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開き直るということ|「ということ。」第4回

(これを読んだひとが、ちょっとでも救われるといいなァ)

「自分はなんてずるいんだ」
「私のせいで」
「なんでこう考えてしまうんだ」

 自分の意思と気持ちが相反して苦しむひとは、少なくないと思う。
 本当はなんだかんだ自分がいっとうかわいいし、けれど確かに、誰かのために自分を投げ捨てられる瞬間もあるし、でも誰かのためといって結局は自分のためだと気づいたあとの、あの気まずさと後ろめたさ。胸に鉛の玉が積もっていくような苦しさ。大っ嫌いだ、あの感覚は。

 いつだったか忘れたけど、私はふと開き直ることをした。
 私は、私が思っている以上に性格が悪く、目眩がするほどに自己中心的なのだ、と。周りのひとを意図的に利用するときもあるし、悪意をもって傷つけるときもある。あるいは自分だけが甘い蜜を吸うために誰かが嫌な思いをしていても平気だ。しょせん、そんな人間なのだと開き直った。

 すると、私の言う言葉に“力”がついた。少しかもしれないけれど、私の言葉で何かに納得したり気づいたりするひとが出てきた。不思議なことだけど、たぶん、私の言うことの正誤なんて、みんなそこまで気にしていない。力強さと耳なじみの良さが九割なんだ、言葉って。

 自分の言葉に少しだけ力がついたと自覚すると、私は、今度はそれを使いこなすことができるようになってきた。効果的な場面で、効果的なことを言う力は、仕事にも恋愛にも重宝する。私の仕草や言葉が、相手にどうヒットしているのか手に取るように分かるのだ。独りよがりの時期は過ぎ、トントンと駒を置くゲームのように物事が進む。簡単にいえば、「かなりツイてる」と思う出来事が増えた。そしてまた自信がついてしまうから、さらに言葉は力を持つ。サイクルができた。とはいえ失敗はするし傷つくことだってあるけれど、まあ、それは「ツイてなかった」場合の話。

 開き直るというのは、認めることに似ている。
 私は、すごくすごく臆病だ。傷つくのが怖いから、考えてばかりいる。考えているだけのうちは、怪我もしないし、私もみんなも何も失わない。考えて、考えて、リスクがもっとも低い道を選んできた。私は、すごくすごく不器用だ。みんなが息をするようにできることができないし(例えば「学校に通うこと」や「酒を飲んでおちゃらけること」)、マジックペンを使うときには必ず人差し指の付け根にインクがつく。私は、すごくすごく純粋だ。悪人の存在は信じたくないし、恋はロマンチックであるべきだと思っている。

 いろんなことを認めて開き直ると、スッキリするんだ。スッキリって、腑に落ちた状態をいうんだ。私は、私のいろんなこと(良いも悪いも、全部とはいかないけど一部の真実について)を、そこそこ咀嚼して飲み込んだ。自分さえよければいいって思う日があって、けれど普段は人並み程度に愛橋があり、大してお洒落ではなく、大事にしたいひとのためには自分の損も厭わず、かっこうつけで、空や水が好きで、狡く、ちょっとだけいい奴だって。

 小さいころ、よく「自分を大事にしなさい」と言われた。たぶん、みんなも誰かから言われたことがあると思うけど、私はずっと長いことその意味がわからなかった。自分を大事にって、みんなを優先することが回り回って私のためなのよ、なんてきれいに考えた時期もあった。今思うと、馬鹿らしい。「自分を大事にしなさい」って、きっとその言葉通りの意味なんだ。

 自分が思っている以上に、自分のことを甘やかしていい。ひとを利用してもいい。だって、自分だって誰かに譲ったり気遣ったり、利用されていたりするんだ。自分で気づいていないだけで、我慢しすぎなんだ。我慢が美徳っていうのは嘘だ。忍耐ならその先があるけれど、我慢なんて何ひとつ実にならない。主張の怠慢なんだよ。

 だから、開き直って、認めて、自分のこと甘やかして、かわいいかわいいって。そりゃあもう。もっと楽に生きようよ。
 それってきっと、そんなに責められることじゃないから。





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