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この春に思うこと

春は調子を崩す人が多いと、ツイッターの投稿などを読むと感じる。自分もそうなんだろうか?忙しい三月を終えたが、寝ても寝ても疲れが取れない。気分もほとんど晴れることがない。冬の時のような苦しい鬱は弱っているのに、冬より今が辛い気さえする。自分はもうどこかの時点で変わってしまって、元には戻れないんじゃないか、鬱のなかでも時々は得られていた歓びも、もう味わうことは出来ないんじゃないか、そう最近は感じてしまう。喜びや回復が長続きしない。すぐに疲れ切って、ダウンする時間が長くなっている。
 そうやっているうちに現実的なことはどんどん手強くなる。鬱の人には結構多いと思うけど、一日にひとつの用事をこなせたらまだいい方だったりする。今日は夜から用事があったから、その前にどこかでゆっくりしようと思ったけど出来なかった。どこかへ行って時間を過ごすのが好きなのにぎりぎりまで動けない、そうなっている最近。好きなミュージシャンのライブがそろそろあるけど楽しめるんだろうか…そこに行く電車がキツい…前は移動が好きだったのに。一時的なものだと良いのだけど、自分のことは自分でさえ分からない部分も、これから増えてくるのかもしれない。
 今は人がいる場所が特に辛くて、人から離れていたい気持ちが強い。相当神経が疲れているのだろうか。職場でもルーティンが息苦しくて、少し違う行動を取ることを最近はしている。ルーティンって落ち着くのだけど、なんかそうしてると今はだめみたいだ。同じ負のループに居続けるみたいで。心が拒否することは、やらない方がいい。それで少しだけ動けたりする。
 主治医との診察も疲れの一端にありそうだ。2年以上かかってやっと心を開けてきた最近、主治医と昔の話などを始めた。そのことはいいことだと思うけど、同時に昔の何を話せばいいかとか、どう考えればよいかとか、主治医にちゃんと話さなければならないと思いすぎる様になってしまった。私は話すのも考えをまとめるのも苦手だから余計に辛い。日々の営みが、病気に絡め取られてしまってすごく不自由な感じで、息が抜けない。かと言って心身を休めることも、鬱が長引くとできない。休むことさえも大変なことになってしまった。
 もっと色々と適当でいいこともあるのに、自信が持てない為にこんなことをしていてはダメだと自分を否定する。もうこんなことの繰り返しに疲れた…
 こんがらがった日々から自由な気持ちを取り戻すことが、回復には不可欠だという気がする。そして少しずつ出来ない自分を許していくしかないような気も。だって出来ないものは出来ない。力を尽くそうにも、その力が出てこない。。いつか、迷いの渦から解放されて、心の底から安心することができたらいいと思う。不調の底にいて、色んなことが出来ない自分が強く願うことはその事のみだ。そしてそんなに元気にならなくてもいい、私は元々ネガティブだしそれは悪いことばかりじゃないと思ってる。でももう少し上がることが出来ないとやっぱりきつい。明日は何が出来るかでなく、何をしたいかを、優しく自分に問いかけたい。
自分に寄り添える春となりますように。
 
 
 
 
 

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