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ゴミを捨てたいだけなのに

ひどい目に遭った。

ある夜、私はペットボトルのゴミを出そうと玄関のドアを開けた。ゴミは二袋あって、一つ目をいったん外にガランと投げ出した。

すると物陰で黒い影が弾かれたように飛び上がって駆けずり回る――そう、Gだ。まぎれもない。ヤツである。デカい。男性の親指ほどもある。

私は思わずバタンと扉を閉めた。とりあえず鍵を掛け、後ろを向いて胸を押さえる。

びっくりした……。

が、予想はできていた。そもそも、この建物はそこら中にGがいるのである。建物どころか、夜になると近くのマンホールの影から奴らが這い出して来るのである。部屋の中にまで入り込んでいないことを祈るしかない。

なので私は寝室に戻り、殺虫剤を手に戻った。1、2、3と数えてドアを開ける。

……いない。あれ? 気のせいか……?

最近また近視が進み、眼鏡の時はあまり見えていない。

でも私は汚いところを掃除するときや虫を退治するとき、自分の視力が悪いことに感謝している。暗がりや黒っぽいところにいるGほど見えないものはない。

多分いないのだろうと思ったが、私は一応手に持った殺虫剤を噴射した。

シューッ

とその瞬間、投げ出したゴミ袋の影から黒い影が動き出す。動くまで全く見えなかった。早い。ヤツは物凄い勢いで玄関前まで走ってくる!

私は冷徹な殺戮マシーンと化して殺虫剤を噴射した。自分の手に武器があれば怖くない。それにしても何秒噴射しても走り回るばかりで止まらない。やはり大きさのせいだろう。よく見えないのだが、大きさからチャバネGではなくクロGだ。クロGの生息域はもともと南国で暑いのが好きであり、比較的屋外に生息することも多い。北上してるんだなあ。20年前は北海道にGは出ないと聞いたが、今は出るのだろうか。

とGトークをしてみたが、Gは止まらない。殺虫剤の煙の中ひたすら動き回っている。あまりにも止まらないので、私は再び扉を閉めた。

止まらないじゃん。あの勢いで室内を駆け回られたらと思うとゾッとする。

でも数々の闘いの経験から、致死量の殺虫剤を噴射したという手ごたえはあった。屋外なので風で散った分はあるだろうが、あれで生き延びられるGはいない。

でもさあ、よく考えたら家の前で死なれても困るんだけど。
Gの死骸、処理できないよ?

私は頭を抱えた。Gの死骸は直接じゃなくても触りたくない。

とりあえず、行方を追わなければ。恐る恐るドアを開けるが、ヤツの姿は無かった。

どこに行ったんだろう? と目を細めると、数メートル先の排水溝付近で何かがビクリと動いた。ヤツだ。致死量の毒を吸ってもだえ苦しんでいる。

まあ、別に死ななくてもいい。外のGなんて何匹退治しても足りないのだ。とりあえず動けない状態にあることが重要だ。

私はゴミ袋を持って外に出た。他に害虫の姿はない。夜間はエレベーターが動かないので、私は階段を使って一階に下りた。とその時、嫌な記憶が脳裏をかすめる。

以前、階段に蜘蛛の巣が張っていたことがあったのだ。「それがどうした?」と思うだろう。でもその蜘蛛はあろうことか、階段の両サイドの手すりを渡るかたちで巣を張っていやがった。ピアノ線のように張られた蜘蛛の巣。ワイヤートラップか!? 私はリンボーダンスのようにそれを避けながら進むしかなかった。そもそも、気づいたのだって蜘蛛の巣に突っ込む一瞬前だった。突然電気に照らされて目の前に現れた蜘蛛の巣に、「うおお!」と声が出た私を誰も責められまい。

とはいえこの時は、無事に下りることが出来た。快挙である。まあ見えないだけでそこら中に虫はいるだろうが、わざわざ度の強いコンタクトを入れて戻って見つける必要もあるまい。

