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桜の開花を待ち望む、冬の終わり

 映画『余命10年』を観た。

 この手の話(彼女・妻が病気で亡くなる話。大体が実話に基づいている。)は、映画となっている以上あくまでも作品として捉えた上で「はいはい、泣ける映画ね~。5回泣けるやつね~。あ~はいはいはい」という一種のアレルギー反応を持っていたので、ここ15年くらいは好き好んで観る機会はほとんど無かった。最後に観たの多分『恋空』な気がする。
 でも今回は、小松菜奈(映画館で美しいご尊顔を観たい)、坂口健太郎(菅波先生から急に好きになった。映画館でご尊顔を見せてくれ)、藤井道人監督(ヤクザと家族が良かった)など制作スタッフやキャストで興味が湧いたので、とある休日に映画館へと足を伸ばした。

 公開して間もないけど地方の映画館ゆえに前日の時点で2席くらいしか埋まっておらず、後部のど真ん中のチケットを予約。まあ当日もそんな埋まることはないだろうと思っていたけれど、当日は見事に複数人の友達同士やカップルで訪れた中高生の若者に前後左右(左右は1~2席くら間隔空けて)を囲まれてしまった。
 私は"泣ける"映画でまんまと泣いてしまう感受性の豊かな人間なので、「アラサーなのでドン引きするくらい泣くと思うけどごめんね~。5回は泣いちゃうと思う~。アラサーなので」って心の中で周りの若者に伝えつつ、ハンカチを手に持ち映画が始まるのを待った。



以下、ネタバレというか映画の内容をめちゃくちゃ引用しているので、気を付けてね。


 大まかな話の筋は、不治の病を抱き余命がいくばくもないまつりちゃん(小松奈菜)が最期を迎えるまでに体験したことのすべてと、一緒に過ごした周りの人たちの話。

 映画を観て考えたことは、もし自分が当事者になったら「周りの人にどんなことができるか、どんな言葉を伝えられるか」ということ。
 当事者というのは、①不治の病を患うまつりちゃん自身、②不治の病を患う娘・妹と一緒に病気と闘う家族たち、③病気になる前から友達のさなえちゃん、④恋人が不治の病を抱えているということを受け入れなくちゃいけない彼氏のカズくん、の4パターン。
 この映画では、この当事者たちが決して多くを語る映画ではない。でも言葉を選んで話したり、言葉に詰まったり、その時の表情や、涙が先に溢れてしまうといった感情表現がすごく繊細でかつリアルだなと思った。

 特に印象的だったのが、まつりちゃんは"今”の視点で生きていて、それ以外の周りの人たちは"未来"の視点で生きているという対比が明確に描かれていたところ。
 まつりちゃんの病気は、10年生存率は限りなく低いというだけで余命10年きっかり残っているわけではなかった。
 2012年に退院したまつりと一緒に観たテレビでは2020年に東京でオリンピックが開かれることが決まった。でも、まつりと一緒に東京オリンピックを迎えられるだろうか?(家族)
 ある時、妊娠をした(姉)、
 ある時、恋人と別れた(さなえちゃん)、
"自分には未来がある"ことをわざわざ告げるような自分の身に起こった変化を、彼女に一体どんな風に伝えればいいだろうか?
多分どんなに長い時間一緒に居ても、一人一人がこんな風に毎回言葉の選び方を迷っていたと思う。
だから、映画の中では自分の方からは報告せず、まつりちゃんのふとした言葉や問いかけをきっかけに「実はね・・・」と切り出すかたちで報告をしていた。
 反対にまつりちゃんが話す言葉に対してどういう風に反応すべきか、にもすごく神経をすり減らしていたと思う。
「お姉ちゃんの子供、抱っこできるかな?」
「さなえちゃん、ありがとうね(どこからどこまで含んでいるのかはわからない)」
「(母親に対し)本当はもっと生きていたい、結婚もしたい、死にたくない」

これに対して家族や友達がそれぞれ返した言葉は、
「名前くらい一緒に考えさせてあげようか?」
「こちらこそ、ありがとうね」
「そうやってもっと、泣きわめいていんだよ」

 この先の未来が無いかのように話すまつりちゃんの言葉に対してそれぞれの当事者は、まつりちゃんが立つ"今"の視点に同じように立っていた。
私からしたら、この家族も友達も、まつりちゃん自身も強すぎる。私だったら「そんなこと言わないで」って思うより先に言っちゃう気がする。こんな風に、同じ視点に立って反応をすることができるか全く自信が無い。

 そんな中で当事者の中で最も感情移入したのは恋人のカズくん。突然不治の病であることと別れを告げられ、映画の中で唯一、覚悟を決めなきゃいけない姿が描かれていた。
 "持病を持っている"程度の認識だった彼女から、プロポーズをした翌日に突然不治の病であることを告げられ、カズくんはこのまままつりちゃんと別れて自分の人生を歩むことになる。
 まつりちゃんに縋って泣き崩れるシーンや、別れを切り出すまつりちゃんに明るいトーンで「こういう時は分かった、って言ってよね」と言われ、消えそうな声で「分かった」って伝えることしかできなかったカズくんの姿が一番胸を締め付けた。
 恋人である自分を遠ざけるために、まつりちゃんなりに強がって伝えた言葉もあったかもしれないけれど、そんなのは分からない。自分が死ぬってことをもう長い間悟っている相手に対して、何も分かっていない上に混乱していたら、私もきっと「分かった」としか言えない。

 結局、人は未来があることを前提に生きているんだなということを実感した。なので私はこの映画の中で正直まつりちゃんへの感情移入の仕方が分からなかった。でも自分自身も、家族も、友達も不治の病であること知り、ある意味自分の死を悟っている人たちばかりの中で、自分がこの先も生きていくもんだと思っているカズくんは、唯一まつりちゃんが"未来"視点で生きる存在だった。それはそれで残酷な現実を突きつけられることばかりではあったけど、「生きたい」と思わせてくれた存在としてすごく心強かったんじゃないかなと思う。
 私が想像できるのはここまで。

 この映画では、様々なシーンで満開の桜が登場し、キャスト陣のたくさんの表情を際立たせる重要な役割を果たしていた。3月に公開するなんて、粋なことをしてくれたもんだ。
 やっぱり人は生きている以上、未来を想像することを切り離せないし、それには別に良いも悪いも無く、きっとそういうもの。

この映画の感想は
「今年は久しぶりに満開の桜を見にいこうと思った。」
 

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