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部屋に人を入れたくない症候群

子どもの頃から、私は自分の部屋に人を入れることが苦手でした。

私だけでしょうか?

家族でも友達でも恋人でも、誰であってもできれば見られたくありません。私の部屋は、私の心の中を生々しく反映しているため、他人に見られることに抵抗を感じてしまいます。

私の部屋には、心から愛しているものがたくさんあります。猫のぬいぐるみだったり、お気に入りの本や、祭壇などなど。

ついでに傘も壁にセットされてる

つまり、そこには私の人間らしい生活の痕跡が刻まれているのです。言ってみれば、私の部屋は私の心そのもの、聖域なのです。

どのくらい不可侵の場と化しているかと言うと、子どもの頃、知らないうちに友達や親に部屋に入られてしまい、我慢できずに泣きながら激怒した記憶があるぐらいです。

大人になった今でも、同じような状況に遭遇した場合、同じぐらい過敏に反応する自信があります。部屋に勝手に入られることは、私の心を踏みにじられるような気持ちになるのです。

もしかしたら、私だけではないのかもしれません。私だけではないと信じたいです。

自分の心を他人に見せることに抵抗を感じる人が、自分の部屋に人を入れることを苦手とするのではないかという仮説があります。

実際に私は他人に気を許さない性格で、自分の内面を他人にさらけ出すことを避ける傾向があります。

周りの人は私について、「しっかりしていそう」とか「冷静」という印象を伝えてくれますが、実際のところズボラだし横着だし、変に凝り性だったりしますが、それはあまり他人に見せません。

作り上げた、見せたい自分しか見せたくないという深い欲求を反映しているのかもしれません。私のすべてを他人に見せることで、ジャッジされたり見下されたりすることを避けたいという防衛本能が働いているのかもしれません。

だから私のように心を開きたくない人は、他人を部屋に入れることも苦手なのではないかと思います。

ともあれ、私たちはそれぞれ、自分自身を守るための方法を持っています。部屋に人を入れないということ、人とのパーソナルスペースを確保することが私の生存戦略なのでしょう。

昔はいつかきっと、もっとほがらかに人を受け入れられるような人間になれると思っていたのですが、難しいみたいです。

私は元不登校で、元引きこもりで、双極性障害を抱えながらも、今はIT関連企業で働くプログラマーとして活動しています。

私の人生にはシニカルな側面もありますが、それが私の個性であり、私を形作っている一部です。

このように、私の部屋は私の心の隠れ家です。他人には理解されないかもしれませんが(誰か共感してくれる人がいると信じたいですが)、それは私の個性や経験から生まれたものなのです。

まあ、変わっているかもしれません。
だからこそ、他の人がどんな生存戦略を持っていたとしても馬鹿にしたりしないように頑張りたいとものです。


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