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子どもが人権を持ち、軽視されない社会へ

離婚。それは大人同士の決断だが、しばしば子どもの人生に深い影響を及ぼす。

最近目にしたニュースで、離婚における子どもの意見がどれほど尊重されていないかという現実を知った。

実は、私の両親も私が言葉を話せるようになる前に離婚した。だから私には選択の余地などなかったものの、意見を聞いてくれるなら、ぜひ聞いて欲しかった。結果的に結果が変わる訳ではなくとも、そこには意味がある。

だが、2013年に制度が施行されて以来、子どもの意見を代弁する「手続代理人」を裁判官が選任したのはたった346人しかいないらしい。

この数字は、司法がいかに子どもの声を軽視しているかを物語っている。裁判官の中には代理人を立てること自体に抵抗を感じる風潮があるという。これでは、子どもを尊重する社会からは程遠い。

子どもの意見を聞くことに、何の意味があると疑問に思うだろうか?

私たちは、それぞれ経験も知能も違うのに、誰しもいつの間にか大人と見なされ、自らの人生に責任を持つよう要求される。

大人同士であっても、状況に個人差のある中、十分な決断力や根拠を持てない時だって、その時点で能う限り最善の選択を一生懸命考えて下すしかない。そして良かれ悪しかれ、結果を受け止めて前に進む。それが人生経験であり、自分の人生に責任を持つということだ。

そう考えた時に、子どもに判断を下す能力が無いと言い切れるだろうか。必ずしも、子どもだからといって正しい判断ができないわけではないのだ。時には大人よりも賢明な選択をする子どももいる。

成長過程で私たちは自我を確立し、自分の人生に対して意見を持つようになる。私は、子どもでも、自らの人生に関する選択肢について、一定の責任をもって関与できるべきだと考える。

子どもは親を選べない。だが、意志をもって人生の選択に関わる経験がもたらすものは大きい。親の付属物ではなく自分自身の人生を歩む者として、その後の人生に大きな価値を与えるだろう。

そう、子どもは、単なる親のドッペルゲンガーではない。彼らは独立した存在であり、自分の人生に声を上げる権利がある。

私自身、子どもであるがゆえに尊重されず、権利を奪われた無力感を知っている。離婚時に意見を聞いてくれるなら、ぜひそうして欲しかった。

私は子どもを持たないが、子どもたちには選択肢を与えてあげたい。一人の人として尊重され、自分の人生に権利を持って歩んで欲しい。私の分まで。

私は、猫を愛し、ITの世界で生きるプログラマーとして日々ロジックと向き合う。しかし、感情や人間性が蔑ろにされがちなこの社会で、私たちが忘れてはならないのは、子どもたちの声に耳を傾け、彼らの人生に対する権利を尊重することだ。

ただ、もちろん、決断したくないなら大人に選択を任せるという選択肢も尊重するべきだ。権利は権利であって、義務ではない。

不登校児によく言われることだが、憲法における教育の義務とは、子どもが教育を受ける義務ではなく、親が子どもに教育を受けさせる義務である。登校を拒否しても、子どもが罰される訳ではない。

同じく、離婚時の親権などについても、子ども達が望めば自分の人生を決断できる権利を持つ社会を願っている。


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