私は無事ゴミ捨て場にゴミを投げ入れると、「ふぅ」と一息ついて、戻っていった。そして硬直する。

いる。

ヤツじゃない。体長10cmはある……なんだ? 蛾か? 私には羽の生えた巨大な虫であるということしか分からない。見たことのない虫だった。そいつが、階段の3段目の手前側に堂々とまっている。ちょうど、下りる時は見えない位置だ。そいつは上る時にだけ見えるクリーチャー……。

私は困った。まずこの虫についての情報がゼロであるということに戸惑った。もし私が階段を上る時の衝撃で目を覚ましたらいったいどんな飛び方をするのだろうか。ヒラヒラか、ブンブンか? それによって私が避けられるかどうかが決まる。

しかも手ぶらだ。殺虫剤があっても蛾には効かなかっただろうが、カサとかがあればとりあえず突いて動いてもらうこともできたのに、私はゴミ袋も手放して徒手空拳。鍵はあるが、鍵を投げつけたら家に帰れず私の一生はここで終わるだろう。

エリ・エリ・レマ・サバクタニ。
神よ。なぜこんな試練を与えたもう。

私は天を仰ぎたくなったが、仰いで別の虫が目に入っても嫌なので止めた。

そもそも、下りてくる時、なんで飛び立たなかった?
私は普通にガンガン音を立てながら下りている。にも関わらずこの巨大蛾は目覚めなかったのだろうか。もしかして相当深く眠っているか、もしくはもう死んでいる……とか。観察してみるが、巨大蛾……仮に大公と呼ぼうか。大公はピクリとも動かない。

ワンチャン、静かに通り過ぎれば動かないかも……。

私は念のため、柱を蹴りつけて少し衝撃を加えてみた。

深夜に住処の柱を蹴りつける不審者が爆誕しているが気にしてはいけない。

とにかく蹴りつけたが、大公には反応なし。これは、行けるのではないか。

行ってみようと思ったが、階段に足を掛けたところで、すくんでしまう。もし飛び立ったら……襲ってきたら……と良くない未来が脳裏を過ぎる。いくつかの掛け声が脳裏を過ぎった。「南無三」とか「ええい、ままよ」とかいうやつだ。人は勇気をもって大事を成す時にこういった掛け声が必要なのだ。

なんでゴミを捨てに来ただけでこんなハメになっているのか分からないが。

結局思いきれず、私はそろりそろりとまず一段上った。私と大公の距離が一歩近づいた。

……大丈夫っぽい。私は大公を見つめながら、そろりそろりとなるべく揺らさないように階段を上った。踊場まで上りきった。もう振り返らず、階段を(気持ちだけ)駆け上がる。

居住している階に到達すると、懐かしい死にかけのGが迎えてくれた。ヤツはまだ悶え苦しんでいる。私はその横を通り過ぎながら、他の昆虫がヤツの死体を持って行ってくれることを祈った。殺虫剤まみれだが、G以外には無害だろう。多分。

なんとか自宅に戻り、崩れ落ちた。

酷い目に遭った……。

もう夜にゴミを出すのは止めたい。

とはいえ、私が夜にゴミを出すのには理由がある。

人とすれ違いたくないのだ。私は不必要に人間に関わりたくない。やむを得ず人間社会にINするときはいつも何がしかの諦念を伴う。

しかし昼間は人通りが多いので外に出ると絶対に通行人が居て、出入りするのを見られる。また、少子化に反し子どもの多い地域なので親子連れも多い。するとどうなるか。

「ぷー、クスクス、あいつあそこに住んでるんだぜ!」
「ママ、あの部屋から人出てくるの初めて見たよ。人住んでたんだね!」
「今度ピンポンダッシュしてやろ!」

ということになりかねない。

嫌だ……。

しかも、そういえば先日、変なポーズで固まっているオジサンとすれ違ったような気がする。うちの近所はそんな人しかいないのか。

でもそういうオジサンに自宅に入っていくところを見られるのは嫌なものだ。

結果、人とすれ違うのとGとすれ違うのとどちらがいいかという究極の岐路に私は立っている。

※追記1 蛾はクスサンかも。写真見たけど似てました!
※追記2 この記事を書いて2週間ぐらい経ったけどGの死骸が消えません助けて


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