいことができない人生なら、死んだ方がいい。

子どもが生まれてから、できる旅行と、今だから行く旅行は違う。

だから、私は「今、行きたい」

我慢する為に、産むんじゃない。

産むと決意したとき
色んなことが出来なくなっても構わない。
・着物が着られなくなっても
・旅行に行けなくなっても
・働けなくなっても いいと思った。

でも、やらない理由を子どものせいにはしない

リスクがあるのは知っている。
ただ、どんな国にも妊婦はいて、子どもは産まれている。

全てのリスクは避けられない。
事故が怖いからと、飛行機に乗らないと言う人がいたとして、それって1日飛んでいる飛行機全体の何%の話?
旅行に行って、事故にあう確率はどのくらい?妊娠中だとそれが高まる?

リスクが少なからずあると知った上で、どちらが後悔するだろう?と考える。

『行かずに産む』のと
『行って事故に遭う(現地で生まれてしまう)』のと、
それが実際『起きそうな確率』と。

天秤にかけて、自分に問いかけてみる。


それでも、行きたい。行こう。

何かあった時にも、後悔して落ち込まずに、その時出来ることをやろう。

そう決めて計画を進めました。


妊娠7ヶ月でセブ島。
妊娠8ヶ月でサイパン島。

一月で2回飛んで行きました。

怖くないわけがない。
少なくとも私は、やったことがないから。

身近に、妊娠中の子も、妊娠中に海外に行った子も、シングルで産んだ子もいなかったから。

それでも、自分がどうしたい?
何か起きた時に、どんな選択だったら後悔しない?

そうやって自分にいっぱい問いかけて、悩んで迷って、それでも決めたことなので、何があっても後悔しないと決めました。

帰ったら引越し(住んでたアパートが子ども禁止で、急遽出て、実家にお世話になることになりました)の予定が、切迫早産で急遽入院。

私は旅行に行き、引越しを家族に任せると言う、大迷惑をかけます。笑


それでも、行ってよかった。

悩んでも責められても、止められても、最終的には自分で決めて、その責任を負う。

だってこれは私の人生。
周りが何を言ったって、誰もその後の責任を取ってはくれないし、人生を代わってもくれない。

出産

旅行から帰って即入院になり、1ヵ月切迫早産で入院した後、また約ひと月ほど実家で暮らし、
10月の頭に、川越の赤心堂病院で無事に出産しました。2720gの女の子です。
破水から2時間のスピード出産でした。

兄の車で送って貰って、深夜の病院で1人で出産。
怖かったけど、流れに身を任せるしか無かったし、すべき事が明確で、不安に思うことはありませんでした。

出産時の体重は元+5kg。
仕事の為の体型維持や、入院中の食事(普通の婦人食のカロリー分しか出ない)せいか、あまり太らずに出産しました。

この後、婚活に向けて、体型戻しが始まります。

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私のこと③【スピード結婚ができたのは未来を決めていたから】

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