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Gを飲みこんだ掃除機ごと捨てた話

 昔、ワンルームのアパートで一人暮らしをしていた頃、Gが出たことがあった。

 G。それは例の闇に蠢動せし黒き者どものことだ。正式名称は言わない。奴らは噂をすると来る。

 ある夜、私がナイトルーティンのスクワットをこなしていると、突如、家具の隙間をカサカサと蠢く影を見とめた。

 その瞬間背筋を駆け上がるおぞましさ。

 思わず「ギャッ!」と鋭い悲鳴をもらすと、その声に反応した訳でもなかろうが、ヤツは素早く闇の中に戻った。

「え、今、いたよね……? いたよね??」
 私はバクバクとうるさい心臓を宥め、誰にともなく問いかける。もう寝ようとしている時間帯に、Gを見つけたなどとは信じたくない! しかし私は今のところ、幻覚を見るほど精神に異常をきたしていない。おそらく、やはり、幻ではあるまい。

 当時は一人暮らし歴がさほど長くなかったので、初めて一人で遭遇するGであった。なおかつ、悪いことに殺虫剤を切らしていた。

 Gは、実家でなら何回か見たことがある。トイレで用を足している時に足元から現れたGのことは未だにトラウマだ。一生忘れない。でも対処したのはたぶん親だった。私は怯えていれば済んだ。

 しかしGの対処ができることは、大人の階段の一歩だ。大人の階段登る私はシンデレラになりたい。いや過言だった。そんなことでシンデレラにはなりたくない。

 というか、単純に、対処せずに眠って、もし枕元とかに忍び寄られたり、あまつさえたまに聞く、口の中にGがいて嚙んじゃったとかいう最悪の事故が起きたらどうすればいいのか。私の想像力は滝のようにとどまるところを知らず、悪いイメージばかりが頭を駆け巡る。

 私はスリッパを左手に装備し、PCで、殺虫剤が無い場合のG対処について検索した。もちろんその時も、背後の警戒は怠らない。5分に1回は振り向き、血走った目で周囲を確認する。

 ややあって、私はハンカチで口を覆い、左手にはスリッパ、右手には掃除機の吸い込み口を取ってパイプ部分だけにしたものを構え、仁王立ちした。イメージの中では津山三十人殺しのいでたちだ。

 駆逐してやる……1匹残らず……!

 なお、この時点で、日付はとうに変わっている。

 私はヤツが逃げ込んだ先のキャビネットを、大きく深呼吸してから、蹴った。

 すると、その下からGがカサカサと這い出てきた!

 私は「ヒィ」という情けない悲鳴を飲み込みながら、左手のスリッパを振り下ろす――ヤツはかわして、ベッドの方へすさまじいスピードで駆け抜けていく。聖域たるベッドに!

 私は慌てて身をひねり、追い立てようとしたが、ヤツはベッドの下の暗がりに駆け込んでしまった。

 最先端の武器販売業者である小林製薬さんによると、危険を察知したヤツのスピードは、なんと時速300Km以上だという。人間が追い付ける速度ではないのだ。クソっ! だが長期戦なら人間も負けんぞ!

 私はふうふうと無駄につけてしまったハンカチに息苦しさを覚えながら、音を立てず床に這いつくばった。

 ……いる! ヤツがベッドの下で悠々と身を休めている姿が見える!

 私は慎重に右手の掃除機をすべらせて、ヤツとの距離をはかった。そして、今! というタイミングでスイッチを入れた!

 掃除機のゴオという轟音が響き渡り、と同時に私はパイプの口をヤツに近づける。ヤツは逃げようとするが……! 笑止! 掃除機の吸引力に抗えると思うたか!!
 間一髪、掃除機はヤツを素晴らしい吸引力でもって吸い込んでいった。

 ヒャッホウ!
 勝利! 圧倒的勝利である!

 私はスリッパと掃除機を握りしめたまま、こぶしを振り上げ、勝利の雄たけびを上げた。

 ひとしきり快哉を上げた後、ふうふうと息をつき、私はまだ吸引中の掃除機を見下ろして、ふと思った。

 え、これさあ。掃除機止めたらアイツ出て来るんじゃないの?

