見出し画像

メモすることときっかけ

「メモすることって大事やなぁ」って数年前から気付かされる機会が多い。メモやってる人ほどできる人だし、メモすることで才能を開かせることだってできたりする。

僕はiPhoneを使い始めて以降「リマインダー」を比較的よく使う。特に買い物のメモはここに記して、立ち止まった安全なときに見るようにしている。また、駅員のアルバイトでは乗り換え案内するときや遅れ見込みの放送を手書きのメモなどでよく使ってきた。

メモの良さが見出せなかった

ただ、高校時代まではメモどころか書く習慣すらあまりなく、授業、宿題以外のプライベートで書くなんてあまりしてこなかった。日記などもしてこなかったので書くことに意味を見出せていなかったのかも。そういうはけ口がないこともあってか、感情的になったり、強いジェラシーや負のオーラを放っていたかと思う。いわば、気持ちの老廃物が便秘の如く溜まっていたようなもんだ。

やらかして先生が

物事の管理も疎かになっていたのか、学校で英語の課題の忘れ物を3日連続でやらかしてしまうことがあった。そのとき、担当で学年主任の先生は見かねたのか僕に「メモメモ」という授業中に発する口癖とともに渡してきた。それから数日後には、僕が鉄道ファンだと聞いたからなのか、先生の私物である特急「サンダーバード」があしらわれたメモ帳が当時の担任を通じて、僕に譲渡された。そのときはまだ、見出しきれていなかったが、もう一回メモの重要性を認識させられることがあった。

じいちゃんの備忘録

2018年晩夏のこと。僕の祖父(じいちゃん)が肺炎で倒れて、数日後息を引き取った。初めて目にした身内の不幸。感情が追いつかず、病院からの帰りの車中でスマホのメモに打ち殴るように綴っていったのを覚えている。このせいなのか気持ちが少し落ち着いた。
そして、遺品整理していると、「備忘録」が見つかって、全て目を通した。我々家族、親族などの家系図や小学校教師時代や定年後の保護司活動の職歴、時事ネタ、健康に関する新聞のスクラップなどじいちゃんの全てが一冊のノートに詰まっていた。思い返せば、ボケることなく89歳で「ピンピンコロリ」していったのはもしかするとこれのおかげなんだと僕は思っていたりする。そのとき、メモすることは健康に良いから大事なんだと強い衝撃があったと振り返る。

まあまあミスったり、不安も。

それからメモをよくするようになり、noteを始めることにも繋がってくる。とは言っても、メモを過信しちゃいない。なんせ、僕は即行動に移すことが得意ではなく、リマインダーの買い物メモや家計簿の記入などたまに忘れる。プラス不安症故に書き間違いミスも怖かったりするし、出向く当日になっても日付違いのやらかしが怖かったりする。

メモで自分らしく

それでも、メモなしで生きられるハイスペックな人なんてこの世にはいない。それぐらい人間らしくいる大事なマストアイテムなのだと思う。父のハイスペックさもそこから形成されているのだろうか?
そんな人になれていない僕だが、自分らしくいるためにもこれからもnoteとともにやっていきたいと思う。画面上がいいか、手書きがいいかの論争があるが、人それぞれ合う方がいい。押し付けられてもそれで人間らしくはいられないから。
結果、僕は画面上でも自分らしくいられてるし。

さぁ、メモメモ。

この記事が参加している募集

忘れられない先生

ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。