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【結婚式の中にある感情曲線。それは、まるで『人生』そのもの】


僕はおそらく365日。
ずっと結婚式のことばかり考えている。

これまで見てきた美しい景色。
経験した大きな失敗。

そんな過去の記憶から
どうしたら、
人の想いを体現し、届けることができるのか?

どうしたら、
その日限りではなく、未来でも残り続ける
美しい結婚式を創れるのか?


僕はこんなことを考えながら12年もの間、
結婚式に向き合い続けている。

繰り返し何度も何度も、
同じところを回っていると思っていたのだけど。


気付かぬうちに、同じところではなく
次のステージを歩けるようになってきた。


結婚式の中にある、
人の愛や想いを、能動的に引き出す『場創り』。


そこに、
確かな『ロジック』があることに気がついた。


そして、これを語る上で切り離せないもの。
それは結婚式の中にある『感情曲線』だ。


結婚式というと煌びやかで華やかで、
そんなビジュアルばかりに目がいくけれど。
結婚式の中には本来、人の愛や想い、感情など
目に見えないもので彩られている。

この目に見えないものたちが、
まるで生き物のように動いて、
初めて結婚式は美しくなる。


奇跡のような瞬間が生まれるのも結婚式だけど。
実は、それが奇跡なんかじゃなく、
必然的に生まれているのでは?
と僕は思っている。

だから、ウェディングプランナー、キャプテン、司会者、音響、サービスなど
結婚式の創り手である僕たちは、
そこを意識して丁寧に
結婚式を創りあげなくてはならない。

例えば、僕はウェディングキャプテン。
パーティー会場のど真ん中で、
そこに会した人たちの感情や心情を汲み取る。

そして、『感情曲線』のことを意識して
2歩先、3歩先までイメージしながら
タイムコントロールをしたり、
パーティーに携わるクリエイターさんに
細かな提案を繰り返しながら
『場』を整えていく。

そして、パーティーのお開きを迎える時。
ここはやっぱり最高の状態で
その時を迎えて欲しい。



僕はキャプテンとしての仕事を終えた後。
携わった結婚式を丁寧に『因数分解』していく。
いわゆる「反省・振り返り」の時間。

「あのタイミングで僕達がこれをやって空気を変化させたから、サプライズの時、新郎様はこの言葉を伝えることができたのではないか...?」
「いや?もしあの時こうしていたら、サプライズはどうなったかな?新郎様の伝える言葉は変わっただろうか?」

こんなふうに、因数分解をしながら、
結婚式の中にある『感情曲線』のグラフを
頭に思い浮かべ、いくつものパターンを想像し、自分の中での「解」を探していく。


これを繰り返しているうちに、
頭の中に描かれていく、
いくつもの『感情曲線』のグラフが、
なんだか『人生』を表してるように思えてきた。



ここからは少し、
僕の「人生観」、「哲学」っぽい話になるが。

「人生は山あり谷あり」とはよく言ったもんで。
大小様々ではあるものの、
山があれば谷もあるのは、
おそらく誰もがそうなのだと思う。

けれど、それをグラフにした時には
その人によってカタチは全然違ったものになる。

いろんな事に強い意志を持ち、
チャレンジして生きた人達は
山と谷の差は大きく開いて、
上へ下へと激しく動くグラフになっていき、
とても刺激的な人生なのかな?

「安パイ」を選択して生きようとすると
最高値と最低値の差はあまり開かず
グラフは優しく緩やかに動いて、
平凡な人生を送るのだろうか?


