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おじいちゃんの手

中学生の時、美術で自分の手を描き、詩を添えるという課題があった。そのときは

「はたらく手 いつもたくさん動いてくれる手 大切な私の手」

と書いて先生に笑われた記憶があるが、今なら違うことを書く。

私が祖父と一緒に暮らしていたのは3歳くらいまでで、以降は離れて暮らしていた。一緒に暮らしていたころの記憶はないが、あまり仲は良くなかったらしい。祖母が死んだことで家族として暮らしていくのは不可能になった。

一人が気楽だから、と埼玉の田舎に引っ越した祖父は、絵を描くのが趣味だった。色紙に筆で水墨画風の絵を描き、壁に飾ったりしていたように思う。今思い返してもなかなか風情のある絵で、上手だった。

小学生くらいの頃だろうか。ある日遊びに行った時、何を思ったか新聞の広告に描いてある若い女性の絵を持ってきて畳の上に座り、「今日はね、これを描こうと思うのよ」と言って目の前で模写してくれた。

普段人物をモチーフにしている様子は無かったので、子供が退屈しないように気を遣ってくれたのだろう。

出来上がりはやや古臭く感じたが、上手なものだった。私は大層祖父をほめたたえ。気を良くした祖父が、大切に飾っていた絵を数枚くれた。

「いいの? おじいちゃん」
と聞くとちょっと微笑んで、だけど目をそらし、「いいのよ」とはにかんでいた。

祖父とは離れて住んでいたこともあり、年に一回か二回、顔を見せに行く程度の薄い関係ではあったが、晩年になり入院してしまうとめっきり会うことも減った。大人になって、亡くなったと聞いて、葬儀場に駆け付けた。

最後に見たのは鼻に脱脂綿を詰められて、棺の中に横たわっている姿で、最後に触れたのはドライアイスで冷たくなった頬だった。

祖父は私にとってはいつの間にか居て、いつの間にか老いて、いつの間にか死んでいった人物だった。

いつか顔を見せに行ったとき、思い出したように「最近も絵を描いているのか」と聞いたことがある。

祖父はおどけたように「もう描いてない。前のように手が動かないから」と答えた。それを聞いて、私は薄情にも、つまらない気分になった。

当時の私にとって、老いて手が動かなくなるというのがどういうことか想像するのは難しかった。

最近になって考える。出来ていたことが出来なくなって、自分を表現する術を失っていくのはどんな心地だろう。

私は割と多趣味な方で、絵も描けば小説も書けばピアノも弾くが、どんなに絵やピアノが上手くなり、最高の表現が出来たって、最後にはだんだんとできなくなっていく。

それはどんな心地だろうか。祖父は平気な様子だったが、そう見せていただけで、表からは想像も出来ないような深い絶望に襲われていたのではないだろうか。

あるいは、動かなくなったことで、欲望も消えたのだろうか。それならいいけれど。老いや死を受け入れていくというのはどういうことだろう。

祖父は晩年、認知症を患い、会いに行くと5分に1回ヤクルトを勧めて来るようになったし、私のことどころか母と叔母の見分けもつかなくなっていたが、「また来てね。覚えてなくても来てくれたら嬉しいから」とニコニコしていた。

祖父のマンションから帰るとき、祖父はいつも私がエレベーターに乗るまで玄関先で手を振ってくれたし、そのあとはベランダから、姿が見えなくなるまで見送ってくれた。

祖父の手はもう絵を描くこともないし、母に内緒でこっそりお小遣いもくれないし、ニコニコと私を見送ってくれることもないが、私は自分の手を見る度に、いつかこの手が自分の思い通りに動かなくなることと、一足先にそのときを迎えた祖父に思いを馳せる。

私は、今、一人で暮らしていて、やはり自分の趣味の時間を楽しみ、壁に自分の描いた絵を飾ったりしている。祖父とは離れて暮らしていて、薄いつながりしかないように感じていたが、祖父が死んで何年も経ってから、不思議なつながりを感じるのだ。

「はたらく手 いつもたくさん動いてくれる手 いつか動かなくなる 大切な私の手」


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