掃除機

 ……。

 ……?

 私は、動作中の掃除機のパイプをそっと床に下ろし、再びPCに向かった。

 多分yahoo!知恵袋的なサイトだったと思うが、殺虫剤が無い場合に掃除機を使った後、どうすればいいのか調べても、特に書いていない。

 ……?

 私は「害虫 掃除機 吸い込む」などで調べた。すると、「掃除機で吸い込めば、真空状態になるから中の虫は窒息して死ぬ」と書いてあるサイトがいくつか見つかった。

 でも本当だろうか? 確実だろうか? もし万が一生きていたら、掃除機を止めた後、もしくは私が寝ているときにパイプを這い上って外に出てくるのでは?

 うーん……。考えるのが面倒なんだけど……。

 時刻は午前二時を回っている。
 眠気が限界に来ていた。なんでもいいから寝たい。

 私はとりあえず寝室から最も遠い玄関に掃除機を引っ張っていき、雑に放り捨てた。
 そしてハンカチマスクを外し、スリッパを置いてぐうぐうと寝てしまった。

 翌朝、私は掃除機の作動音と共に目が覚めた。低血圧でぼんやりしながら玄関に向かうと、昨日のまんま、一晩中動作し続けた掃除機が鎮座している。
 私は無表情にそれを見下ろしながら、少し考える。

 隙を見て、ゴミパックを捨てるのはどうだろうか?
 いや、ゴミパックを外した時にヤツがにじり出てきたらどうする。

 殺虫剤的なものを今から買ってきて、吸い込んだら?
 それで確実に死んだかどうか分からないじゃん。

 掃除機を止めて後は忘れたら?
 イヤだよ。万が一、アイツがメスで妊娠してて、中で卵でも孵ってたらどうするの? そして小さいGがウゾウゾと掃除機ホースから出てくるのを待つってわけ?

 私は考えるのが面倒になった。とりあえず、スイッチを操作して吸引力を弱め、ホースの先をラップで厳重に封印した。そしてそのまま掃除機のことを忘れ去る。

 その状態で3日経った。

 私は玄関を通りかかるたびにGのことを思って遠い目になり、しかし忙しいからと理由をつけて放置した。とはいえ視界に入るたびに「どげんかせんといかん! どげんかせんといかん!」という心の声が大きくなる。

 うるさい!

 たまらなくなった私はある晴れた日、とりあえず、掃除機を玄関から外に出した。外でゴミパックを開封すれば、Gが生きていようと被害は免れる。

 でもいざ蓋を開け、ゴミパックに手をかけようとする段階で手が止まった。なんともいえない瘴気をゴミパックから受ける。だって中にGが入ってるゴミパックはもはや普通のゴミパックではない。忌まわしきゴミパックである。

 私の息は荒くなり、ぶるぶると手が震え、冷や汗が脇を伝った。

 ……。

 ……ムリ。

空の写真

 私はおてんとうさまを見上げ、ふうと爽やかに微笑んだ。

「捨てよう」

 そう。だって、もともと何年も使ってて、古かったし。今が買い替え時だ。

 私はそうと決まると掃除機を止め、コードを巻いて、そのまま外に出しておいた。コンビニで粗大ごみの券を買い、回収を依頼する。ゴミパックは……うん、ゴミパックは外さなきゃいけないよ、分かってる、分かってるけど今日だけ、今日だけ見逃してほしい。どうしてもゴミパック外せないんだって。ごめんなさい。

 回収拒否されたらどうしようと思ったが、なんとか、後日回収してもらうことが出来た。良かった。ありがとう、ありがとう。

 こうしてGとの闘いは幕を閉じた。

 いやあ、Gが夜中に出るのは困りものだ。やつらは家具の影などに隠れるので、こういう時はバルサンを家中で焚きまくるというのが最適解だが、長い人生、バルサンが無い時もある。それでもなんとか対処できて良かった。とはいえ私はクモとは違い、Gの生存は許すことはできない。

 みな平等な命、いつかはGのことも慈しめる日が来るだろうか。

 ――断言する。来ない。


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