そして、グラフが上下する前には
決まって様々なターニングポイントがある。

学生生活、成人、就職、起業、結婚、出産、死。


人生の転機と呼ばれるタイミング。
人はそれを『運命』と呼んだりするけれど。

僕はその『運命』というものを
あまり信じてはいない。

運命的な出会い、
まるでドラマのような最悪な出来事、
奇跡のような瞬間が
人生の中に、いくつかあるのは確か。

だけど、『運命的』と思えるものも、
おそらくこれまで自分が選択して、
生きてきたことが積み重なって
『必然的』にそこへ繋がっていると思うから。


そして、僕達人間は
間違いなく『死』に向かって生きていて。
その命の最期を迎える時。

「この命(人生)を生きてきて良かった」
「この人たちに出会えて良かった」

誰もがそう思える最期を
迎えたいと願っているだろう。



こんな人生の曲線こそが、
まさしく結婚式の中にある『感情曲線』。


結婚式の中にある人の感情は
パーティー進行によって大きく移り変わる。
これは人生における
「転機」と呼ばれるところに近い。

『結婚式』を迎える新郎新婦。
人生のなかでも大きな節目となるその日は、
結婚式の中の感情曲線に例えるなら、
おそらく『ケーキカット』のようなタイミング。

自分たち『らしさ』を表現した可愛いケーキに、
これから人生を共に生きていこうと
誓った2人が手を添え合い、ナイフを入れる。

そこに沢山の大切な人たちが微笑みながら
2人にカメラを向ける。
まさに『幸せ』を体現したような演出。

そのケーキカットがもの凄く盛り上がったり、
とても感動的だったりすると、
そのあとの感情曲線のグラフは比較的、
高いラインを維持することができる。


ただ、やはり高い状態(山)ばかりではなくて。
お客様も人だから、落ち着くタイミングや、
集中が切れてくる時間が必ずある。

でもその時間をどう過ごすか、
どう過ごしてもらうかによって、
その後グラフの振り幅は大きく別れる。

先にも記したように、
結婚式の感情曲線を意識した
美しい場創りには『ロジック』がある。

目に見えず、カタチがないもので、
答えがないから『偶然』『奇跡』
と呼ばれてしまうけど。

僕たちプロフェッショナルが
そこを信じて、妥協せず追い求め、
支えながら導いていく。


結婚式の感情曲線が落ち着きを見せる時、

どんな音楽がどんなボリュームで流れるのか?
司会はどんなアナウンスを入れるのか?
美味しいお料理やお酒、
温かいサービスをどれだけ提供できるのか?

ここにかかってくる。


これは人生に置き換えると、
おそらくその人の周りにいて、
苦しい時や辛い時にそっと寄り添い支える人達。


だから僕たちの役割、責任はやっぱり重い。


想いを馳せず、マニュアル通りに進め、
失敗しない為に「安パイ」を選択することは
確かに最低値を出さずには済む。
ただ、最高値を引き上げることができなくなる。


例えば大切な友達から相談を受ける時。
相手に合わせて、ただ共感するだけなら、
関係が壊れることもないだろう。

しかし、本気でその人を想うなら、
時には「リスク」を負ってでも、
叱ってあげることが必要だったりするし、
それがきっかけで
深い信頼関係になれたりもする。


どちらを選ぶのかは自由だけど。
僕はやっぱり大切な結婚式に対して、
真正面から向き合いたい。
そこだけは譲れない。

失敗しない為、
万全の準備や確認は必須だけど。

失敗しない為だけの
結婚式創りをするつもりはなくて、
目の前のお客様にとって、
最高値はどこにあるのかを
常に追い求めていきたい。


そうやって、
僕たちが真剣に向き合った結婚式は、
『運命的』『奇跡』と呼ばれる
美しい時間を創ることができる。

言えなかったはずの言葉が溢れてきたり。
親子の中にあった溝が埋められたり。
絶対泣かないと思ったあの人が泣いたり。
抱きしめるチカラが想像以上に強くなったり。

これは、偶然なんかじゃ決してなくて、
僕たちが心を砕いて、向き合い、
「選択」「判断」した先に創られているもの。


そう。運命的ではなく、必然的に。



そして、人生最期を迎える時。

「この命(人生)を生きてきて良かった」
「この人たちに出会えて良かった」

人はこう思えるような
人生を過ごしたいと願っていると書いたが。


やはりこれは結婚式においても同じだと思う。

「結婚式をやれて本当によかった」
「この人たちに囲まれて幸せだな」
「本当にありがとう」

そう心から思えるお開きの時間を
迎えてもらえるように、
僕たちは結婚式を創っているのだろう。


そして、僕が何千組というお客様の
結婚式に携わり、見てきて、
どれ一つとして同じ感情曲線はない。

そこがまた人生らしい。。



取り留めのない話になったかもしれない。


だけど、僕の中では必要な発見だった。

僕が結婚式の中で見ている感情曲線を
誰かの『人生』を体現しているものだとすれば。


その1分1秒、
いや1秒にも満たない時間の中での判断が、
その後の曲線を大きく変えてしまう。

これまでよりずっと
結婚式に対する責任は重いし、
苦しくもなった。

その分、とても愛おしくて、
大切にしたいと心から思えてもいる。

妥協なく価値のある時間にしたい。

それが未来で誰かの人生を支え、
もしかしたらその人を、
守るモノになるかもしれないから。



結婚式とは新郎新婦様にとって、
どんな人生を歩いていきたいかを体現し、
それを大切な人たちに示す時間なのかもしれない。



ちなみに僕は今32歳。

新郎新婦がお色直しを終え、
再入場のタイミングくらいだろうか?


最高の最期(お開き)を迎えるために、
今日という日を大切に、
妥協することなく強く生きていこう。








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